大河の一滴

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駅員さんはどこに行ったのだろう?

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自分は結構鉄道ファンみたいなところがあって有り体に言えば鉄オタだったりします。

そんな自分の思い出話から。あまり鉄だということに関係ない話になるかな。

 

昔は朝駅にいけば改札がたくさんあって、そこの改札すべてに駅員さんがいて忙しそうにまただるそうに切符を見ているのだか見てないのだかあふれる乗客をさばいていたものです。ホームに降りれば人があふれる電車に人を押しこむだけの駅員さんもいたりして。

駅というものには、数えきれないほどの駅員さんがいたものです。

そして数えきれないほどいても、自分が何かの用で声をかけてもいかにもめんどくさそうに事務的に対応されたなんて覚えがあります。

それほど人がいても忙しくてガキなんぞにかまってられないほど(サービス精神の変化もあるかもしれない)駅とは働く人が忙しく仕事にあふれる場所だったんです。 

その景色はいつしか変わりました。

自動改札が導入され改札に立つ駅員はいなくなり時折切符が詰まる時にでてくるだけになり、さらにはICカードなんて出ると切符詰まりを解消する仕事もなくなりました。

電車も改善され本数も増え人を押し込めなければ乗れない事も少なくなりました。

今では一日に数万人程度乗り降りするくらいの駅では忙しいはずの朝でも駅員さんは奥の部屋に一人か二人いるだけで電車に乗り降りするくらいなら駅で駅員を意識することもなくなりました。駅によっては下手したら無人もちらほら。 

忙しかったはずの駅からは駅員はいなくなりました。

僕は時々思います。

駅員さんはどこにいったのだろう?と。

まあその答えは知っているんですけど。

同時に僕は投資家として鉄道会社がどういう業績の変化をしてきたか知っていますから。

効率化が図られている。です。

駅員はクビになったわけではないでしょうが、あたらしく駅員になるための人を雇うのをやめたのでしょう。駅は効率化され駅に仕事はなくなったのだから。

かつて駅員だっただれかは別の仕事でもしているのでしょう。おそらくはその鉄道会社で。あるいはクビになった人も少しはいるかもしれません。

かつて人々は未来を信じていました

今よりもっとそれを信じていたとき、よく聞いた話に人がやっている仕事はロボットがやって人はラクできるというものがありました。

めんどくさい作業は自動化され効率化され人が手をわずらわせることもなくなる夢の世界があったわけです。

鉄道の会社においてはその夢は成ったと言えそうです。

鉄道の駅にかぎらず他の場所でも夢が叶い人が消えた場所はたくさんあろうと思います。

 

かつての人々の夢はかなり実現したわけです。

そして夢が叶うと人はいなくなるのです。

 

そこにいる人の作業を少なくするのと人を少なくするという選択が提示された時、前者が選択されることはあまりなかったのです。そしてそこに人がいる必要はなくなったのです。

誤解を恐れずに言うならそれらを指して自分は世界は豊かになったと言うでしょう。

しかし夢がかなった世界は夢の世界たりえるか?

今そんなことを思い浮かべています。 

話が見えてこないと思います。

僕は夢の世界の話をしています。

 

もっと夢の話をしましょう。

もっと効率化された世界の話です。

工場では人がやっていた作業をロボットが行います。

もちろん工場で働いていた人はクビ。だって人を雇わなくても今までと同じくらいあるいはそれよりたくさん製品は作れるようになったんですもの。なんで今までどおり人を雇い給料払わなきゃならないの?と経営者と株主は言ってます。

クビになった人は次の仕事を探します。しかし他でも同じことが起き、世界から仕事は 少なくなって仕事は人々より少なくなっていきます。

 

横でそれを見た人は、そんな人は才能がない、努力が足りない、きつくてお給料の少ない自分はやろうとは思わない仕事をさしてほらそこに仕事があると言う。

才能があっても努力してても工場が効率化することは避けられなかったでしょうに。人がクビになることも。

効率を要求されて疲れている人々にはそんな事に思い至る余裕もないし、至ってもラクしてお金をもらうことを許すことなんて出来なくなってます。

自分はこんなに頑張っているのに!と怒りが擡げてくるばかりです。

 

世界は効率化したんだからその分他の仕事が増えるわけでもありません。だってその仕事は人の代わりの何かが行うようになったんだから。新しく仕事を作るったって効率化されるスピード以上に今まで誰もお金を払わなかった事の中から新たに誰かにお金を払わせる新しいことなんてそうそう作れません。

そんな世界をみてある人は仕事を探すのを諦め家に引きこもるかもしれません。ある人は恨みと無力感を持ちながらホームレスになるかもしれません。ある人は絶望して首をつるかもしれません。

 

それは効率化は人にラクさせるためのものではないという世界での話です。

効率化や生産性向上に取り組む人は人で必死です。そうしなければ自分は死ぬと思って取り組む世界の話です。

その世界ではそれまでより人手がなくても維持できるようになり人々が仕事を奪いあっていくことになります。

そして効率化にあぶれた人はお金をもらえず経済活動から堕ちていく世界の話です。

 

そして世界は効率化され仕事は少なくり少なくなった仕事を人々が奪い合い世界にモノは溢れるけれど仕事獲得競争に敗れた人はその溢れるモノを手にすることは出来ない。だって経済から堕ちて経済の分配機能を享受できなくなってそのモノを買うお金を手にすることができなくなるのですから。

生き残った人もさらなる生き残りをかけ効率的に振る舞おうとします。

効率的にならないと死んでしまうのですから。

 

そして世界にはたくさんのモノと死体が溢れていく。

 

自分は豊かになった夢の世界は別に夢の世界なんかじゃないとも言いそうです。 

 なんてことを考えてみました。というエントリーでした。

夢の世界では効率化も生産性向上もいいことだけではないという話になるのかな?それは、すべての問題を解決する魔法ではないということなのでしょうか?

それは何かの問題を解決すると同時に別の問題を発生させるクスリのようなものかもしれません。

別の問題が発生するなら別のクスリが必要なんじゃないかと思うわけです。

例えばを言うなら効率化されて生み出し方が変わるならそれに合わせて分け方を変えるというクスリ。

分け方がもっと夢の世界にあったものになるならそこには本当に夢の豊かな世界ができるかもしれません。

だって夢の世界は人以外の者が働き効率化はなり、それまでより働く量を少なくしても必要なモノはそろうのだから。

 

面倒は人以外のなにか任せて人は寝てればいい。

物好きな僕はそんな夢の世界を見てみたいなあと密かに思っているわけです。

 

あくまで夢の世界のお話ですよ? これは夢のお話。

現実の僕らの生きる世界は効率化し生産性を向上することはすべてを解決する魔法足りえるに決まってますよね?

 

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