大河の一滴

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どこかに行った駅員さんになるべきだった人はゲームを作っています

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駅員さんはどこにいっただろう?

という記事を以前書きました。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

まあそれはクビになったというか新たに駅員としては雇われなくなったのであろうという話で、

駅員をするはずだった人は仕事を失いお金を得れず豊かになった社会の恩恵を受けられない・・

”そして世界にはたくさんのモノと死体が溢れていく”

 

という話ですが、今回はその自己アンサー記事というか。

駅員さんのその後の話というか自分の考える経済成長とはなにか?という話。

 

最近分配やらインフレとかデフレとかを考えていて3本記事が出来てそれのシリーズ三本目。

一緒に見てくれるとより自分の言わんとすることが理解してもらえるのではないかと。

一本目。

kamomenotoushi.hatenablog.com

二本目。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

そして今回が三本目の話です。

A集落とB集落と経済成長の話。

 

ある集落AとBの物語

むかしむかしあるところに100人ほどの集落・・それがAとBのふたつがありました。

その集落では100人全員が狩りや採集に従事・・つまりは全員で食糧生産に従事していました。

しかしあるとき、木と石で槍をつくることを編み出した人、また動物の皮から袋を作り出した人がでて、槍によって狩りが袋によって採集が80人で行っても集落全員が食べられる食料を確保できるようになりました。

 

そこで2つの集落は別の道に進みました。

Aでは、100人で食料生産をやっても食べられる以上の食料がで得られてしまい食べ物が腐ってしまいますし食糧生産は80人で行うことにしたのですが、「働かざるものは食うべからず!」として働かなくなった20名には十分な食料を与えずそのうちその20名は満足に食べられなくていつも痩せこけて力も出せず集落の力にもなることもできず他の80名に「タダ飯喰らいめ!」とか「寄生虫め!」とか言われ続けながら惨めにかわいそうに生きて、そして集落は延々食糧生産に従事するだけで便利にも豊かにもならないのでした。

 

Bでは、80名で食糧生産をするのは一緒ですが・・「槍や袋で豊かになったのだから休んでていいよ。食料も与えよう。」と、食糧生産から外れた20名にもちゃんと食料を与えました。

しばらく20名は食料を分けてもらいながら寝てましたが、ある日暇を持て余した一人が服を作り出しました。それは時間をかけて広まりその集落では服を身につけて寒さにも耐えられるようになり寒い時期にも食糧生産が可能になり食糧生産は75名で済むようになりさらに5人は食べ物をもらい寝てても大丈夫になりました。

その後ももちろん食料をもらうだけで寝ている人もいましたが、一人一人だんだんと服を作りだし桶を作り出し弓を作り出しあるものは子供の面倒を見たり教育を施すようになったりと集落はだんだんと・・でも着実にモノが増え便利に豊かになっていったのでした。

 

それでAの集落はずっと貧しく、Bの集落は豊かに発展したのでありました。

めでたしめでたし。

 

という話なんですが

自分がかつて放った呪いの言葉・・

”そして世界にはたくさんのモノと死体が溢れていく”

は、食料を十分に生産することが可能でありながらそれを皆に与えるのを拒んだA集落の未来だと思うんです。

さてそんな集落の話はさておき

多くの人は経済成長しろ!とかいいますがそれはどういうことか?というのは今ひとつ整理されてない気がしてるのです。

今回はそれは自分が思う・・ものではありますがそれはこういう形であろうというのを話すエントリーですね。

 

つまりは”B集落の未来”の話。

 

とどのつまり経済成長とは・・

それは自分が考えるに多分以下のような形をしてると思うんです。

 

駅にSuicaを入れて駅員を少なくし、そこでできた駅員の余裕でゲームをつくること。

とても雑なざっくりとした例えですけどね。

 

これをもっと抽象的に言うと・・・

それまでより少ない労働で。

それまでより多くのものを。

それまでより質のいいものを。

生産できるようになること。 

 

A集落でもB集落でも槍と袋を発明し、食糧生産をより少ない人数でできるようにした。

これは経済成長です。

そしてB集落では、これで生まれた余剰を活かしさらなる発明や改善をし経済成長の連鎖を進めていきました。

そしてもっと言うならばこの連鎖こそ経済成長であり食糧生産のみしていた我々が今日の生活をしている理由そのものだと思うんです。

 

それまでより少ない労働で。

それまでより多くのものを。

それまでより質のいいものを。

生産できるようになること。

そしてそこで生まれた余剰を新たな価値生産に向けていく連鎖。

駅にSuicaを入れて駅員を少なくし、そこでできた駅員の余裕でゲームをつくること。

これこそが経済成長だと考えることろです。

 

そしてこれはお金の話ではありません。これは価値の話です。

みんながお金をよりもらえても世界のおにぎりが増えなければみんなが手にできるおにぎりは増えません。

故に経済成長とはより少ない労働でよりたくさんのより質のいいおにぎりを作れるようになることです。

だから労働者を叩いてより働かせてサビ残させて安くおにぎりを作ることのわけないでしょ。より少ない人数少ない労働時間でよりすくない労力でより多くのより質のいいおにぎりを作れるようになることだって。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

そして実際に大きくは歴史はその流れをたどってきました。

はじめて鉄道を敷くときそれまで川で筏で荷物を運んでいた人は仕事を失うとして大反対したそうです。

しかし鉄道は敷かれるようになり筏でものを運んだ人はクビになりました。そしてその結果それまでの筏より圧倒的に少ない人数で安定的なより多くのものが運べるようになったわけです。

そしてそのあまった筏で荷物を運んでいた人は例えば駅員になったのです。あるいは石炭を出す炭鉱で働く。あるいは電力を生み出す発電所で働く。

その結果社会では働く人はさして増えてないのにそれまでより大量のものを簡単に運べるようにり、石炭で暖房をして寒い中でも生活ができるようになり、生み出された電力はそれまでより明るく街を照らしました。

 

これが経済成長の形です。

お金じゃないです。価値生産の話です。

 

蒸気機関が生まれればそれまでより遥かに楽に多くの荷物を短時間で運べるようになったし、コンピュータが生まれればたくさんの人が一生懸命計算をしなくてもより正確な保険の価格設定ができ少ない人数でより多くの保険を管理できるようになります。

そして駅にSuicaを入れるなら一日中きっぷを見て鋏を入れていた駅員は居なくなってもより多くの乗客を運べる様になるのです。

より少ない人数で労働時間でよりたくさんのより高品質の成果物ができるようになる。

これこそが経済成長の形です。

 

なので経済成長をするならぼくらの身の回りではある仕事に携わる人が減る・・あるいは人が増えない割にはお客さんが増えていくはずです。

レジからはレジ打ちの人が消え、居酒屋では注文は人じゃなくタブレットが受け付けるようになり、電話でしていた注文はネットでされるようになり、駅は駅員が減り無人化も進んでいく。

それらが進むに連れ局所的にはわからないけど、社会全体としては働く労力を減らしながらより多くのより高品質のものが増えていくことが進行していくことになります。

 

というかいま現代でもそれは進んでいないでしょうか?

 

今も例えばスーパーのレジの無人化は進んでます。

それは経済成長なのです。

 

そして経済成長の連鎖が想像できるでしょか?

かつて駅員をやった人は今はゲームを作ってます。

駅にSuicaを入れたから、それまでより少ない人数でより多くの人を運べるようになったから、その余剰で今までなかった産業であるゲーム産業も作れる余裕ができたのです。

今僕たちが楽しいゲームをできるのは食糧生産のみしてきた頃から延々経済成長をしてきたからです。

 

だからこれは”B集落の未来”です。

 

その連鎖を想像できるでしょうか?

そうやってかつて農民をやってただろう人は駅員になり、駅員をやってただろう人は今はゲームを作ってます。Switchのインディーズゲームをつくってるかもしれないね。もし今よりもっと少ない人数で面白いゲームが作れるようになるならその人はきっと別の何かを生み出すことになるのでしょう。あるいは寝てもらうかもね。もちろん作った食料はあげて作ったゲームも楽しんでもらいながら寝てもらっても世界は貧しくなりません。だって経済成長したんだから。

 

そうやって、より少ない人数で少ない労働時間でよりたくさんのより高品質の成果物ができるようになることの繰り返しで、世にそれまでなかった新たなものが作れるようになることの連鎖・・・経済成長の連鎖が想像できますでしょうか?

 

しかし自分にはその連鎖の回転がおかしくなってるように見えるんです。

特に日本ではね。

 

ゲーム産業は昔ありませんでした。

そしてできていきなり今の大きさになったわけではありません。

ゆっくりゆっくり大きくなって今の大きさになったものです。

なぜそうやって大きくなってきたかというならば、ゲームを作る人達が頑張ったからです。

もっと売ろうとし、時にはお金や時間が無駄になるかもしれない勝負をしたこともあるのでしょう。

 

そしてなぜ勝負したかというなら・・

”お客さんが居ると思ったから”

”実際に大きくなったのは実際にお客さんが居たから”

人は勝算がない勝負はしませんし、実際にお客さんが居なければどんな天才がどんな努力をしてもどんな産業だって育つことはありません。

 

それに関わる人が頑張って大きくなるのはその関わる人の頑張りという生産面の理由とそれを買うお客さんの需要面の2つの回転が必要です。

 

経済成長の連鎖には生産と需要の回転が必要です。

生産でいくら頑張っても需要が足りないとその連鎖は止まります。

 

お客さんが居なければ頑張ってもものは売れないし、お金が与えられないのであるならその商品が欲しくてもお客さんにはなれないのです。

100万円しかもらえなかった人は決して120万円分の買い物は出来ません。借金すればいいとかいうな

 

クビにされた駅員さんはゲームを作れません

なぜなら同じくクビになった他の駅員さんもお金がもらえなくなりゲームを買うことができないからです。というかゲーム市場の顧客なるべき人がお金を与えられないのなら顧客が生まれないという理由でゲーム市場そのものが誕生しません。

集落に余裕があるのに食料(お金)を分けてもらえず、罵倒をあびせられ惨めでひもじい思いをしたA集落の20名と同じだし、それであらたな価値生産の誕生の連鎖を断ち切ったA集落と一緒です。

 

より少ない労働でムラを維持できるようになったときに”働くざるものは食うべからず”として、働くことにあぶれた者に与えることを拒んだA集落の果てには・・

”たくさんのモノがあふれるもそれを手に出来ず死んだものの死体が溢れていく”地獄の未来が待っています。

 

そんな未来見たくはないでしょう。

自分は見たくない。

まあ、たぶん自分の人生の半分くらいはこれを見せられてるとは思うところですけどね。

 

経済成長すべきだと思うんです。

それまでより少ない労働で。

それまでより多くのものを。

それまでより質のいいものを。

生産できるようになること。

駅にSuicaを入れて駅員を少なくし、そこでできた駅員の余裕でゲームをつくること。

これすなわち成長。

 

そしてそこで出来た鉄道で人を快適に運ぶことや作られたゲームをそれを楽しむ人に分ける。

それらを必要とする人がお金を持ってないのならお金をあげて鉄道に乗ってもらいゲームも遊んでもらう。

これすなわち分配。

 

その価値を必要とする人が価値を得られ価値を提供するものもより対価を得てそしてさらなる生産力をあげる努力が続けられていくこと。

そこで生まれた余剰を新たな価値生産に向け余剰になった価値を分けあたえさらなる価値を生産していく連鎖を続けていく。

これこそが自分が経済成長だと考えるものです。

B集落に連なる未来です。

 

そういう話でしたとさ。

そう思う自分の夢は相も変わらず。

価値生産の効率化と新たな価値生産の誕生の連鎖という経済成長をし、死体になる人にも価値を与える社会の中で面倒は人以外のなにかに任せ、寝ながら価値を享受する”働かざるものも食える”世界で寝て暮らすことなのです。

 

A集落を選びますか?

それとも・・

B集落を選びますか?

 

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あとは以下なんて読んでくれると自分の言いたいことがより伝わるかもしれない。

たぶんおにぎりがその中心的記事。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

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