神はサイコロを振らない
アインシュタインの言葉だそうです。
その意味はこれがわかりやすいですかね。
ここのベストアンサー。
量子力学を持ち出すとややこしくなるのですが、物理学に限らず多くの自然科学では条件を揃えれば同じ結果がでると信じられています。
同じ力で同じ方向に同じ重さのものを投げると同じ場所に同じ速度でぶつかるみたいなものではそこにはランダムなことなどないと考えるわけです。
そのことを端的に言ったのが神はサイコロを振らないです。
しかしね?
投資だとどうでしょう?
投資だと神はサイコロを振るか?はわからないけど
投資の神はサイコロを振ると考えてた方がいい。
と思うんだ。
そんな話。
複雑系科学という言葉があります
科学を略して複雑系とも言われますね。
代表的なものは天候とか天災とか。様々な要因のものが結果に絡みそして、ある結果がまたいろんなものに波及してまたその影響が返ってくる。
そのようなものがだいたい複雑系であるという印象です。
近年は以前より正確になってきましたが天気をピタリとあてることは難しく、地震や台風も事前に予測するのは極めて困難で、東日本大震災では大きな被害が出ましたし、台風が来ては川が反乱しインフラや住宅を押し流したりしてて人類はなすすべがない。
人間関係もそうで、科学がこれだけ発展しても未だこれだという周りの人とうまくやる方法なんて見つかってないし、数千年前の人が言ったようなことが未だ掘り返されてありがたがられたりもします。
複雑系においては、科学がこんなに発展しても未来なんてわからなくどうしたらいいのかもわからなく、人類は数千年前と似たような立ち位置にあるわけです。
複雑系では未来ははっきりとはわからないわけです。ときには全くわからない。
そして政治や経済そして金融や投資はこの複雑系にあたります。
これを書いているのは2022年5月ですが、一年前はロシアとウクライナが戦争して、資源や食糧価格があがるなんて予測し得た人なんていなかったです。資源が上がる方向だろうって言ってた人はいましたね。
政治とかそれで経済がどう影響を受けるとかは非常に予測が難しいわけです。
ある人が当ててそうなときはありますが、以前から同じようなことを言い続けて外し続けた末にそうなってたりとかもあるし、ある人が当てまくったように見えてもあるときから外しまくったりもあったりして。
といいますか、りんごが地面に落ちること(複雑系ではない自然科学など)に関しては、その分野の知識を備えた誰かでりんごは地面に落ちる派とりんごが宙に浮く派が真っ二つに割れるなんてまずありえませんが、複雑系の事象においては、知識が深い見識のある人同士が真っ向から対立するなんてこともよくあるわけです。
複雑系では経験や知識を得た見識のある人同士が真っ向からぶつかる意見で対立するなんてことが日常茶飯事です。
僕らは認めないといけません。
複雑系の分野だと、知識を蓄え経験を積んで見識を得ても、専門家であっても、正しいことはわからないし、そんな人同士が対立してどっちかが誤ったりする。ときには両方誤ったりする。
そして投資は、その見識ある人でも正しいことがわからない。未来がわからない。
同じように見識がある人が真反対のことを突きつけてくるようなこともありうる複雑系に属するものだと言うことを。
たまに自然科学でも新たなことを言い出して真っ二つになるようなことも起こるのはここではおいといて。地動説と天動説とか上の量子力学の確率の話とか。
神はサイコロを振る
アインシュタインの言った意味とは違うものにはなりそうですが。
複雑系の未来はわからない。正しいことは定かじゃない。ってことはすなわちそれは一つの正しいことを求めるものではなくなるということです。
未来は定かじゃなく、正しいことも定かじゃない。
それすなわち一つの正しい答えを求めることは叶いません。
自分はそのことを称して、神はサイコロを振ると称したいわけです。
これだと思った未来、正しいと信じたこと。
それは神のサイコロによって変えられてしまうイメージです
このことはそのゲームの質を変えてしまう変化です
答えが一つである自然科学では、それは必ず同じ目になるサイコロ・・一つの正しきサイコロを目を当てるゲームとなります。
そこには正しき答えに行き着けたか行き着けなかったかです。
しかし複雑系の投資では、一つの正しい答えやことなんてありません。
自分が確信をもってこれだと思ったものすら、違うそれを信じる人がでてきて、そして確信をもったことが裏切られたりします。
投資家はそれを知るべきです。
投資は正しき一つの答えを突き当てるゲームではないと。
地震のために用意した耐震設備が用をなさずそれにかけたコストが無駄になったりすることと同様に、自分が間違うことに対して準備や覚悟があるべきだし、考えうる未来には幅があるべきだし、そして自らが確信した未来も裏切られる・・
神のサイコロによって意図せぬ答えが与えられることがあることを知るべきです。
そして知ることで投資は、答えを当てるゲームではなくなるのです。
投資では答えは一つじゃない。
同じ方向に同じ力、速度で同じ重さのボールを投げたとして、それは同じ場所に同じ力でぶつかったりはしない。
答えは一つじゃない。神様がふるサイコロによってその結果は左右される。
これはいけるだろうとしたものが裏切られたりする。
自分が信じる正しいことと真っ向からぶつかるものを正しいと信じる人が目の前に現れたりする。
そして自分が正しい時があったり相手が正しい時があったり、両方正しかったり、双方間違ったりする。
答えは一つじゃない。
あなたが信じたものは裏切られるしれない。
あなたが正しいと信じた答えは正しくないかもしれない。あるいはそれまでは正しかったけど未来は間違いに変わっていくかもしれない。
答えは一つじゃないのだから。
間違える準備はありますか?
神が振ったサイコロが自分に不都合な答えを出したときにその結果を受け入れる準備、覚悟はありますか?
その準備と覚悟が必要だと思うんです。
だって答えは一つじゃなく自分は誤るかもしれないんだから。
どんなに正しくあったって、それが間違いになってしまうことがあるということだと思うんです。
神がサイコロを振るということは。
答えが一つじゃないということは。
そう思うのですがどうでしょうか。
と、とても脅す感じですがだからと言って戦えないわけじゃないとは思うんですよね。
ぼくらに与えられる答えが一つじゃないからって、僕らがいつでも間違いうるからって、何にも正しいこともみるべき指針もないわけではないはずです。
例えば株価=EPS×PERとか。
そういうのを知りながら、事実と意見を分けていき事実をもってその時の正しきらしき答えを求めていく。
これが正解だなんて基準を持つことさえ許されず、真っ暗闇の中でその中でなんとかわかることを光源に、自分のあり方も確かめ考え修正しながらそれも頼りになんとかこれが正しい道ではないか?と疑問を持ちながらも進んでいくことをしていくことで戦っていく。
まあ、自分が正しいとは限らないと把握できるなら。
あるいは間違っているかもしれないという気持ち悪さを受け入れる。
自分はその姿勢は自分は正しい場所に辿り着いたとしてその気持ちよさに安住する姿勢よりより良き結果を招き入れるものと信じているわけです。
まあそういう話でした。
まあ、これが正しいかはわかりません。
これが正しいだなんていうことは自己否定に繋がりますからね。
自分の信じたことは正しくないかもしれない。
だって神はサイコロを振った結果は正しき一つじゃないのだから。
常に自分には与えられなかった他の正しいことがある。
正しいことなんかほんとはわからない中で、何かで測りながらも正しきらしきことを測り求め続けていく。
それが自分の正しい姿勢なのです。
投資の答えは一つですか?