大河の一滴

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切手と円と仮想通貨と夢

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自分は仮想通貨に否定的なスタンスだったりします

しかしそんなわたしが最近仮想通貨の口座を開きました。

GMOコインでね。

 

まあこれはGMOインターネット株主優待ビットコインをくれるというのでくれるなら持とうかという流れですので、大きくはやはり自分は仮想通貨に否定的なスタンスに変わりはありません。

でもなぜそのようなスタンスなのか?というのを今回はまとめてみようという話。

投資家はやはり通貨とか価値とかに考えがあるべきだと思うのです。

 

そんな切手と円と仮想通貨と夢の話。

今回はあまり結論らしい結論もないとりとめもない話。

 

突然ですが自分は切手は貨幣としての条件を満たしていると考えてます。

一応最初に言っておきますが、自分はMMT(現代貨幣理論)の支持者です。

いろいろお金などのことを学んだり考えてきた中で一番しっくり来る解答を示してると感じるからですね。

で、そのMMTでは貨幣は「負債証明書」だと説明しています。

現代貨幣理論(MMT)ってなに?分かりやすく解説 | 未来想像WEBマガジン

 

これとかみたりして信用創造を理解すると理解しやすいかもしれない。

www.youtube.com

また以前から例えば以下のような記事も書いてます。

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

上記あたりも踏まえて頂くと自分がなぜそういうかもわかると思いますが・・

 

切手は貨幣の条件を満たしてます。

 

切手とは日本郵政の「負債証明書」であり、どんな負債かというならその額面分を日本郵便が郵便配達をするという約束です。

84円切手は、郵便をしますよいう約束のもとにその支払を前払いで借りているという証書と解釈することができます。

これは貨幣足りえます。というか実際にオークションとかのやり取りで切手で支払いなどが行われたりします。

 

学術的にはお金の源流は、お金自体に価値を求める形式ではなく誰かの負債(約束)が受け渡しされるという形だったとなっているそうです。

貝殻がお金だとしてそれは貝殻が珍しいとか貝殻に価値があったという話ではなく、漁師かもめが、まだ手元にないさんまを後に渡すという約束をして、インコさんからりんごと交換したという証として始まったとされています。

そしてこの約束は移動できます。インコさんが文鳥さんに貝殻を渡すならかもめは文鳥さんに。文鳥さんがペンギンさんに貝殻を渡すならかもめはペンギンさんに。

ともかく最終的には貝殻を持つ人と最後はかもめはさんまと貝殻を交換するのです。

そして貝殻・・このお金は貝殻に価値が有るのではなくその価値はかもめがさんまを漁して交換してくれるに違いないという約束に価値があるわけです。

 

これが自分の考える貨幣のプリミティブな形です。

そして切手はそのプリミティブな形をとってます。

日本郵政の額面分郵便物を配達しますという約束。それはその約束した人つまり切手を買った人以外でも行使できる。その約束は受け渡しされる。

 

受け渡される約束。それが貨幣であり切手もその形をとる貨幣なわけです。

 

そう把握されるとき貨幣とはかなり広く発生?させることができそうです

もちろんかもめもあなただって発行できるよ。

よくありそうなのは肩たたき券。

まあかもめの肩たたきに価値を認め、その約束が行使されることを信用してそれが交換流通するかはまた別の問題ですが、誰かの肩たたき券も果たされるべき約束があり、それに価値を見いだされ交換、流通するならもうそれは立派な貨幣です。

 

果たされるべき約束がある。

そしてそれが信用され交換され流通する。

これが貨幣の条件だと考えるところです。

 

そう考えると貨幣というものがなにか整理できますし、何かをみてそれが貨幣だろうか?と考えることができます。

そして貨幣とできそうなものは多そうです。

流通する約束になってるものにはなにがありますか?

 

例えば・・・

切手はそうですね。日本郵便が配達を行うという約束。

Suicaもそうでしょう。これはJR東日本が旅客輸送をしてくれるという約束です。円と連動してるとかはここでは些細なことです。切手もそうですね。

Edyもそうですね。ちょっと変則的かもしれませんが、楽天が変わりになにか支払いをする約束とみなせます。

兌換紙幣も例えば金と交換するという約束です。

 

そして・・円ももちろんそうでしょう。

円なら日本政府が税金と徴収し代わりに公サービスを行使するという約束です。

銀行の信用創造で言うなら働いて稼いだ一部をいくらか色を付けて返すという約束。

円も他のものと同じく流通する果たされるべき約束とみなせます。

 

このように流通する果たされるべき約束。

それを貨幣だとすると、さまざまなものを貨幣の資格があるかどうかを考えることができるわけです。

 

・・ちなみに、かつての兌換紙幣が不換紙幣に変わった話ですが自分はかつて紙幣を発行した政府では公的サービスの行使力に乏しく、そのサービスだけでは約束としての力が弱かったのでしょう。故に他のものと交換できると価値の裏付けをする必要があった。・・ということだと考えてます。

 

そして貨幣の価値とはなんなんでしょう?

これは円などの通貨を指してかなり曖昧なものに価値がついてるなんて言われることがあります。10000円の価値などないものを10000円をみなしてる。それはみなが10000円と思い込んでるから10000円なんだみたいな。

まるで幻を信用してるんだみたいな言い分ですが・・・

 

以下のような画像をみた方もいるかもしれません。

闇金ウシジマくんの一コマです。

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1万円札を作るのに28円しかかからない、なのにそれは一万円とみなされている。

この紙にそんな価値なんてねえよ。ってことでしょう。

 

しかしこれはとんでもない誤解です。

お金は幻に価値がついたなんていうよりは遥かにまっとうな根拠から価値がつけられてると言えます。

 

お金の価値はそれに作るのにかかるコストには依りません。それはお金の本体じゃないのです。

この場合・・・10000円札にある意味は、政府が10000円として税金などで受け取りそのぶん公的サービスを提供するという約束にあります。

・警察や消防を使う権利(まあ税金払わなくても使えるだろうってところはおいといて

・公的な手続きの印紙など。つまり公的手続きをしてもらうこと。

・水道や電力等公的インフラを使える権利。

等々・・

 

10000円札は100円玉の100倍果たされるべき約束がある。

それが10000円札が製造費28円でなく100円でもなくその100倍のものとして交換できる根拠となります。

これは1円の切手と500円の切手、5000円と書かれた小切手と5000万円と書かれた小切手の違いと同じです。

貝殻の珍しさや重さでその価値が決まるわけじゃない。そこにされてる約束がさんま10匹なのか100匹なのかでその貝殻の価値が決まるし、5000万円と書かれた小切手に対して誰もその書かれてる紙にそんな価値などないから、その小切手には5000万円の価値はないなんて言ったりしません。

 

貨幣の価値はその果たされるべき約束に担保される。

そしてその約束の重さがすなわち貨幣の価値となるのです。

 

そしてこの約束を果たすのが危ぶまれたときにその貨幣の価値は地に落ちます。

日本郵政が郵便を配達できないと思われたら切手の価値は地に落ちるでしょう。でも当たり前ですよね?約束されたことが履行されない約束になんの価値があるのでしょう?

円も一緒です。税金として払えなくなる。あるいは日本の政府が力を失い公的サービスを受けることが期待できなくる。そういうことが起こるならば円の価値は地に落ちるでしょう。

小切手も支払い元の資金繰りが怪しく不渡りになる恐れが出れば誰も額面で評価しなくなるでしょう。

 

逆にそういうことがなければその貨幣の価値はかなり安泰です。

もちろん果たされる約束のマニアックさによって限度があるとは思います。例えば日本郵政の配達を必要とする人はそれほどいないので切手は使える場所が限定されます。

しかし基本的に日本国民全員が税金として納められる約束である円はかなりその価値は堅いと言えましょう。その約束の担保はいわば日本政府の公的サービス能力ですからね。

もちろん日本政府が瓦解すれば円の価値は地に落ちるでしょうが、現状はそんな心配はないわけです。

なぜなら10000円札は幻に値段がついてるようなものではなく、例えば警察官さんの働きなどもっとまっとうな実態価値に値段がついているものだからです。

 

と、わたしかもめは貨幣というものを以上のように考えているわけです。

 

さあこのとき、仮想通貨をふりかえってみましょう

仮想通貨に価値はあるのでしょうか?

自分はこの問に対してはNOという結論に至ってます。

 

なぜなら仮想通貨には果たされる約束がないように思えるからです。

 

仮想通貨を思うに、流通はしてますね。よって流通価格はありますね。

しかし発行されるときになされた果たされるべき約束がない。

税金として払って電力も使えないし、郵便も運んでくないし、山手線にのることもできない。

いや、まあ流通価格にのっとり円の代わりに受け取ってはくれるかもしれません。(税金は多くの国でダメだろうけど。)

でも貝殻のように切手のようにSuicaのように円のように(円も納税されたら帳簿変更して破棄されます)果たされるべき約束を果たし負債がチャラになるときは訪れない様に思えます。その価値の担保となる果たされるべき約束がないように思えます。

 

自分には仮想通貨においては真の意味で石ころ(価値のない石ころ)に値段がついてしまってる様に思えます。

すくなくとも今流通しているあらゆる通貨と別のルールで値段が付いてる代物に思えるんですよね。

このあたりが冒頭の自分が仮想通貨に否定的なスタンスである理由です。

 

石ころに値段がついている。

自分はこう言いますが、その事自体をわるいことだなんて言うつもりはありません。

価値のないものに値段がついている。とは思います。

それは同時に価値の基準のないものに値段がついてるでもあります。

 

美術品や好事家が集めるおもちゃなどに近いかもですね。仮想通貨はデータで実態がないとも思えるのでそのへんをどう考えるか?なところはありますが。

 

それには基準がない。

故にそれは0円であっても、100万円であってもいい。

自分は果たすべき約束がないので正直0円だと思うんですが、間違いがあるのか正しいのか幸か不幸かそれに値段がついてそしてずっと値段がつき続けている。

暴落もあるけど、また復活しさらなる値上がりもするとかし続けてる。

自分としてがこれはとても興味深いことなんです。

 

いわば幻に値段が付き続けてる。

 

幻とは言い換えれば夢ともいえるでしょう。

夢100%。それが仮想通貨だと思えるのですよね。

ときどき人は夢に大きな値段をつけます。

チューリップ然り、南海泡沫事件しかり、ドットコムバブルしかり。日本のバブル然り。

kamomenotoushi.hatenablog.com

しかし夢をみても現実が必ず現実に引き戻していました。

チューリップはチューリップだし、南海泡沫ならあるべき会社が空っぽだし、ドットコムバブルも期待したほど企業は利益を出さなかったし、日本のバブルは土地も値下がりし企業業績も落ちてそんな現実がいつも夢見る人を現実に引きずり下ろしていました。

 

しかし夢100%ならどうでしょう?夢しかないならそれにどんな値段をつけようと夢から現実に引き戻す現実がありません。いや夢しかないからね。

わりと真面目にこれは人類初の事象かもしれないと思ってます。

石ころというか無に値段がつくこと。夢100%の夢。

株式なら会社という実態があります。仮に夢で年10倍つけたとしても、そこにある会社が現実に引き戻します。故に株式なら3年に10倍を30年繰り返すのはありえないでしょう。会社はそこまで早く成長できないからです。

しかし夢しかないなら、3年に10倍を30年繰り返すのもありえないとは言い切れないです。夢の成長に限度などないし夢に値段もないからです。

夢の値段は0円でも100万円でも・・・一億円でも1兆円でもいいわけです。

うんだから0円でもいいだろうと思ってますよ。

 

というわけで

GMOからビットコインをもらったし、いい機会なので夢の行く末を見てみようかと。

ということで、仮想通貨口座を開設しましたよという話まで一周したところで着地です。

 

特に結論じみたことはありません。

強いて言えば・・という冒頭で言ったとおり投資家ならばお金や価値などについて考えを持っているべきという話でかもめの今の考えを披露したと言うだけの話です。

 

あなたにはあなたの見方、考え方もありましょう。

しかしそれをつくるのは考えていくからこそ。

考えていくならあなたは自分なんかよりもっと素晴らしいお金や価値に対する見方、考え方を身に着けもっと投資家として洗練されるかもしれない。

そんな未来につながるのならそれは素敵なことだなと思うわけです。

 

 

お金そしてその価値とはなんですか?

 

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