大河の一滴

大河の一滴

まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

MENU

投資の質量保存の法則

スポンサーリンク

f:id:kamomenotoushi:20191212213858j:plain

 投資には様々な手法があります。

 いろんな前提、根拠からのいろんなやり方。

それらであるときすごく成績というか結果がよろしいものもあります。

そんなものを見て思うと言うか懸念と言うか感じてる話。

 

まあ、一石を投じたのはあの方です。

妖精さん

ツイキャスかな。(この件自体はかなり前です。半年以上。ほら自分は記事書いてもストックして投下はかなりあとになるから)

あるやり方の人が成績がいい、というか成績が極めていい人はあるやり方してるよねみたいな方法。

 

ここではそれはどんなやり方かとかは突っ込まないと言うか今回もそういう趣旨じゃないわけですが、とりあず事実としてそれは正しそうだということです。

 結果が大きく出てる人はあるやり方に集中してる。

 そこはそのとおりだなと思うところです。

それとは違う手法を志向している自分はもちろん劣後。

それに対して恨み言なんて言う気もないですが、自分は一つ引っかかっているのです。

それを考えていくとこれは自分の考えるある物理法則に反してるって思うんですよね。

 そこから生まれる懸念・・あるいは代償のお話。

投資の質量保存の法則

利益は差し出された対価に対する報酬であるという法則というか自分の価値観ですね。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

大きな利益はそれに見合う対価が差し出された結果であるという世界観。

投資での大きな利益は差し出される対価と見合うものでそこにうまい話などなく投資は原則としてフェアーであるという世界観。

 

それが何かはわかりませんよ?

才能やセンスもっと言えば実力かもしれない。

時間かもね。

努力かもね?

人より深い思考かもね。

胆力かもしれないし瞬発力かもしれないしわからないけどその手法にあった精神性かもしれない。

運(その人の運か時の運かはしらない)かもしれない。

これは運っぽいけどあるときはすごく儲かるけどある時はすごく損するものとか。

あるいはホントは保険も必要なところで保険代をケチった無謀さかもしれない。

あるいはその他なんでも。

 

その大きな報酬はなにかしらの大きな代償の結果で対価なしに大きな成果は得られないという世界観です。

そしてその対価をケチっていたなら大きな報酬は得られないという世界観です。

 

対価と利益は等しく保存される。

これが投資の質量保存の法則です。

 

これがあってるかはわかりません。

いや、自分が思ったり感じてることは全く的外れかもしれないね。

そんな法則などないかもしれない。

 

けどないなら以下だということになる。

 

投資でうまい話はある。

あるやり方は労少なくそれでいて大きな結果が出る。

つまり投資の世界はアンフェアーで、あるやり方をするものを優遇する。

 

そして、ある者たちは労少なく大きな利益を手にする。

 

自分の疑問はそうなのでしょうか?

というものです。

自分はきっと違うのではないか?と感じるところです。

これが正しいなら他のやり方は駆逐されると思うんですよね。

まあ、そう思うのもやっぱり自分がこの投資の質量保存の法則を信じてるからということになりそうだけど。

 

まあ無駄な努力というものもありますので、その労少なく成果が大きいものをやらない人は非効率で阿呆なのかもしれない。

あるいは自分はそんな阿呆なのかもしれないとは思ってたりします。

いや、その可能性も消せないし。

 

しかしどうだろう?

もし、自分の信じる投資の質量保存の法則がホントにあるのなら。

投資の世界ではうまい話などなく、参加者にフェアーでその利益は差し出された対価に等しいものだとするのなら。

 

その労少なく利益の大きいやり方は何らかの対価を払っているね。

あるいは、今後払わされる事になるね。

 

自分はここを懸念してるというか・・

その大きな利益の対価になってるものは何だ?と気になるわけです。

そんな物理法則を捻じ曲げることなんて起きてないはずだ。何か払ってるはずだって。あるいはこれから払うことになる。

 

その対価がすでに環境が向いたとか運みたいなもんで精算済みとかならいいねとか思います。でなく何かわかんないけど未精算だといつか大きな対価を要求される形で精算されることになり、その時残ってた人は大変なことになるね。勝ち逃げ出来るといいね。

とか思います。

いや、自分は間違ってるかもしれないから精算のときが来るかどうかもわからないけどね。

 

これはなんでもだと思うんだ。

 今流行って結果が出てるあのやり方だけじゃなくてもっといろんなもの。

あるとき流行って大きな結果がでるいろんなやり方。

 

それが大きく儲かるなら・・

それは大きな代償を差し出しているのか。

そうでなければ投資の世界は労少なく成果が大きいうまい話を許すし、アンフェアーだしそれをしないやつは非効率で馬鹿なのか。

 

どっちかしかないと思うんだ。

自分はいずれにしても前者よりかな。

大きな成果が出たときこそ、自分は何を差し出せたか考え自分が大きなものを差し出せてないようならそれは砂上の楼閣。いずれ崩れるものとするくらいな姿勢でいたいと思うわけです。

後から大きな代償を払う形で精算とかなって聞いてなかった!とかなりたくないですからね。

 

 

投資の質量保存の法則はあると思いますか?

もしあるのなら。

その大きな利益の対価はなんですか?

 

記事を気に入ってくださった方は↓をクリックしてくれると嬉しいです。
 にほんブログ村 株ブログ 株 中長期投資へ

 

 

これも関連くらい。

kamomenotoushi.hatenablog.com