大河の一滴

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投資家のノブレス・オブリージュ

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ある日こういうTweetをみまして。

 

 

そこでわりと皆様の意見など出る感じに論争?になったわけですが、この投資利益の正当化とか投資の意義とかみたいな話題は時折出る印象です。

それがなぜ出るか?

そしてどうするべきか?なんてことを考えてまとめて見るなんて話。

あくまでかもめはそう考えるって話だけど。

自分は結局ノブレス・オブリージュしていくしかないと思うんだよね。

そんな話。

 

ノブレス・オブリージュとはなんでしょう。

ノブレス・オブリージュといったけどね。

ノブレス・オブリージュとはこういうの。

wiki

ja.wikipedia.org

 

ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige フランス語: [nɔblɛs ɔbliʒ])とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。」

 

この言葉が出てきたのは1800年を過ぎのフランスで、18世紀とかなり昔のように思えますが、実はこれも新しくてこのようなことは実は散々考えられてきてるんです。

 

大きな財産や権力や地位の保持には義務と責任が伴う。

裏を返せば、義務と責任を果たすから富や権力を保有してもいいよね?ってことです。

つまり富や権力の保持の正当化のために持ち出されたという話なんです。

 

そして富や権力の正当化なんて過去から延々繰り返して来たことなんです。

 

神に認められたから王権は正当である。なんて王権神授説もあるし。

啓蒙君主あたりは優秀な我々が民を導くから王権は正当である。って話だと思うし、

日本なら力で権力をもぎ取った人たちは天皇に認めてもらったから正当ね?とか権威づけるなんてことはずっとやってるし、過去の多くの君主は宗教に権威づけてもらい正当だなんてしてたわけだし、金持ちだって大きくの文化で寄付をしましょうなんてあるわけでこれはつまり寄付をするから大きな富を持ってていいよね?って話だと思うし・・

つまり

 

○○だから

○○するから

富や権力を自分がもってるのを許してね?とか自分が持つのが正当である。

 

そんなことは文明社会が築かれてからずっと延々人類が繰り返してることでそんなことは日常茶飯事でその中でわりと最近出てきたそれを総括的に説明する言葉が。

 

ノブレス・オブリージュだと思うところです。

富の保有には責任が伴う。責任を果たしてこそ富の保有は正当化される。

 

じゃあなぜそれは日常茶飯事なのか

大きな富にしろ、権力にしろそれがある人に集中してるのはそもそも正当じゃない。でも手にした人はそれを手放したくないからじゃないでしょうか。

だから、過去も今もそれを手にした人たちはあーだこーだ理屈をつけてそれを正当化しようとしていたわけです。

それを手にしたものが手にしたものを完全に自由に扱うことは普通は他のみんな・・社会は許容しないため理屈をこね回す必要があった。

神さまとかエライ何かとか人がくれたんだよとか言ってみたり、自分が導くおかげで豊かになってるんだよとかその他諸々諸々、あの手この手の理屈をこねて。

 

それは俺のもんだ!ってくり返し来たのが人類の歴史なわけです。

 

その意味で投資家共の間でも投資の意義とか利益の正当化とかの話題が出続けるのはとても自然なことなんです。

だってそこにはギャップがあるはずだからね。

 

投資利益は正当化しきれないギャップがあるのです。

少ないときはそうならないと思うんだけど、大きくなると無茶苦茶なんです。投資利益。

 

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

 

投資は常に労力と報酬が見合わない。

それは大きくなるならいずれ複利のちからで億とか数十億にもなっていく。

そして今というとき数億くらいは絵空事じゃないという投資家さんも無視しきれないほどいるのではないでしょうか。

思うはずなんです。というか自分は思います。

 

このカネはなんなんだ?

俺はここまでもらうに足る価値提供なんてしてねえぞ。

 

たぶん多くの人もそう思うんじゃないでしょうか。

でも、だからといってこの大きな富をむざむざ手放す気にはならないわけです。自分だってそうです。

 

だから言うのです。

投資にはこんな意義がある。

○○だからこの投資利益は正当化される。

 

それは、過去の権力者や富豪がそうしたと同じように言うわけです。

この富は正当である。このような価値を私は提供してるからこの富は俺のもの。

例えば、市場に流動性を提供している。

投資知識を広め投資家の向上に資してる。

投資されるから社会が発展する。

エトセトラエトセトラ・・・

あるいはもらい過ぎだと思うからなにか価値を還元しないと・・と考える方もいるでしょうね。

 

まあそれらは社会に提供する価値とも言えるのでしょう。

しかしどうでしょう?

それが例えば社会の秩序を安全を守る警察官の報酬に比べて、それが何十何百倍になったとき。

 

投資家は何十何百倍の価値を提供したと言えるのか?

流動性を提供すれば警察官の何百倍の報酬だってももらっていいの?

 

たぶん言えないと思うんですよね。というか提供する価値と報酬にギャップを感じるからこそそんな話が出てくるのです。だって警察官なら利益の正当性とか言い出さないからね。

だから投資家はまず認めないといけないと思います。

 

この富は自然には正当化できない富であると。

 

そしてそれは歴史の中でヒトが繰り返してきていることです。

それは繰り返されるような普遍的なことだから今日も投資家共は得た富と提供したであろう価値とのギャップに悩み、過去の富豪や権力者も同じ問題に対峙したように同じ問題と対峙するわけです。

 

この富を奪われないためにどう正当化したものか?

 

そして実際に多くの投資家も意識無意識かはわからないけどそう思うのでしょう。

これはもらいすぎだ。でも手放したくない。

それは投資家でも誰でもがその大きな富をそう思うのは当然で、それが正当じゃないね?ってなるなら取り上げる理屈になるからね。

正当じゃないってなるからこそ、革命が起きれば殺して奪うし、そうじゃなくても高い税率を貸す理由になります。

 

投資家だってその富の正当化を成すことができなければいずれその富は奪われてしまうでしょう。

かつて倒された権力者のように。

富も権力も命も奪われたフランス革命時に貴族王族のように。

富を独占するものとして裁かれた財閥のように。

今だってだまっていればいずれ過剰なる富を得るものとして高い税を課されるようになるかもしれません。

 

でもそれはやっぱり嫌ですよね?

だって増税とかの話がでればブーブーいいますし今日もツイッターでは投資の意義やら利益の正当化なる話題を口にする人もいるわけですから。

 

投資家のノブレス・オブリージュ

勘違いしないでください。

これは自分のために行う綺麗事です。

自分が運良く積み上げることのできた富を俺のもんだもう手放さねえ、さらにはもっと積み上げてやるとするために自然な道理を捻じ曲げて宣うものがノブレス・オブリージュなのです。

 

大きな富は元来、理屈をこねて正当化や意義を説明しないと肯定しきれないのです。

 

それは歪な形です。しかしそれは過去に富を手にしたものが同様に対峙した問題でそれと同様に自分も自分が手にしたものを守るために高らかに掲げるものがノブレス・オブリージュ。それがグロテスクな形をしていると知りながらも掲げるのがノブレス・オブリージュ

そして歴史は繰り返されるのです。

 

しかし自分はいい方法を知っています。

本来はそれは正当化しきれないもの。自然なものを捻じ曲げてこそそれは正当化される。

 

なら捻じ曲げればいい。

自らの提供した価値と得た報酬のギャップに悩むのなら、自らの提供する価値をあげてしまえばいい。

 

投資家が得た富で。その知恵で。社会に価値を提供すればいい。

 

自分は投資家は社会のことを考えるべきだと考えています。

それが社会の仕組みの力で過剰な利益を得るもののすべきこと。

その手にした利益を守るために社会に価値を提供し社会をより良きものにすべく考えていくこと。

そして価値を提供するからこそその利益も肯定されていく。

それが投資家のノブレス・オブリージュなのです。

 

 

あなたはその富でその知恵で

社会にどんな価値を提供できますか?

それはあなたが手にした富に見合う価値ですか?

 

 

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