大河の一滴

大河の一滴

まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

MENU

供給能力ムゲンダイ

スポンサーリンク

以前こんな記事を書いたわけですが

kamomenotoushi.hatenablog.com

「普通というか今までの常識・・と言えるものだと思うんですけどより売上を立てるには商品をよりたくさん生産したりより多くの売る人が必要です。」

「しかしインターネット企業とかソフトウェア企業の一部はそれを飛び越えてきます。」

 

みたいな話をしまして。

このことは、この革命の投資的な側面で実はこの記事でいったようなことは、経済とか社会からするとより大きな変質で革命になるかもしれないと思ってたりするわけです。

そのへんのことを話す非投資エントリー。

 

人類はわりと供給能力ムゲンダイを手にしてしまった。

 

自分はここまで思考が至った時、「あ、これは革命は成った。」と感じました。ぞわっとしました。

IT革命のそのさきの革命 - 大河の一滴

この部分を発展させる話ですね。

 

 

ちなみに例に上げた例のものでは痛い目にあいました。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

産業革命学校で習いましたね?

教科書に出るような過去のすごいこと。

そのすごさは人類の歴史をまるまる変えるような凄さで、現れた蒸気機関などは生産の形を一変させ、これがなければ植民地主義みたいなものも生まれなかったと思うし社会主義なんてものもでなかっただろうし、世界を巻き込んだ大戦争で地球を血の色に染めるなんてことも起こりえなかったとは思います。・・・てのは負の側面で前後で僕らの暮らしは大いに豊かになり、有史以来わりと食べるので精一杯で大きな意味では多くの人々の暮らしはそう変わらなかった人類が、200年やそこらで今のモノがあふれる以前の人たちと劇的に違う豊かな暮らしを享受できているのはこの産業革命から連なる生産性向上、経済成長の連鎖の果てといえます。

そのようなすごいことだから僕らは歴史などでそれらを習うわけですが、自分は今僕らが目にしてる情報技術革命はそれを超えるのではないか?と考えているわけです。

 

僕らが今目にし体験している情報技術革命はあるいは産業革命を上回るかもしれないすごいことだ。

 

ピンとこない人ももちろんいると思うので、なんでそのように思うのかを説明するにあたってのキーワードとして提示したいのが”供給能力ムゲンダイ”です。

 

産業革命は様々なものを劇的に効率化しました。

ホントにあった最悪すぎる仕事 - YouTube

VOICEROID動画でノリとか苦手な方もいらしたらごめんなさいですが例えば6:54秒あたりで毛織物を作る過程で尿に毛織物を浸し人が足で激臭の中何時間も踏みつける工程があったとかで、だから毛織物はたくさん作れなかったし服も今より遥かに貴重だったんだけど、産業革命はこれを機械化しそして以前より遥かに大量の綿製品などの服を生産でき人類ほぼみんな服ぐらいは着れるようになりました。この話の裏付けとれてなくて事実か不明ですが

ただそれは生産力ムゲンダイではありません。

工場には大量の労働者が必要だったし、綿製品をつくるのには綿花を育てる人も畑も必要ですし、倍の綿製品を作りたいとするならこれらの倍のリソースが必要だったわけです。

そして色々見渡しても生産をあげるのにより大きなリソースを必要としないものはほぼないんじゃないでしょうか。

 

綿製品を倍作るには倍の工場、倍の労働者、倍の原材料。

東京大阪を倍の乗客を運ぶのは、倍の列車が必要そうだし、倍の列車走らせばレールは倍消耗しそうです。

旭川と沖縄の消費者にカップヌードルを売るにはどっちにも小売店を作りそこに商品を運ぶ流通網を整備しなければなりません。

生産量が上がれば効率化はできますが、ほぼ殆どのものにおいて生産量をあげるには相応の投資と原材料や労働力そして手間や時間等々のリソースが必要です。

 

しかし情報技術革命で興ったある種のものはこの法則からおおよそ逃れてしまってます。

例えばネットフリックス。

映画をつくるところは置いといて、そこからの映画を人に見せるということはDVDやらブルーレイを製造し、それをレンタルビデオ店に並べ、顧客が借りたいものをレジで会計をして、返しに行ってまたレジで処理なんてことでやってましたが、もちろんDVDの数を増やさないとより多くの人に貸せないし、店舗も増やす必要があります。そこにものを入れる物流を強化する必要だって。

つまり完成した映画をより多くに人に見せる生産行為もさまざまな手間暇労力資源の消費が必要だったわけです。

 

・・が、ネットフリックスは映画を作ったあとは、その手間暇労力を劇的に下げました。

もちろん映画を作るのはあいかわらず手間暇ですし、サーバーやコンピュータを増やすのはコストがかかりますし動かす電気も無限じゃないけど、それまでより劇的に生産力があがって、ブルーレイが借りられていて在庫がないからレンタルできないみたいな、需要が大きすぎるという理由でものが売れないということはほぼなくなったように思われます。見られすぎてサーバーダウンとか通信回線パンクとかはあるにしても。こんなのほぼ供給能力ムゲンダイなわけです。

 

これはこの記事でいったことと同根だと思いますが、あることではものを倍、3倍、10倍、100倍の量を価値を生産しそれを売るのに必要なリソースがそれに比例してないというかある程度の量に到達するとその後はほぼ無限に価値提供を行うことができる。

そしてその量に到達するのは結構早い。なんてものが例えばネットフリックスです。

kamomenotoushi.hatenablog.com

この情報技術革命の中でそういうものは結構あるんです。

思いつく供給能力ムゲンダイは・・・

デジタルコピーできるコンテンツやソフトウェア。

データ化して送る行為

多くの通信技術

コンピュータで完結できる処理

 

まあ要するにデジタル化してコンピュータでこなせることですよ。

などでしょうか・・いや、世の中の結構な割合じゃないですかね?

で、これらはかなりえげつないことだと思うんです。

 

いまややろうと思えばドラゴンボール全巻の電子書籍を即時に国民全員に配布することが可能です。

これが一昔、紙媒体なら難しいです。本を増やすだけ紙の原材料が必要だし、億単位の本を印刷するだけの設備も足りないでしょう。それを売るでも配布するでも各人にわたすまでの物流や流通も必要ですし、もちろんこれらにかかわるための教育された人員だって必要です。そしてこれらを遂行するのも即時というわけには行かないでしょう。時間がかなりかかろうと思います。

しかしドラゴンボール電子書籍ならこれらの全部をすっとばして即時に国民全員にそれを配布するのもそう難しくないです。それを行う人や権利をもつ人に対する報酬をどうするか?とかの政治的商売的問題があるくらいじゃないですかね。いやまじで。

実際、ドラゴンボールじゃなければ、すでにもう自由にいくらでも見てくださいよなんて電子書籍のキャンペーンがあったりします。

もちろん国民全員が見ることは想定されてないでしょうからみんなでみればサーバーが処理しきれないでしょうし通信容量も逼迫するでしょうけど、その電子書籍が売り切れることはもうありません。売れた商品をまた作り運んできて補充する必要もありません。ただいくら出してもなくならない商品を無限にただで配るでも売るでもすればいいだけです。

そしてそのようなキャンペーンをしても大丈なことこそ僕らの社会が尋常ならざる生産力を有した証左なわけです。紙の本なら欲しい人皆にあげるだなんて不可能なわけでデジタル化コンピュータ化は不可能を可能にしてしまったわけです。

 

これが供給能力ムゲンダイです。

いくら出してもなくならない商品。これが情報技術革命の前にどれだけあったか?

そして現在それがどれだけ増えたか?

さてどうなんでしょうか。

まだムゲンダイなものもあります。

完全機会化でき、働き手をゼロにできるものです。

例えば昔は鉄道では乗客が増えるほど駅員を増やす必要がありました。

けれど自動改札ができれば人がきっぷを見なくても乗客をさばけるようになりました。

Suicaなら圧倒的な量を間違いなく処理できるようになり多くの駅から駅員を駆逐してしまいました。

Suicaをつくり維持するのには人が要るはずだし、機械をつくる資源も有限なのでもちろんムゲンダイとするには誇張もありますが、きっぷをみる駅員に関してはゼロにできるようになりました。

 

ゼロです。人員ゼロ。ゼロって他の数字とは劇的に違うところがあるんです。

いくら足しても増やしてもゼロはゼロなんです。

つまり無限に足してもゼロ。まあ機械の制作維持管理には資源も人員も相応にいるでしょうけど、完全に機械処理できるものは必要な人員に関してはこれまたムゲンダイなんです。

 

この変化はその部分の発展の要件に人口制約が無くなるという事です。

そして実際に、完全機械化をなしているようなものは前後でその事業全体に関わる必要な人員は劇的に減ってるはずです。あるいはムゲンダイが大袈裟すぎる誇張表現とも言えないくらい。

 

僕ら人類はほぼ初めて手にしてるはずなんです。

いくらだしてもなくならないムゲンダイの商品。

完全に人員ゼロにしてそこで人の手間をゼロとするムゲンダイ。

ほんとにムゲンダイじゃなくても以前より遥かに遥かに大きな供給能力。

 

僕はこのムゲンダイをもって情報技術革命は産業革命より大きな革命になるかもしれないと思うわけです。

 

そーだそーだと思ってくれる方もいるかもしれない

でもそんな人もたぶんきっとピンときてない。

産業革命は凄まじい変化をもたらしました。

 

人類は豊かになったけど、同時に血みどろに戦争するなど大きな大きな傷も残す変化となりました。

産業革命は素晴らしい薬であったと同時に悪夢の毒薬でもあったわけです。

 

自分はその変化よりこの変化の方が上なんじゃないかと言ってるんです。

当然その意図の中には、これが産業革命を上回る素晴らしき薬であり同時に悪夢の毒薬であるかもしれないということを含んでいます。

人類がこの薬の扱いに誤ることのないようにと願うばかりです。

 

どう扱えばいいのでしょう?

俺にきくなボケ。

 

わかりません。僕は神でも予言者でありません。そんなことはわからないわけです。

こうは思うけど、上記のようにいいもしたけど、これが産業革命を上回る薬かどうかも本当にそうなのかなんて。

ただ大きな変化できっとものすごい変化であることは間違いないとは思うんです。

 

そんな変化を今を生きる僕らは目の当たりにしている。

 

どうなるなんてわかんない。どうするべきかだなんてわかんない。

でも、これがなんなのか?その中でどんな変化が起きて自分はどうすべきか?

それに関心をもって考えていくことは無益なことじゃないと思うし、より多くの人がそう考えるのなら、産業革命のときのように毒薬をのんでしまうことも防げるのかな?とか思ったりします。

供給能力ムゲンダイは可能性ムゲンダイ。

ならばいい可能性を掴みたいじゃないですか?

まあ神でも予言者でもない僕がそう思うって話でしかないですけどね。

 

 

あなたは情報技術革命にどのような意味を与えますか?

 

記事を気に入ってくださった方は↓をクリックしてくれると嬉しいです。
 にほんブログ村 株ブログ 株 中長期投資へ