大河の一滴

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まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

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「わかる」と「わからない」

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Twitterをしてるとよくみるものに

STEPNなるものがありました。

STEPN(ステップン/ステプン)の仕組みや始め方・将来性を徹底解説|稼ぎ方/やり方やレベル上げの費用は? | Market α(マーケットアルファ)

よくしりませんが、仮想通貨の一種でなんだか怪しいなあと思ってたら

(ここでいう怪しいは有利じゃなく損するのではないか?という意味です)

なんか大事というか大型損失案件になったみたいで。

sakisiru.jp

なにかトラブルがあったのは間違いなさそうですが、その仮想通貨っぽいSTEPNでの出来事かは確定じゃないですが(違うようですね)、自分としては怪しいのがそのまま破綻した件に感じられることで、そしてこういった話は定期的に何回もみててその中で改めて思うことの話。

 

まあそもそも自分は仮想通貨に否定的です。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

今回はこのとき言ったことと結構かぶるというか繰り返し。

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

実は今回はSTEPNのことはいいんです。

 

ほんとにSTEPNかどうかもわかんないし。(流行ったときからすごく価格が下がってるようですが)

 

でもよく見るんです。

自分がよく見るということはよく起きることなのでしょう。

そしてこれは不幸なことです。

大きくお金をかけたものが思うようにいかず大損失。

あるいは、今回のTKO木本さんのケースは知人友人との関係は崩壊し、仕事も失い、さらには5億円近い借金を抱えて終わるなど人生が破局的に破壊される結末にまでなるかもしれません。

 

・・みたいな人生壊れましたね。なんて話をちょくちょく聞くわけです。

もちろん、そういう話は目立つので少なくても拾われて自分の耳目に届いて実際はそこまで多くないことかもしれませんが、多くても少なくても自分がそのようになってしまうのは避けるように気をつけるべきだと思うんです。

 

そのために何が必要か?

 

考えておくべきだと思うんです。

そしてその道筋において今回の件がSTEPNであったかどうか、そしてSTEPNがどのようなものであるのか?という部分はあまり意味を成さないと思うわけです。

 

では、何が意味を成すのでしょうか?

 

これを一つの要因に落とし込むのは難しいとは思うんですが

今回は一つの視点を提示したく。

 

それは「わかる」と「わからない」の扱い。

 

この件をうけてのツイートですが、少々いいねを集めたものですがね。

 

今回の件でもその他でも身を滅ぼすほどの損失、特に今回は友人知人も巻き込んで仕事にもいけなくなるような大損失になったわけですが。

もちろんそうなるとは覚悟してなかったでしょう。

「こんなはずはなかった」と思ってるはずです。

 

 

なぜ、こうなると覚悟してなく「こんなはずはなかった」となるような事態になるのか。

それは「わかった」からです。

何がわかったというならそれは儲かることがです。

 

確定的に予測できるとすることはすなわち大きく張れることにもなりますが、それは同時に間違ったら死ぬになる

個別投資事例振り返り:AI inside - 大河の一滴

儲かるに決まってることがわかると、投資家は人生の破滅まで張ってしまうのです。

そしてその「わかった」が間違いであったときに投資家は致命傷を負うのです。致命傷になります。人生の破滅まで張ってるので。

 

よほどのキチガイでないかぎりは、わからないものに人生の破滅まで張ることなんてできません。そんな運がなきゃ人生を破滅させる覚悟なんてできません。

だからほとんどのケースにおいて、それが人生の破滅まで賭けてるのならそれはその人がわかったとするものです。儲かるに決まってるもの。儲かるとわかったもの。

 

それが「わかる」とするから人生が破滅するまでの金額を集めて張るのです。

だから問題ない。だって勝つのが「わかっている」のだから。

でもその「わかる」が誤りだったときにその投資家は破滅するわけです。

 

投資家が破滅するのは「わかる」ときです。

「わかる」が投資家を殺すのです。

 

故に投資家は「わかる」に対して極めて慎重なスタンスであるべきだと思うのです。

「わかる」ものは実はわかってないかもしれない。間違いがあるかもしれない。間違いになるかもしれない。

 

あなたは「わかる」ものに対してその姿勢でいいのですか?

 

「わかる」って案外脆いと思うのです。

あまりに言われすぎて今更挙げるのもって気にもなりますが無知の知というものがあります。

www.famille-kazokusou.com

「「無知の知」(または「不知の自覚」)とは自分に知識がないことを自覚するという概念」

 

人って、わからないことがわからないんですよ。

あなたがわかるとすることは実はわかってない可能性がある。そしてあなたはそのわかってないことがわからない。

 

あなたは「わかる」ものに対してその姿勢でいいのですか?

 

投資家は「わからない」と共にあるべきだと思うんです。

それならわからないものをわからないとした上での対処を考える。

わかると思うものもわかってないかもしれないとしての態度をとる。

早く金持ちになりたいのならわからないに大枚を張れるキチガイになれ。

 

わからないがゆえの不安も生まれるでしょう。けれどその不安と共にいることを覚悟する。

不安もありますが、自分はそれが優位性になると考えてます。

そのときにその不明と共に歩む決意を得たものは優位性を得ることになります。 周りは間違ったもので偽りの安寧を得ているからです。

不明の優位性 - 大河の一滴

 

何もかもわからないとするわけじゃなく、「わかる」ための努力もしながら。

その努力をしながらこれは「わかる」これは「わからない」と丁寧に区分けしていく。

その「わかる」とできるものを増やす努力をしていく。

まあ、より知るとかえってわからないことが増えていくとか言いますけどね。

 

まあでも、その「わかる」を増やす努力が、「わからないもの」を「わかった」と誤認するようなことを防ぐし、故に人生の破滅までかけて間違ってほんとに破滅なんてことを防ぐわけだし、その努力がやっぱり不確実性にリスクをとる投資家には必要だと思うわけなのです。

 

あなたは「わかる」と「わからない」に対してどのような態度をとりますか?

 

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