大河の一滴

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インフレ・デフレ考

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インフレ・デフレとはなんでしょう?

自分は学んだことや観察や考察の結果たぶん世間一般に認知されるものと違うインフレ・デフレ観をもつことになってるのかな?と思ってます。

まあ学術的な話ではなくあくまでかもめはこういう理解になったという話ではあるんですが、かもめの感覚ではこれはわりと真実をついているのかな?という気はしてます。

同様に皆様が考えて整理するきっかけになるのなら嬉しいと思うところですが。

 

それについてまとめてみるという話。

最近分配やらインフレとかデフレとかを考えていて3本記事が出来てそれのシリーズ二本目。

一緒に見てくれるとより自分の言わんとすることが理解してもらえるのではないかと。

一本目。

kamomenotoushi.hatenablog.com

二本目。

インフレ・デフレの話。今回のですね。

三本目。

A集落とB集落と経済成長の話。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

いろいろ考えてきた結果

いろいろとは以下のカテゴリの記事とかですね。

・投資やお金について考える カテゴリーの記事一覧 - 大河の一滴

・・を考えてきて結果、自分はインフレ及びデフレを貨幣現象とみなすのは適当ではないという立場に立つに至りました。

これはかなり珍しいスタンスであるとは自覚しております。(まあ某三橋さんなどが言われてるインフレデフレギャップの図と近いというか同じですが)

じゃあそれが何かと言うなら・・

 

価値の現象です。

自分は現在は以下のように整理しています。

 

価値生産力>需要である状態をデフレ(デフレーション

価値生産力<需要である状態をインフレ(インフレーション)

 

インフレ・デフレとは貨幣現象ではなく価値と需要のバランスの事象という理解です。

 

なぜそんな理解になったとかというと貨幣現象としてそれを捉えた場合・・

例えばインフレしたとしましょう。

例えばおにぎりが100円だったのが200円になりました。

お金の価値が下がったという貨幣現象であるなら同時に一時間の労働は1000円から2000円になってるはずです。

インフレしてもしなくても一時間の労働で買えるおにぎりは10個であることには変わらない。

 

・・・一緒じゃん!

でもそれを貨幣現象・・貨幣の現象とするならそういうことです。ほとんどの取引にはお金が関わるがゆえに全部変わるし、全部変わるなら結局一緒です。

まあ、その変化の過程で取引せずお金を持ち続けるなら損したり得したりはあるし、労働を含むすべてのものの値段が一緒に動くわけじゃないだろうから、時差的なブレの影響も無視できないとはなりそうですが・・

 

自分は思うのです。それよりは遥かに価値がどう変化するか?だと。

重要なことは一時間あたりの労働でおにぎり5個買えたのが4個になるか、6個になるかだ。

それこそがもっと我々が関心を持つべきものというか、当たり前でそれは我々の豊かさそのものに直結するからです。

インフレ、デフレをそのようなことを判断できるものさしにすべきだと思うところなのです。

 

だから。インフレもデフレも貨幣現象ではない。

それは労働とおにぎりという価値の現象である。そうみなすべきだ。

と、考えるところで自分はだから以下のように考えるに至りました。

 

価値生産力>需要である状態をデフレ(デフレーション

価値生産力<需要である状態をインフレ(インフレーション)

 

この考え方はちょっとややこしいです。

なぜかというと、貨幣現象で考えるデフレインフレはお金の価値があがるさがるの二方向しかないですが、これは生産力と需要のバランスによってそれが決まると考えるので例えば生産力の上下及び需要の上下で4方向の事象があるとなります。

 

例えばインフレにしても起こるのは二種です。

生産能力より需要が高まる形で起こるインフレ。

そして生産能力が落ちる形で起こるインフレ。

 

一般的には上はディマンドプルインフレと言われてますね。

例えば、任天堂Switchの価格上昇はこれとなりそうです。

任天堂も頑張って生産力を上げてたけど、それより需要の伸びが上回ったため転売ヤーなどが価格をあげても取引が成立するようなインフレとなった。

下はコストプッシュインフレと言われてそうです。

オイルショックなどそうでしょう。最近言われてるインフレもこの疑いが強いようには思えます。石油が減産されたり世界物流の停滞で資源の提供量が減る=生産力低下で、需要はかわらないけど、いろいろなものが高くなる。

 

そして分ける以上は好ましい好ましくないも区別できるかもしれません。

好ましいのはもちろん需要の増加によるインフレでしょう。Switchならばより増産、生産力をたかめ大きくなった需要に応えるのなら結果、世界の多くの人がSwitchを手にすることになすなわち世界が豊かになります。

実際はSwitchなどのゲーム機は一時的な需要の高まりである可能性が高く安易に生産力をあげるとあとで、困ったことになるかもしれないのでこれは例ですが。

しかし現在多くの家庭で過去にはなかった冷蔵庫がほぼ全家庭にあるのは冷蔵庫が欲しい買いたいとする需要が高まるのに生産者が生産力を高める努力を積み重ねその需要に応じた結果でありまし、正常な経済成長とは多くはこの形を取るように思えます。

 

そして生産力低下によるインフレはあまり好ましくなさそうです。

これは需要は変わらずに生産力がおちるので、例えばガソリンを手にできる人が減ります。手に入れられる人はより大きくお金を払った人です。欲しい人も必要とする人も変わらないのにそれを手に入れられていた人からも手にできなくなる人が出てくるということです。これは正しく世界は貧しくなったということになります。おにぎりの総数が減り欲しい人に配れていたおにぎりが配れなり諦めてもらう人も出す必要が出たですので。

ただ生産能力より需要が高いことには変わりませんので、ものが足りなくなった分貧しくなってしんどいですが、これは生産能力をあげる努力をする理由にはなりますね。

 

例えばインフレならこのように整理できるわけです。

 

・・・補足ですが円安は?とか声が聞こえて来そうですが、これに関しても自分は価値の生産と需要のバランスの考えが適用できると考えるところです。

円安とか円高かというか貨幣の価格がどこらに落ち着くかが、例えば日本とその他の国の価値の生産と需要のバランスによって決定されるという発想です。例えば米国のiPhone生産能力と日本のプリウスのそれのバランスです。そして同じプリウスの生産台数で買えるiPhoneの個数の変化が重要なのでありそこにつく円が安く高くなってもそれぞれの需要と生産能力が変わらないのならプリウスの生産台数で買えるiPhoneの個数はあまり変化しないのではないか?と思うところです。仮に円をむちゃくちゃ円安あるいは円高にしてもプリウスの一台で手に入れられるiPhoneの数は大きく変わらないだろうということで、そうならば円が何ドルになるかはさほど僕らの豊かさに左右するものではないという発想です。仮にもし通貨量の調節で手に入れられるiPhoneの個数が大きく変わるというのならばジンバブエも救えますね。実際救えてません。

よって円安とか円高とかも生産力と需要の形を変えるものでないのなら、それによって大きく豊かになったり貧しくなったりはしないだろうという立場です。

まあでも仮説ですし、外貨準備とかされてるのはそうですね。より少ない出費で多くを買われたりするとかもあるかもですね。

 

そしてこのように整理していくとき害悪なものがあります。

デフレです。

それはここでは生産能力>需要と理解するものです。

 

これもふたつありますね。

生産能力が増えることによるデフレ。

及び需要が減ることによるデフレ。

 

例えばコロナはこの理解において需要が減ることによるデフレです。

空っぽの新幹線も温泉地も、供給能力は変わらないけど、需要・・お客さんが減ったから空っぽになり、多くのところでディスカウントし余った供給力を埋めるのに苦労してるし、新幹線なら減便するしホテル旅館などは価値生産を諦める・・すなわち廃業したりもするわけです。せっかく長年苦労してきて高めてきた一朝一夕には築くことのできない価値提供能力を放棄するわけです。

 

でもう一方・・生産能力が増えることによるデフレ。

これは実際としてはあまり起きないようには思います。

なぜかというと、生産能力をあげるのにはたいてい努力が要ります。冷蔵庫の生産数増加も質の改良も努力なしでは起こりません。黙ってて新幹線の本数が増やせるわけがありせんし、商品が売れ残ってるのに工場を増やそうとする経営者は居ません。

さらには過剰な生産力を維持するのもコストもかかります。需要もないのに・・・2つの工場で商品が売れ残ってるのなら、コストを垂れ流す工場は閉めようと考えるでしょう。そして苦労して増やした工場も苦渋の思いで閉鎖されます。

ただ時折、農業や漁業等では思わぬ形で豊作だったりするとこの生産能力が増えたことによるデフレが起きますね。多くは生産者価値提供者を困らせるもので農産物を捨てたりもするケースを割と聞きますね。

 

そんなところですが結局のところおにぎりが買われる以上のおにぎりを生産できること。できてしまうこと。それすなわちデフレです。

 

このように聞いたらそれは、つまりモノが足りてるじゃんって話でありまずいと考える人は少ないかもしれませんが、これはとてもまずいことです。

だから生産能力をあげることはもちろん維持にも労力などのコストがかかるからです。

 

過剰になった生産力は落とす努力がされるでしょう。工場は閉鎖されます。取引先は切られます。人は取らないようにするし、クビにもします。

・・・もあるけど、なにより生産力をあげる努力が放棄されます。

生産能力過剰で需要よりおにぎりを過剰に作れてるならだれもおにぎりを増産する努力をしません。

売れないと思うならよりいいものを作る。よりたくさん作る。その努力は放棄されます。努力の多くはコストダウンの努力に向かうでしょう。

だから工場は閉鎖します。取引先は切ります。人は取らないようにするし、クビにもするでしょうね。そしてそれら・・お金を払わない努力は相手においては収入を減らすことで購買力の低下、そして需要の低下につながることになりそれがさらなる生産力過剰つくり、さらなる生産力向上努力をする理由を奪うわけです。

散々言われて続けて一周回って言われなくなった感もあるデフレスパイラルそのものです。

 

そしてそれが長く続くならどうなるか?

生産力向上の努力を長く放棄するとどうなるか?

 

きっとその努力を放棄しなかったところに生産力において・・より良い品をより多くつくる能力、より価値の高いものを生産する力・・において劣後することになると思うというか、どこかの国ならなってそうですね。

 

どこかの国では生産力>需要であったために生産力をあげる努力を行う動機を奪われずっと経済が停滞してた結果・・・

iPhoneを買うのに必要な働く時間が増えてしまった。だと思うところです。

それまで7日働けば買えたものが15日働かないと買えないようになる。すなわち貧困化、発展途上国化です。

news.yahoo.co.jp

この記事では円が弱いとされてますが、それすなわち長く続くデフレによって生産力をあげる努力をしてこなかった蓄積による日本の生産力の相対的低下によるものだと思うところです。努力してこなかったというか努力が無駄でしたからね。そんなことすれば売れない商品余らせて破産することになる。それよりひたすら過剰な生産力は落としてコストダウンするのがマシって環境を放置したことの帰結。

 

異論はありそうです。

穴だらけとか無茶苦茶言ってるとか思われる方も要るだろうと思います。

しかし、自分としてはインフレ・デフレを貨幣現象ではなく価値現象と捉えることで、このように整理出来たとは感じるところだし、例えばコロナの新幹線は強烈なデフレ要因だとすぐに整理し判断できるようになったのもこのおかげだと思うし、人口減少だからデフレだという意見があっても、それは労働人口↓で生産力低下でインフレ要因じゃんとは考えられるようになったと感じています。

このように実感としてはより多くの事象を納得行く形で理解できるようになった見方考え方と感じてるのはそうです。

 

それに価値現象とみなしたあとの日本がデフレな理由とか最近のインフレぎみをどうみるか?とかそれの改善の方法論とかもまた人によって違いましょう。

どう考えるかは人次第としても、一つの考え方の基準として参考にして頂けるのなら。とは思います。

・・そうですね。自分が考えるところでは需要>供給の中でより良い品をより多く作り出し皆に提供していく努力がより多くなされるようにする環境にいきつくためにデフレを脱却するには・・生産力をさげるか需要をあげるしかないのだからこれは需要をあげることを考えるべきじゃね?とは思うところですね。まあ正しいアプローチかどうかはわからないというかいろいろな意見があるところだと思いますが。

 

 

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あとは以下なんて読んでくれると自分の言いたいことがより伝わるかもしれない。

たぶんおにぎりがその中心的記事。

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