株式投資とはどんなゲームなのでしょう?
これはいろんな切り方があると思うわけです。
美人投票で順位があがるものを当てるゲーム。
企業を分析して価値を上げる企業を当てるゲーム。
企業に長く寄り添い企業が価値を創出していくのを見守るゲーム。
その他それこそいろいろいろいろ。
その中で例えばこんな切りとり方をしてる人もいるんじゃないかと思う。
賢さを競うゲーム。誰かより賢く賢明にたち振る舞ったものがより報酬を得るゲーム。
いるんじゃないかと思う。
・・・しかしね。
賢さを競うゲームってところはあるかもしれないけどね。
でもね。同時に愚かさを競うゲームという面もありもしかしたらそういう面の方が強いのでは?
と、疑義を発する話。
以下辺りに連なる・・・というか繰り返しな記事ですね。進歩ない
自分はそれほど他の投資家さんのウォッチングをしてる方じゃないと思うけど。
例えば投資ブログとか読み漁らないし、Twitterでサーチして成績よさげな方とその言動を分析したりとかもしてませんが、まあ他の投資家さんと交流もないわけじゃなくて、時折こんな銘柄持ってこういう結果になりましたなんて聞いたりします。
それも類友というかファンダメンタルズ系投資家さんの話ですね。
なのでテクニカルトレーダーさんの実情には疎そうですが、ファンダ系投資家さんの話であるなら、わりと凄腕とか言われたりする実績ある方と話したりもする方なのではないかと思うところで。
まあ、結構な投資実力者の話を聞いてたりすると・・・
あまり賢いというか賢明な判断が傑出した結果を生むことが多いとはちょっと思えないんです。
これは割と強く感じる傾向です。
例えばAmazonを見ましょう。
Amazonに投資して勝利したのは売上が伸びるから持ち続けるとか株価が上がり続けるから持ち続けるなんてした人たちです。
自分はAmazonを売上が伸びるから持ち続けるとか株価が上がり続けるなら持ち続けるという判断をすること自体に高度な知識や知恵は要求されないと思います。むしろ愚者の判断ではないかというか賢者がこの判断をするものが難しいのではないかと思うわけです。
そして人は経験を積んでいくならいくらかは愚者から賢者になるものだと思うんです。知識や知恵をつけ見えてなかったものはいくらか見えるようになる。
しかしAmazonの業績をこうだから駄目だろうとかもう高くて売られるだろうとか誰かより賢くあろうとした人は皆この愚者に敗北したわけです。
愚者であり続けた人が他の皆を下したわけです。
考えてください。それでもこれは賢さを競うゲームなのでしょうか?
他にも最近弁護士ドットコムでわりと短期で10バガーを取った方がいます。これも企業が成長するから持ち続けるとかシンプルにルールを持った結果のようでした。
そこには進んで賢者になろうなんて発想はなかったと思います。
弁護士ドットコムなら特にファンダメンタルズ系の投資実力者であろう人ならだいたい口を揃えて株価が高すぎると大合唱をするような銘柄です。
しかしその方は賢者になり何かを避けよう、他人を出し抜きうまく立ち回ろう、株価上昇は取るけど株安は賢く避けようなんて誘惑に屈せず突き通したのだろうと思います。
愚者を突き通した。
しかしそれが正解であった。
賢者になって小賢しい判断をしようとした人は愚者を突き通した人に皆負けたわけです。
それでも株式投資は賢さを競うゲームなのでしょうか?
自分は決してただの愚者になるのがいいだなんて言ってないです。
知識も知恵も持たずただ環境や他の人に流される愚者もいるでしょう。
そして世の中にはそのような愚者は多いようにも思えます。
自分はそういう愚者になるのは不味いことだと考えています。
そのような愚者には罰が下るとも考えているくらいです。
故に愚者は知識を蓄積し考え知恵を身に着け賢者に近づく努力が必要でしょう。
しかし、その上でいろいろ知りながらそれでなお意図して愚者足らんという人は殆どいない様に思えます。
自分がここで言う愚者はそのような人です。
学び知識や知恵を身に着け、知ってなお賢くあらんその知で他者を出し抜こうなんてせず愚かに愚直な行為を突き通すような愚者です。
賢者でありながら愚者として振る舞うことです。
それが大きな成果を生むこともままあるというよりもっと多いのではないか?
という疑義を感じています。
これがあってるかはわかりませんが、たぶんですがその行為には価値があると思ったりするわけです。
なぜなら意図して愚者であり続ける者は、愚者より・・賢者より・・遥かに少ないように思えるからです。
賢い投資はあまり大きな成果がでない事が多い
もう高いとかいろいろ分析して今後はもう業績は伸びないだろうとかいろいろエクストラ・・賢くあろうとした判断は意外に結果は振るわないものになることは多いという印象です。
これはたぶん認めた方がいいと思うだ。
きっと投資は賢い判断を競うゲームじゃない。
投資はきっとあまり賢きものに報いないのです。
賢さにはいうほど価値なんてないのでしょう。と、いうより賢さで人に差をつけることが難しいというか賢さなんて世の中にあふれるありきたりのものなのでしょう。
きっと投資で傑出した成績を望むのならばありきたりの価値を差し出すだけじゃ駄目なんです。
そのありきたり以上の価値となりうるのが例えば賢さを超える愚かさなのではないかと思いだしているのです。
難儀だなあと思います。
まあでもやり遂げるなら大きな成果にも繋がりそうな疑義なのではないか?
そんな感じで、知識を蓄積し考え知恵も身につけることも目指しつつ、いざというときにはそれで賢く振る舞うのではなく愚直を突き通すというか。
投資は常に賢さを競うゲームではない。
賢い行為がいい結果に近いわけじゃない。
そのことも肝に命じ投資を続けていこうと思ったりするわけです。
投資は賢きものにそれほど報いない
ならばあなたはいかに賢者になって
そしてその上で愚者の投資を貫きますか?