大河の一滴

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まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

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醜い乞食

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乞食って醜いよね?

それは何故でしょう。

あっと自分は乞食をディスるつもりがないことを予め言っておきます。

 

(ジョブ的な乞食ではなくてもっと本質的なカタチとしての)乞食から感じる本質的な醜さとはこれかな?って思います。

 

自らは何も作り出さず、他人の創りだしたものをくれくれ言ってその行為に依存するというところ。

 

人は、元来そういうものを嫌悪するようにできているのかもしれません。

自分もなにもせずただクレクレ言っているような人をみるとイラッとすることもありますし。

 

それに対し実際の乞食って何も生み出してないかといえば生み出しているかな?って思います。

ただくれというだけではなく、人から気持よくあるいは効率よく貰うノウハウだってあるし、国によっては乞食にものを恵むことが贖罪の意味になっていたりと一定の社会的存在意義もある。

実際にあるかどうかはちょっとわからないけど、乞食が実は変わり者のお金持ちの仮の姿だったりとかそれなりに創作っぽい話でも聞きます。(モデルがあっても不思議じゃない)

乞食をしているのだって仕方のない理由で追い詰められた故かもしれないし。

だから自分は乞食だから醜いとは思いません。

 

しかし醜い乞食がいるね。という話。

僕はその乞食は実際の乞食より醜い存在だと感じている節もあります。

 

その乞食はこんな乞食 

その乞食の多くはたぶんその他の多くの人々より頭がよくずる賢い。

多くは乞食なんてしなくても生きていけるのに、他に選択肢もあるはずなのに、乞食であることを選んでる。

恵んでもらってるところにでかけたかと思えば、お前はここが悪い。ここを改善しろと口やかましく、そのくせ改善すればもう用が済んだとばかりにさっさと他のところに行ってしまう。

言いたいことだけ言って、相手が言うことを聞かなそうであるならこれもさっさと、見切って他に行く。

相手が窮地に陥るとあれば、相手のことを慮ることなんて全くせず、さっさと逃げ出す。

いつも考えることは自分のことばかり。自分がいかに儲けるかということばかり。

酷い時には、ここは付け込めると判断するのなら、出かけて行ってそこの人たちを締め上げお金を巻き上げ用が済めばさっさと放り出すなんて手の込んだやり方をする乞食も。

しかも自分のためにやっていると言えばいいのにそれがみんなのためだなんて宣いつつやってることはやっぱり自分のため。自分のためにならないことがわかれば言ったことなんてしらねえとばかりに我先にと逃げ出していく。

もっと俺に富をよこすことこそがみんなのためと本当の乞食なんかより遥かに図々しく自信満々に宣言する。

乞食が乞食であると自認してればまだましだけど、自らは何も生み出さず他人に乗っかり社会に乗っかっているからこそやっていけていることをわかっているのかわかってないのかエラそうにしている乞食。下手したら自分は王様だとすら思ってる。

 

そんな乞食。

醜いよね?

 

僕は、それは乞食より遥かに醜い存在だと思います。

その点トレーダーの方がまだまし、自分の力で他のトレーダーからお金を奪うことしか考えてないトレーダーだってなにかに寄生しようなんて考えてなさそうな分くらいは醜くない。

 

もしそうでないと言うなら、この質問にどう答える?

 

あなたはその乞食であることで他の誰かに社会に何か付加価値を提供しているのか?

それはあなたでないとできないことか?

 

自分はこの質問に返せる解を持たない。

だから自分は醜い存在だと思ってる。

 

その乞食の出来ることは寄生先と共に往くこと寄生先と共に心中することだけです。

言いかえれば寄生先を買うことと売ることだけ。

それしか出来ない醜い乞食。

 

それが株式投資家です。 

 

 じゃあなんでお前は投資家なんてしてる?

 投資が好きだからね。好きでやってる。

それが本質的醜い存在だと感じつつでも好きだからやってる。

醜いからどうした?そんな自分の存在意義で悩む時期はもう過ぎたんだ。

醜い乞食だが、好きだからやらせてもらう。投資が面白いと思うからやらせてもらう。

そういうことだ。迷惑をかけないみたいな振る舞い方は出来ると思うし

そして自分だって自分が醜いと言うことでそれの免罪符にする事を考えるくらいにはずる賢いんだ。

 

でも醜い中だって出来ることはあるはずだ。

そして乞食に成功した乞食はチカラをもつことになる。

そのチカラは醜くないことにも使うことができる。

そのチカラを何に使うか?どう使うか?

それが乞食としての自分が考えるべきだと思っている事なんです。