大河の一滴

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無知への罰と免罪符

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インターネットが普及一般化してどれだけ経ったのでしょうか?

 自分はこれがあるものの格差を広げたのだろうと考えてます。

インターネットが広げた格差、そしてその中で僕たちはどうすればいいんだろうね?みたいなことを考えてみる話。

ぶっちゃけ投資の話というよりもっと広めな話かなあって思うけど、特に投資ではこの格差が大きいと思えるところで投資は大いに関係あるとなりそうだし投資を考えるカテで。

 

paypayの話題なんて記憶に新しいかもです。 

これがリリース時にドデカイキャンペーンを打ってそれを利用する人もいた一方、利用してない人も数多くいたでしょう。

このブログを見るような方は圧倒的に利用したって人が多い気がしてますがさてはて。

還元率20%の衝撃──スマホ決済のPayPay、100億円バラマキでキャッシュレス市場に攻勢 - Engadget 日本

これは同じ買い物をした人でも利用した人は利用してない人に比べ20%(かそれ以上)得したと言えるでしょう。

その20%を分けたものはなんなのか?と考えるとたぶんだいたい以下なんですよね。

 

知ってるか。知らないか。

 

この知ってるに含むものはこのキャンペーンを知ってるかだけではありません。

スマートホンなどを知ってるから使い方を知ってるかなんてものとかも含みます。

 

スマホなどの通信費も知ってるか知ってないかでかなりコストを分けます。

格安SIMを知ってて、それにまつわるハンデへの対処も知ってるなら日々の通信費及び端末代もかなり下げられます。

法律だってあることを知らないと知ってる、利用できることを知ってるか知らないかで人生に決定的な差が出るような事は結構あるように思えます。

 

世の中にはそれを知ってることでそうでないときと比べかなり差が出るということがかなりあるというか・・・

 

無知には罰があるように思えます。

 

無知だと罰を受け損をすることが多い。

そしてさらに無知と知の格差も広がる傾向にあるように思えます。

現代社会においては無知と知の差は広まり、知において劣後していると罰を受け続ける。

そのように思えているわけです。

 

現代社会に置いて無知は罰せられる

そうなのではないか?と思ってるわけです。

知らないことで罰・・損を被ることが非常に多い。で、無知と知の格差も広まってる・・

 

無知は罰せられる。

知らないことは損を生む。

 

思えば知ってることは必ずしも出来ることを示さないけど、世の中で実績を積み結果を出した人はそうでない人に比べその領域の知識の総量においてより”知らない”と思われる事は非常に稀なのではないかと思えます。

この出された結果の違いはある意味知と無知の格差が生み出す罰というべき形の最たるものかもしれません。

 

つまりはあなたは知らないからその結果を出せないのだ。

あの人との結果の差はあなたの無知に落とされた罰である。

 

投資なら・・持ってる額・・はかなり他の要因にも相当左右されそうだけど投資パフォーマンスも隣の誰かと差が出てるなら、あなたがその人に比べなにかを知らないせいだ。

そのひとはあなたの知らない何かをしってるであり、その結果はあなたの無知に対して落とされた罰である。

自分の言葉だけど痛いまあ投資の結果も知ってる知らない以外のものが及ぼすところが大きいと思うけど

 

これは自分の感覚の話なので誤りかもしれません。

しかし、そう誤りでもないのなら知識をつけ蓄積していくことはあらゆる領域で有効な結果に向かうための手段となりえそうです。

結果とは、望む成果に近づくあるいは罰せられ損をしないことです。

 

そして人はどうやって知っていくのだろう?

最初から知識を備える人はいないはずです。

生まれたときに先天的に法律や税制の知識を授かる人間などいません。

もちろん投資知識を備えるように人の遺伝子が組まれてるということもありません。

しかし、事実として法律や税制や投資の知識なら人によって天地の差があるように思えます

ある人は皆無・・・しかしある人は詳しく自らの身を守り損を避ける・・つまり罰を避けるくらいのそれがあります。

 

どこで差がついたか?

もちろんそれは後天的にです。

 

ある人は知識を後天的に得て、それを用いて損・・・罰を避けているのです。

その意味において知とは免罪符だと言うことができるでしょう。

そしてある人は無知から知へと移動し免罪符を手にいれているのです。

 

その移動する手段。

それは調べる・・あるいは学ぶと言います。

 

調べる、学ぶ習慣こそ罰を避ける免罪符である。

それは先天的には授からない。それは後天的に得るものである。

調べて。学んで。

 

その調べて学ぶ手段をとことん広めたのがつまりインターネットということなんだと思います。

情報の物理的制約が知の範囲を限定しその結果知も制限されていた。

しかし、その知の範囲の制限はインターネットの出現と普及により事実上無限といえる範囲にまで拡大し調べ、学ぶ習慣を持つものがどこまでも進めるようになった。

 

そしてその習慣を持たない人ともつ人の差は長くにはとんでもないものとなる。

そして無知には罰が与えられる。与え続けられる。

そうなのではないか。

転じて無知は罰っせられることで知識の格差は経済的な意味でもその他豊かさの意味でも拡大していく。

知の格差はいずれ経済的な豊かさやその他いろいろなものに転じて人の幸不幸にも転移していく。

調べる学ぶ習慣の欠如は罰せられ、多くのことで格差を押し広げる。その人の幸不幸にも大きく影響を与える程に。

欠如してるのはその習慣だけであっても。

 

書いてて残酷という言葉も浮かび暗い気持ちにもなりますが、おそらくそうなのではないか?と感じる次第です。

 

どうするか?

罰を受けたくないのなら調べ、学ぶ習慣を持つべきです。

答えはこれしかないと思うところです。

 

自分は調査能力というのがキーだと感じているところです。

キーと言うか鍵であるというと同時に扉。つまり全て。

無知なことを調べ、学び知識を蓄積していく。

その能力と言うか調査という習慣です。

 

その習慣を身につけるしかない。

 

自らの身に無知への罰が降り注がぬためにできることはそれぐらいなのではないか。

 

そんな難しいことじゃないはずです。

インターネットが知への制限を無限と言えるまでに広げたっていったでしょ?

 

ググレカスって話です。

ggrks (ぐぐれかす)とは【ピクシブ百科事典】

 

知らない単語、疑問点などが出てきたらとりあえず検索するくらいは習慣化したいですね。

いや、ほんとにきっとそれだけ。

知ってる人は、ただ単により多く調べただけだと思うところ。

ならばたくさん調べましょ?

 

なんですが最近はぐぐるのが(グーグル検索)が精度が大いに落ちてるなんて話で難しいというかここでのぐぐるは端的に調べ学ぶ習慣を指してると思ってくださいませ。

そして調べる方法もアップデートしなきゃいけないって話なんだと思います。

 

「若者はインスタやメルカリ、Youtubeで検索する」のは何故?→前時代の有識者の個人サイトの消滅とGoogleの検索精度の変化が原因かも - Togetter

 

その蓄積があなたに知を授けそれが罰を避ける免罪符となる。

自分はそのように思うわけです。もちろん自分も逃れられないと思います。

 

 

あなたは無知からどのように知に移動し罰を避けますか?

そのために必要なことはなんですか?

 

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