大河の一滴

大河の一滴

まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

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資本家になる投資家

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かなり前ですがこんな記事を書いてます。 

kamomenotoushi.hatenablog.com

過去記事ながらわりとプリミティブなことを言ってるなと思って結構気に入ってますが、今回はそれの焼き直し的な話。 

書いてみて思ったけど、ホントに心がけ的な話で人によってはまるで意味のない話になりそう。人によっては・・などと意味不明な供述をしておりとかまで思われるかもしれない。

でもある人には響くかもね。そんな話。

 

上のような記事を書いたということもある自分だからでしょうか。

自分はTwitterとかその他まあいろいろ周りをみて結構思ったりします。

 

みんなボラティリティを舐めている。

それが一割二割下げるくらいを想定してないし、もっともっと半分、三分の一、10分の一だってありえるのにもかかわらず。

また逆にそれは倍以上10倍だって100倍だってあり得るものです。

だけどあまりそう思ってなさそうに見えるんです。

思ってないから一割下がったくらいで騒ぐし、5%も上げれば気分よくしてたりするし、二倍にもなれば天下でも取った気分になって調子に乗って有頂天になったりする。

そんな方もいるようにも思えてます。

 

なんでだろう?とか思ってたんです。

そしたらふいに以下のように思いついたんです。

たぶんお金だと思ってるんだろう。

自分はそう思ったわけです。

株価というか株式をお金だと思ってる。

それが普段僕らがおにぎりでも日経マネーでも買うときに払うものと同じものだと思ってる。

それを普段自分が接するもの延長上にあるかのもののように同じルールで見ている。

だからボラティリティを舐めることになる。

普段僕らが使うお金は普通そんなに意味なく増減したりしないもんね。

 

でもそれ違うものだからね。

それはもう普段僕らが使うお金なんてものじゃなく株式になったそれはもう会社であるというか資本というものであって、それはもう僕らの接するお金というものとは違うもので、違うルールで動いているもんなんだ。

 

株式になったそれはもうお金じゃなく資本。

 だから僕らがそれを財布の中に普段見るような10円玉とか1000円札と同じような感覚で扱うなら良くない結果になるかもね。

だって、それはお金じゃなくて資本なんだから。

それは資本であって資本のルールで動くものです。

 故にそれを扱う人は資本の扱いを知り資本を扱う人にならないといけないと思うんです。

 

資本を扱う人。

それを名付けてみようか。定義つけてみようか。

資本を扱う術を知ってる人・・

 

それすなわち資本家です。

 

投資家は資本家にならないといけない・・・自分はそのように思うわけです。

そうだと思うよ?

だって投資家のこと、資金家とか言わないよね?

 

株式を買った投資家は資本家なんです。

 

なぜ資本家と言うならば、資本はもうお金とか資金とかと区別するべき別の物理法則のもとにあるものだからだとと思うよ?

 

資本を扱う術とはなんなのかを考えるべきだと思うんです。

資本を扱う術を知らない資本家などいるものか。

なので資本家たるぞと思うなら何が資本を扱う術なんだろう?って考えていかなきゃいけないと思うんですよね。

 

考えてみよう。そうだね。ひとつは、株式につけられる値段・・株価は普段僕らの使うお金からすると同じルールにない値動きをするということを知っているということかもしれない。

それは、一割二割なんてあっという間、半分だって10分の一だってあるけど、倍くらいならあっという間だし、10倍だって下手したら100倍だって普通にありえる。そういう前提を持って扱わないといけないと知ってること。

ボラティリティを舐めないこと。

例えばそういうこと。

 

株価が一割、二割下がった程度で顔が青くなってる。

それを見て自分はちゃんちゃら可笑しいなんて言ったりはしないです。

でもその人は資本家ではないのだろうとは思います。

だって、資本のルールが腑に落ちてない。

それでおにぎりでも買う気かはしらないけどお金だと思ってる。

あるいは覚悟ができてないのかもしれないかもね。自分もできるかわからない。

 

違う。

それは、株式であり会社であり・・つまり資本だ。

すくなくともお金じゃない。

 

ていうか、お金だとするとお金でお金を買ったということになって意味わからないんじゃん。これは蛇足的な物言いだけれどもね。だからFXやってる人は怒らないでね。

 

 投資家になるというならお金でお金以外の資本を買う資本家になるべきだと思うんだ。

 トレーダーになるというのならまた少し話は違ってくるとは思うけど。

自分は株式投資家です。

だから資本家であるべきだと思うんです。

だってお金でない資本を買いそれを扱っているのだから。

 それに投資の世界で資本家とそれ以外の人が戦うのなら、資本家のほうが強いと思うんだ。だって投資は資本を扱うことで戦うのだから。それを扱うのに長けた人が勝ちやすいに決まってるでしょ?

だから資本家になれるもんならなったほうがいいと思うな。

 

だからそれはお金じゃない資本であるとして自分は何を知るべきで資本をどう扱かうべきか。どうあるなら自分は資本家足り得るか。

そんなことも考えながら投資をまだまだ考えていきたいわけです。

 

 

それはお金ではなく資本です。

資本を扱う資本家になる覚悟はありますか?

そのために何を知るべきですか?

 

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千の一滴

そろそろ言っていいんじゃないかな。

今コレを書いている時点でブログの記事投稿数は1300ほどです。

ブログ記事が1000は超えました。

引っ越しもあるので純粋にここのはてなブログで書いたわけではないけど、だいたい平日に個別銘柄を扱い土曜日にコラム的記事、日曜に時々で毎週6記事から7記事のほぼ毎日更新でおよそ4年間。

気づけば1000を越えさらに結構増えこの記事投下の時点で1389記事となりました。

 

一滴は集まりささやかな流れとなってきてる。

そんな感触も得る今日このごろですが、ここらについても少し自分の考えをまとめてみるなんて話。

 

ちなみにというか現在の大河の一滴という名称に変更したときの記事、ここを読んでくれると話は通りやすいと思う。

kamomenotoushi.hatenablog.com

もっとちなみに今回は、投資でかんがえたことではないですね。なのでアイキャッチもなし。

めんどくさいんです。

毎日ブログ記事などを書く行為は。 

正確には日記の銘柄を扱う記事は休日に書き溜めている感じなので毎日は書いていないけど。(土曜のは思った時気づいたときに書いてストックしてる感じ)

 

特に比較の日記とかは4×5銘柄調べて書かなきゃいけないのでかなりいつもめんどくせえとかぼやきながら書いてたりします。

他にも日記で、1銘柄を扱う分析と4銘柄並べてみる比較をかわりばんこにやるとかも面倒だよね。

 このあたりはここあたりで理由を書いてるね。

kamomenotoushi.hatenablog.com

会社をタテととヨコ双方から見ることにしてるから。

 

かつ平気で買う気もしないものとかも調べてたります。

いろんな会社を見ることが目的に適うと考えているからね。  

そりゃ、買う気なくてもなるたけ買えそうなものって条件を踏まえて扱う銘柄をチョイスすることが多いけど。 

他にも土曜日には投資で考えたことを整理した記事をだしてるね。これもだいたい毎週で200超えた。これは自分の投資への考えを整理するため。いろんなことを考えまとめるのは一つの楽しみでもあったりするしこれは趣味って部分もそれなりにあるね。でも土曜のはさすがにネタ切れ感も感じてるのでこれはそのうち毎週更新は頓挫するかもしれないと思ってたりもします。

 

で、今回の話はなんでそんなことをするのか?って話だよ

 

その回答の一つは以下だね。

kamomenotoushi.hatenablog.com

銘柄にしても、投資で考えることにしても、それを調べた考えただけではなくインプットだけでなく、アウトプットすることがより自分の目指すことへの近道なのかな?って思うところなので。

 

一つの回答と言いました。

一部は楽しみながらでもあるけど基本わりとめんどいと思うことをとりあえず1000以上程度はしてる。

 

そんなことをするのはなんのためか。 

 

他の一つの回答は以下のようなことだからだね。

kamomenotoushi.hatenablog.com

それが、緊急じゃなくて重要なことだと考えているから。 

これも一つの回答で、ぶっちゃけ答えになってないのだけれども。

 

こう言いながら自分は、その問いに対する適切な答えはこれじゃないかと思ってるものがあります。

 

そんなことを考えて、自分は毎日のように一滴を注ぎ続けてるんです。

ブログを書く行為。アウトプットする行為。その一滴はそれ一つでは実はあまり役に立たないのではないか?とも思えるものも多く含む。

 

それはなんのために?って問いだったね。

その行為にに対する適切な答えはこれじゃないかと思ってるって答え。

 

それは大河をつくるため。

 

なんの大河?

 

お金じゃないよ?

知識の大河。もしくは大河な自分。

 

お金の大河作りたいならツノダなんて扱う必要なんてないでしょ?

でも大河に育てたいのは知識(もっと言うなら知恵)あるいは自分とするならツノダを扱う必要も出てくる。

そう考えています。

 

なぜなら知識は有機的に繋がると考えているからです。ある意味ネットワークというべきもの。

ネットワークを有機的に繋げて知識の大河を構築していくには無駄と思える一滴一滴を投じる行為にも意味が出てくるのです。

 意味を持つのは一滴ではなく、一滴と一滴の間に結ばれた線であるのだから。

そして大河になるのは一滴ではなくその線である。

わたしはそう思うのです。

 

そして一滴一滴で結ばれる線が大河が作るなら。

 

投資でも成果が出てるでしょう。

投資結果は人に属するものなのだから。

そうと考え、一滴一滴垂らしてきたものがささやかな流れとなってきている。

そうも感じる千の一滴を流した今なわけなのです。

 

一滴を垂らすことなんて誰でもできる。

 

しかしそれが千でも垂らせば周りにもそんなことできてる人なんてほとんど見当たらなくなってる。

それが自分の一つの自信となってます。ささやかな流れとともに得ることになった副産物。

 

一滴が大河になるのはいつの日か。

千なのか、万なのか、それ以上か。

知識が大河になる時。何が起こるのか。

それを確かめるべく、自分はまだまだ一滴を注ぎ続けます。

 

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