岸田政権が成立したのですがその際に分配と成長が話題になりました。
成長と分配という言葉を挙げ分配を強化しないとね?みたいな意味にも受け取れるような報道もあり・・
株クラ?投資家?わかりませんが、成長しないで分配できるわけねーだろみたいな感じの立場を取る人が多そうな印象でした。
それで岸田さんもなんか色々言われたんですかね?
わりと早々に成長も大事というか成長をより強調するようのコメントを出したかのような。
さっそくグダグダしたような展開ですが。
もう選挙もおわり無事?岸田政権は存続しましたが、そのときはすぐ選挙もありなかなか心配?される展開だったかもしれません。
しかしそりゃそうですよね。
100しかないものは100しか分配できない。
それを110なり120にしていかないと結局は頭打ちです。
だから業突く張りな投資家は言うのです。
まず成長しろよと。
みなさんも思いますよね?
まず成長だろ?と。
でもさて…?
みたいな話。
そんな分配と成長の話。
最近分配やらインフレとかデフレとかを考えていて3本記事が出来てそれのシリーズ一本目。
一緒に見てくれるとより自分の言わんとすることが理解してもらえるのではないかと。
二本目。
三本目。
A集落とB集落と経済成長の話。
それで成長と分配について話なのですがその前に。
以下のことを念押ししたいわけです。
これらは関係ない話におもえるかもですが考えているうちになかなか重要な視点になって来ると思っているからです。
さていいでしょうか?
それらは以下です。
・お金は使ってもなくならない。持ち主が変わるだけ。
・誰かの支出は必ず誰かの収入。
・誰かの負債は必ず貸し手が居てその人にとっては資産
・貨幣は誰かの負債(まあこれは今回はいいや
あとで見直して結局一つですね。
誰かの支出は必ず誰かの収入である。
これにしろ他にしろ自分はいずれもぐうの音も言えないほど確かなことで反例も挙げがたいものだとと思ってます。
もし反例があるようでしたらぜひ教えてほしいと思ってます。
お金を使って消えるような事例
誰かの負債でありながら負債を返す相手がいないようなもの
誰かの収入でありながら、誰も支出しないようなこと。
あるのならば知りたいと思ってます。
ではこのことは気に留めておいてくださいね。
誰かの支出は必ず誰かの収入である。
そして成長とはなんでしょう?
これは意外に難しいもんだだと思うんですが、成長というのはなんでしょう。
いろいろ定義はあると思うんです。
より儲けを出せるようになること。生産できるものがより多くより品質がたかくなること。
ただここでの成長とはたぶん経済規模とか経済成長とかを指してると思うんですよね。
なのでいろいろあるかもしれませんがここでは以下のものを成長と考えたく思います。
成長とは、収入が増えることだ。
仮により多くのものをより品質よく生産できるようになってもそれで収入が増えなければ成長ではないって考える感じですね。
成長とは収入が増えることだ。
いいですね?
ついでに分配も考えましょうか。
ならばこれは、上の収入をだれにどうやって分けるか?でいいのではないとかと思います。
成長とは収入が増えることであり。分配はあった収入をどうやって分けるか?です。
いいですね?
さてJR東海に登場していただきましょう。
長期の業績を確認すると以下のようです。
まあ2020年以降は相当コロナのせいってことでここはあれですがそれまでなら利益を伸ばしてますね。偉いですね。成長です。
しかし中身はこれは売上も伸ばしますが、コストをより下げる形で延ばしてます。
営業利益率があがってます。
これは増収もしたけどそれによる増益よりはコストを削減することでより利益を増やしたということです。
つまりはいらない支出を絞った。支出しないですむように効率化したです。
いやぁ素晴らしいですね。
しかしこれは誰かの収入を削ってます。
売上を上げてもいますが出るものも抑えてるわけです。
それは誰かの支出は必ず誰かの収入であり誰かの収入を減らさずして支出を絞ることなどできない以上、そこには収入を削られた誰かがいるわけです。
支出を削る先には収入を削られた誰かがいるわけです。支出は必ず誰かの収入であるならこれは必ずです。
さてこれは”成長”なのでしょうか?
他にも雰囲気的には雇用の流動化に賛成する人は多いように思えます。
使えない人がいてそれをクビにできるのならコストを減らして利益を伸ばせるではないか?
つまり成長じゃん。
そういうことだと思うんですよね。
しかしここでも誰かの支出は必ず誰かの収入です。
この場合企業がコストを削って利益を増やすのならそれは誰かの収入を削ったということになります。
この場合クビになった人の収入を削るという話ですね。
もちろん収入が減った人はそのぶん支出をすることができなくなりすます。
これもまた間接的にさらに誰かの収入をより削る行為となります。
支出は必ず誰かの収入であるからコストを削減するのは必ず誰かの収入を減らす行為になります。
雇用の流動化がそれは誰かをクビにすることとだとするなら・・
そのクビにされた人の再就職先でより高給で雇われたり国が補助(要するに国の支出)するなどしてより給料を高くするとかするわけではないなら・・・
つまり雇用者の支出を減らすだけのことを指してるのなら、それはその人の収入が減ると同義で、つまり総支出の減少=総収入の減少ということでであるわけです。
これは”成長”でしょうか?
違いますよね?
これは成長というよりは逆ですよね?衰退?ですかね。
だってそこで起きてるのは支出の減少。総支出の減少。
つまりは収入の減少で総収入の減少なわけですから。
なにかのコストを削るという行為。それは誰かの収入を削るという行為であって、削られた人はそのぶん支出できなくなり、それが他の誰かの収入を減らすことになる。
最初にコストを削った主体は利益が増え、よりお金を取っておくことができるでしょう。利益が増えますね。
それは成長だと受け取る人も多いかもしれない。
しかしこれは誰かの得ていた収入を付け替えた‥誰かの取り分を減らしその分を留めたに過ぎません。
これは”成長”ですか?
違いますよね?これは成長じゃありませんよね?
ならば何でしょう?
これには自分は一つの答えを用意してます。
それは分配ですよね?
コストを削減し、取引先でも注文を絞ったり、使えないやつを首にするなどして、企業利益を伸ばし、そのEPSや配当を伸ばす投資家の取り分を増やすというのは成長なき分配そのものです。それは成長したわけではない誰かから奪い取ってきただけのものです。
業突く張りの投資家共は言います。
まずは成長だ。
しかし投資家が夢見る成長こそ成長なき分配であったとするならなんと皮肉なことでしょうか。
それは分配です。他の人が得ていた収入を自分のところに留めたにすぎません。
それが悪いだなんて言ってません。企業でも個人でも不要なコストを削減する行為は正当な努力です。そしてJR東海の正当な努力は責められるべきではありませんし、努力ではなんともならない理不尽なコロナからの収入減は救済を考えてもいいくらいかもしれません。
しかしそれは成長と呼べるものではなく他の収入を減らし自分のところに留める分配ではないか?と言ってるだけです。それも成長なき分配だと言ってます。いつか頭打する。
さてここで整理したいと思います。
誰かの収入は誰かの支出である。
そして成長とはその全体の収入が増えることであると定義した場合。
日本経済の成長ならばある企業でも個人でも政府でもコスト削減することは日本経済全体の成長は指しません。誰かの収入がその分削られているからです。
じゃあ何が成長なのか?
この場合成長とは支出の増大となります。それしかありません。
何度でもいいまずが・・収入は常に支出とイコールだからです。
このときいかなる支出の減少による利益向上は、誰かの収入を削る事と同義でありそれは・・・
成長なき分配そのものである。
なにかの成長とは誰でもいいけどそれに属する誰かが支出を伸ばさねばなりません。総支出が伸びないのならいかなる行為も成長ではなく分配です。それでより利益が出るより豊かになる誰かがいるのなら、そこには豊かさを削られた誰かがいる。
これらは、「誰かの収入は誰かの支出である」及び「成長とは収入の増大である」と定義したときに導かれるのは必然だと思いますがいかがでしょうか。
・・・その上で問いましょう。
あなたは・・・・
成長した上での分配を望みますか?
それとも
成長なき分配を望みますか?
これはどっちでもいいと思います。
誰かを犠牲にしても自分が儲かれば成長なき分配でいい
という答えでももちろんいいと思います。
無能なやつらなんて貧乏にして自分が豊かになれるならそれが成長なき分配であろうと構わない。
いいと思います。
限られたパイを奪い合う。そこでボンクラからパイを奪いそして自分より有能なやつが出てくるなら自分もパイを奪われる。
いいと思います。というかそれはゼロサムの中で奪い合うトレーダーの姿そのものだと思いますし。もちろんそれがわるいことだと思ってないからトレーダーは利益を他者に返したりしないわけです。
というかこれには正解などなく、なにがいいとするかはいわば宗教みたいなもんだと思いますので。
さあどっちにします?
成長した上での分配?
成長なき分配?
でもたぶんあなたは最初は思ってたはずだとおもうんですよね。
成長なき分配なんてとんでもない!
ならば成長はどうすれば起こるのか考えてもいいんじゃないかと思うんですよね。
成長なき分配なんてとんでもない!と思ったその通りに本当に成長して分配を目指すのです。
そりゃあもちろん限られたパイを奪い合いパイが尽きる世より、パイが増え続け尽きないパイを分け合う世の方がいいに決まってると思うんですよね。
たぶん多くの人がそうだと思うんです。
成長なき分配より成長して大きくしてそれを分配するほうがいい。
だから皆がそれぞれ問いかけるといいと思うんです。
どうすれば社会は成長するのか?
この疑問を考えていくのです。
自分にはこの答えはわかりません。しかしこの問いを発っしてなかった人がその問いを考えるようになる。・・そんな人が増えていくのなら世はもっと良くなっていくと思うのです。
なんなら特に日本みたいなコストを下げ、他者にお金を払わないようにすることばかりに熱心で、コストを下げ他に収入減を押し付けた者こそが勝利する環境も変わり、今まであまり増えなかったパイも増えていく、つまり成長だってあるかもしれない。
自分にはその答えは分かりません。しかしそのヒントはわかります。
成長とは収入が増えることです。
そしてそれは支出を増やすことです。
成長とは必ず誰かが支出を増やさなければなりません。
だって収入とは必ず誰かの支出であるのだから。
だからどうやって成長するか?とは・・
誰がどれくらいどのようにして支出を増やすのか?と同義の問いです。
誰がどうやって支出を受け取るかでもいいかもしれないけどね。
誰がどうしたらもっと支出が増えますか?
あるいは支出を減らさないためにはどうすればいい?
さあどうなのでしょう?
投資家はお金を持ってます。
それにお金や経済に対しより深い関心と知識も持ってると思うのです。
言い換えればこの資本主義社会において”力”を持ってます。
故に投資家は社会のために力を行使することが出来るはず。
自分はそう思うのです。
ならばいい力を行使して、そして世がより豊かになるのならいいですね。
そしてその中であわよくば自分も豊かになる。
そのために頭を使うこと。それは投資家のなすべきことの一つだと思うわけです。
その一環として、より多くの人がそのようなことを考える機会になるのなら。
自分はそれはいいことだと思うのです。
分配とはなんですか?
成長とはなんですか?
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あとは以下なんて読んでくれると自分の言いたいことがより伝わるかもしれない。
たぶんおにぎりがその中心的記事。