大河の一滴

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ドラえもんと乞食

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またタイトルが意味不明だと思われそうなタイトルを付けてますが

・・最初にこの記事でいうドラえもんとは、価値生産を効率化するあるいは全く人手を使わずに価値創造する技術や道具を指してます。ロボットやAIやコンピュータやノウハウ・・人の活動を手伝うものすべてあるいは人に変わって生産活動をするものすべてです。

そしてドラえもんを持つものが例えば投資家です。そして投資家は豊かであることが多いですが、それは価値を得れるのはドラえもんが創造する価値を得れるのが誰か?というルールがドラえもんの持ち主に設定されているからです。

 

この意味で投資家は、他者(ドラえもん)が作る価値を与えられるフリーライダーなんだ。まさに乞食です。

醜い乞食 - 大河の一滴

 

自分はそうみなすに至りました。

そんなドラえもんと乞食の話。

 

この大河の一滴は投資ブログですが自分は経済とかを考えることは趣味でしてその方面も結構いろいろ考えて記事にしてきました。

かなりマジョリティじゃない考えに立ってるかもしれないと思いますが例えば以下なんて象徴的かもしれません。

 

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

そういう筋があるのともうひとつこれは投資の話題ですが、投資でたまに話題になる話で投資で世の中に価値を提供しているのか?とか投資家の果たす役割はなんぞ?みたいな話があったりするのですが、これも考えて関連記事など。

 

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

これらは自分の中では別ルートだという位置づけだったんですが、最近それが繋がってきてる気がするのです。

でもこんなこと言っても意味がわからないですよね?

この話はおそらくこんな事考えてる人は極々少数あるいは皆無かもしれなくて、他では聞くこともないような筋の話であまりピンと来られる方も少なさそうと思うところです。

 

だからわりと極端な例をもって話をしていこうと思うところです。

あとはたくさん関連記事あるけど上記4つ記事は前提にしてくれるととても通りがよくなるとは思います。

 

そんなドラえもんと乞食の意義の話。

 

自分はドラえもん理論というのを提唱しています。

それは世の中で便利な道具やロボットができてそれらにより生産性が向上・・・ここでいう生産性は一人で短時間でより少ない労力で様々なもの・・すなわち価値(おにぎり)においてより質が高くより多くのものが作れるようになると、その便利な道具やロボットの持ち主以外は貧しくなるというものです。

 

ドラえもんという便利な道具ができるとドラえもんの持ち主以外はみんな貧しくなるという仮説です。

 

このドラえもん理論は社会が豊かになる社会の生産性が高まるとより多くの人が貧しくなると言うようなもので狂った仮説とみなされるかもしれませんが、これは上記に上げた以下の記事のA集落が辿る道です。

 

むかしむかしあるところに100人ほどの集落・・それがAとBのふたつがありました。 その集落では100人全員が狩りや採集に従事・・つまりは全員で食糧生産に従事していました。 しかしあるとき、木と石で槍をつくることを編み出した人、また動物の皮から袋を作り出した人がでて、槍によって狩りが袋によって採集が80人で行っても集落全員が食べられる食料を確保できるようになりました。

どこかに行った駅員さんになるべきだった人はゲームを作っています - 大河の一滴

 

Aでは、100人で食料生産をやっても食べられる以上の食料がで得られてしまい食べ物が腐ってしまいますし食糧生産は80人で行うことにしたのですが、「働かざるものは食うべからず!」として働かなくなった20名には十分な食料を与えずそのうちその20名は満足に食べられなくていつも痩せこけて力も出せず集落の力にもなることもできず他の80名に「タダ飯喰らいめ!」とか「寄生虫め!」とか言われ続けながら惨めにかわいそうに生きて、そして集落は延々食糧生産に従事するだけで便利にも豊かにもならないのでした。

どこかに行った駅員さんになるべきだった人はゲームを作っています - 大河の一滴

 

再度ですがこの記事でいうドラえもんとは、価値生産を効率化するあるいは全く人手を使わずに価値創造する技術や道具を指してます。ロボットやAIやコンピュータやノウハウ・・人の活動を手伝うものすべてあるいは人に変わって生産活動をするものすべてです。

人が努力しより豊かによりラクしようとするならドラえもんは性能アップし進歩するでしょう。その先にはそのドラえもんは本当に様々な道具であらゆる価値創造をするドラえもんに繋がっていくのかも知れません。

 

しかしドラえもんが本当にできると、ドラえもんの持ち主以外は貧しくなるのです。

あるいは死滅してしまうかも知れません。

 

あらゆる価値創造をこなせる道具ができたとき。

本当のドラえもんが誕生したときに。

ドラえもんの持ち主がその生産した価値・・つまりおにぎりをドラえもんを持たぬものに与えないのであるなら・・・

 

ドラえもんを持たぬものは死んでしまうわけです。

 

ドラえもんを持つものはドラえもんがすべてを生産するので持たざるものの価値創造つまり労働を必要としないし、故にドラえもんが生み出すおにぎり(価値)を渡してやる必要もないからです。

そしてA集落にはドラえもんをもった一人の者がドラえもんが産み出した一人では到底消費しきれぬおにぎり(価値)に囲まれる一方でその他99人が死体になる未来がやってきます。

これがドラえもんによって豊かになった社会の行き着く先です。

 

より少ない労働でムラを維持できるようになったときに”働くざるものは食うべからず”として、働くことにあぶれた者に与えることを拒んだA集落の果てには・・ ”たくさんのモノがあふれるもそれを手に出来ず死んだものの死体が溢れていく”地獄の未来が待っています。

どこかに行った駅員さんになるべきだった人はゲームを作っています - 大河の一滴

 

これがドラえもん理論です。

 

そしてドラえもんは日々性能アップしています。

ハーバーボッシュ法という機能を備えたときに食糧生産が劇的に増え、食糧生産にかけるリソースは劇的に減りました。

製鉄所や造船所ができて鉄で船を作れるようになれば木造船より手間暇を小さくより多くのものを早く運べるようになりましたし、

Suicaが作られればきっぷを見る駅員は必要なくなりました。

最近はAIなどが出てきて、絵が劇的に手間暇小さく大量に作れるようになったし、正確で使用に耐える文章もあっという間にできるようになりました。

日々ドラえもんは性能アップしてるわけです。GDP成長しなくなったぞと言われるこの日本ですら。

 

昨今の状況を見るに未来には本当にこの先ドラえもんみたいなものが出てくることもまったくの絵空事とも言えなくなってきてるかも知れません。

 

かつて人々は未来を信じていました 今よりもっとそれを信じていたとき、よく聞いた話に人がやっている仕事はロボットがやって人はラクできるというものがありました。 めんどくさい作業は自動化され効率化され人が手をわずらわせることもなくなる夢の世界があったわけです。

駅員さんはどこに行ったのだろう? - 大河の一滴

 

日々、人がしていた作業はどんどんドラえもんという道具に引き継がれています。

かつてみんなが夢見た夢の世界は近づいてきているのです。

 

しかし現状はモノと死体があふれる悪夢に近づいているかも知れません。

日本じゃないけど。

Dropboxが全従業員の16%にあたる500人を解雇、原因はAI - GIGAZINE

 

この500人が収入を減らして、おにぎり(価値)を受け取れなくなるのならそれはモノと死体が溢れる、与えるモノはあるのにそれを与えるのを拒み死体をつくるA集落の地獄の未来で・・・ドラえもんが作る地獄の未来です。

 

さあ、人類はドラえもんの性能アップという経済成長をどのように扱うのでしょうか?

 

さてここで話は変わります。

実は私かもめはドラえもんを持っています。

それは上場企業です。

企業は日々価値創造をする道具でありつまりこの記事でいうドラえもんです。

 

水田わさびさんか大山のぶ代さんの声かは知らないけど、JR東日本というドラえもんが「E233系〜」とかいってひみつ道具をだすとたくさんの人を運ぶとう価値創造ができるわけです。

これは「113系〜」とか言ってた頃よりより少ないリソースでたくさん運べるようになってるはずで、それはドラえもんの性能アップといえましょう。

言い換えればこれが経済成長です。

まあ自分はJR東日本は持ってないけどね。でも他の企業というドラえもんはもってるし、そのドラえもんは利益を増しているようでつまり性能アップしてるとみなせそうです。

 

そして自分のもつ企業が価値創造をした対価としてお金を受け取り、それがまわって自分が受け取ることになって、自分はたいした価値創造をしてないけど、JR東日本で乗客を運ぶとか、iMacでもOffice365かなんでもその企業というドラえもんが価値創造した価値の対価のお金を受け取ってるわけです。

 

そうです。自分はたいして価値創造をしてないわけです。だけど価値を受け取れている。

ドラえもんという道具が自分に変わって価値創造をし、そしてその価値創造の対価はドラえもんの持ち主が受け取るというルールだからです。

 

そしてたまに言われる投資家は投資は価値を産んでいるのか?という話は・・

これは自分は価値を産んでいないとみなすようになりました。

なぜなら、価値を産んでいるのは企業というドラえもんだからです。

投資は価値を産んでなく投資家はフリーライダーです。ええ。

これはまさにそのはずで自分は価値を受け取れるか否かは、自分が価値を産むかではなくドラえもんが価値を産むかで、ドラえもんが価値を産むなら僕は寝てても価値を受け取れるからです。

 

ドラえもん(道具、企業)が価値を産むなら、その持ち主は寝てても価値を得れる。故にその持ち主は価値を産んでいない。フリーライダーである。

 

価値を産むことになる設備投資には価値があるだろう?だって?それはそうかもね。でも投資家、あなたには価値はないね。だって設備投資するのもその設備を使って価値を創造するのもあなたじゃない。

 

でもそれがどうした?

専業投資家は増えてるように思えます。

たぶん明治あたりより増えてるでしょう。昭和あたりならもっと、バブル期より今のほうが多いでしょう。

価値を創造しない専業投資家が増えるなら増えすぎるなら社会に価値が足りなくなってしまいます。

価値を創造しない乞食が増えすぎると社会は維持できなくなります。

しかしそんなことは起きていません。

 

なぜならドラえもんが性能アップしてるからです。

ドラえもんが価値創造をしてくれるおかけで、のび太(専業投資家)は価値創造をしなくても生きていけるのです。

専業投資家・・・でもニートでも年金生活者でもそれがより増えても社会が維持できるのはドラえもんがいるからです。

そしてこのドラえもんの性能アップこそが経済成長です。

 

ドラえもんがより性能したアップした結果、より多くの人がなれたわけです。

専業投資家(増えてますよね?)もニート年金生活者も。

 

あるいは専業投資家はふえてないかもしれない。でも企業利益は増えてます。時価総額も企業から出る配当も。専業投資家とまではいかなくとも投資によって。企業というドラえもんが行う価値創造のおかけで幾分かは働かなくてもよくなるそれでも豊かに生きれるという事象は進んでいるわけです。

 

投資家になんて価値はありません。

だって生産活動、価値創造をしてないんだから。

そんな価値を生産しない投資家の存在が許されるのは、ドラえもんという価値創造装置の性能アップという経済成長が故です。

 

投資家なんて価値がない。でも、その価値のない人が存在できるのは。そういう人も増えていけるのなら。

それはドラえもんという道具の性能アップによって、社会がより少ない労働力でより多くのものを産み出せるようになったという経済成長のお陰であり、それは苦しくしんどい価値生産をしなくても生きていけるところに到達できる証明であります。

 

価値を創造しない投資家なんて乞食だけど、その乞食が存在できることには価値がありませんか?

 

人が夢見た世界があります

かつて人々は未来を信じていました 今よりもっとそれを信じていたとき、よく聞いた話に人がやっている仕事はロボットがやって人はラクできるというものがありました。 めんどくさい作業は自動化され効率化され人が手をわずらわせることもなくなる夢の世界があったわけです。

駅員さんはどこに行ったのだろう? - 大河の一滴

 

その夢はかなり叶ったと自分はこの記事でいいました。

そして叶うと職場から人が消えると。

 

でも思い返せばホントに叶ってたんです。その職場からはロボットがなした効率化のせいで人手が少なくなり残された働く人はラクにはなってはないのかも知れない。

けれど、玉突きでラクになった人はいたわけです。

それが例えば専業投資家です。ニートかもしれません。年金生活者かもしれません。

 

ドラえもんが創造した価値をどのようにわけるか?という問題は突きつけれますが、少ない労力でより多くの価値を創造できるようになり確かに誰かはラクに豊かに生きれるようになってきたわけです。

 

僕らは夢の世界を生きている

人がやってた面倒な仕事はロボットがやって人はラクできるという夢の社会は実は到来・・というかじわじわ進んでいるのです。少しずつ少しずつ。

働くことは素晴らしいことだと思います。しかしその中には少なくない苦難や理不尽な苦しみや必要でもない艱難辛苦も混ざります。

経済成長というドラえもんの性能アップはその苦しみから人を開放します。その職場では起きないかもしれない。けれどそこから離れたところでそれは起きてるのです。

 

その価値の分け方には理不尽や問題もあるかも知れない。

 

でもドラえもんの性能アップで少しずつ少しずつ。

ドラえもんの性能アップで少しずつ少しず苦しみから開放される人も出てくる。

救われる人が増えていくわけです。増えて来たわけです。

それを綿々と重ねてきた経済成長を続けてきた果てにできたのが今僕らが生きる夢の世界だったんです。

 

ならばいいじゃないか。

その人はおにぎり(価値)を創造しない乞食でもおにぎり(価値)を貰えたって。

そしてドラえもんの性能アップ・・つまり経済成長すればするほど乞食であっても生きていける人が増えていく。

 

その人は乞食で価値がなくともそんな社会は素晴らしくないですか?

だってそれは人がやっている仕事はロボットがやって人はラクできるという夢の世界なのだから。

 

自分の夢はちょっと変わりました。

 

価値生産の効率化と新たな価値生産の誕生の連鎖という経済成長をし、死体になる人にも価値を与える社会の中で面倒は人以外のなにかに任せ、寝ながら価値を享受する”働かざるものも食える”世界で寝て暮らすことなのです。

どこかに行った駅員さんになるべきだった人はゲームを作っています - 大河の一滴

 

みんなで寝て暮らすことだね。

それはまさに面倒はロボットが引き受けて人は楽しむ夢の世界。

それはドラえもんが性能アップするのなら。そんな世界も経済成長していく果てにあるかもしれない。

醜い乞食はそう思うのです。

 

まあ、ドラえもんの持ち主しかおにぎりを受け取れないというルールは変えないと悪夢になるかもしれないけどね。モノは溢れるけど、そのものを受け取れない多くの人が死体になりモノと死体が溢れる悪夢の世界。

価値生産をせずに価値を享受する乞食は特に世界がそうならないために考えていくことが必要だと思うんだ。

 

 

面倒なことはロボットに押し付けて

みんながラクして楽しめる夢の世界は来ますか?

 

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