運とはなんでしょう?
とはじめても、これはとても深く難しいテーマだと思ってかもめがどうのこうの言えるような話でないとは思いますが、そうは思いつつ今回はある程度運とはなにか?というのを特に投資の観点で概念化を試みてみようという企画。
特に投資界隈ではあの実績は運か実力か?みたいな話題はよく出る印象なのでそういったときに考える参考にしてくれるとうれしい。
そんな運と投資の話。
・・まあ概念化というかある結果が運か実力か?と考えるときのある意味基準ですね。
ちなみに運を良くするなんて話では全然ありません。
いきなりですが運はかなり概念化できると思う。
いきなりですけど、考え方・・だとは思うけどそれは2つの構成要素に落とし込めると思ったりします。
すなわち・・・
・出てくる結果のボラティリティ(振れ幅)
・試行回数
その結果が運か実力か?というのならこれらの影響から考えることができると思うんです。
まず振れ幅が大きいものは結果が運というか偶然が左右するところが大きい。つまりあるケースでは運良くあるいは運悪くそうなったと言えるかもしれません。
一方、振れ幅が低いものは運というか偶然の影響が低いと考えられます。
こういうと分かりにくそうなので例をあげると、50M競争はでてくる人によってあまり差が出にくい。偶然が左右するところが小さく50M競争の結果は偶然・・つまり運じゃないすなわち実力だとみなせるわけです。
それに対して就職してどのような上司にあたるかは振れ幅が大きいと考えられます。意地悪であなたと相性が悪い上司になるかもしれないし、過去に命を救った恩を売った人が上司で色々便宜を図ってくれる人かもしれませんがこれらは50M走ででうる結果よりはるかにいろいろな結果が出うる振れ幅の多いことです。
ここで一つ言えるのは、その扱うものが広い結果がでうるものは運の要素(偶然の要素)が強くなる。
また試行回数の要素もあります。例えばサイコロの目は1から6までの出る差がでてかなり運が強いものですし、一回だけなら6の目が出た人は1の目が出た人より6倍の成果が出てるともみなせますが、これを一万回振ったときその目の総和がある人がある人の6倍になるというのはかなり可能性が低くなるみたいな話です。
もう一つ言えることは、それが繰り返すされたことで出た結果であるなら運の要素は排除される面が強くなる。
ということで自分は以下をもって運の概念化として見たいと思います。あくまで今回はって話だね。
振れ幅が高いものほど運が占めるところが大きくなる。
試行回数が重られ出た結果は運が占めるところが小さくなる。
この概念化である程度それが運によるものか?実力によるものか?を判別できると思うんです。
ある人が生まれた途端に先天性の病気で死んでしまった。
・病気になる(健康から死まで振れ幅が広いこと)
・試行回数を重ねられない(死んでしまうので)
よってこれはかなり運の要素が高い。そのある人は運が悪かったと言えます。
・家に突然麻薬中毒の犯罪者が入ってきて包丁で刺された怪我をする(振れ幅が広いと思われる)
・試行回数を重ねられない。
これも運が左右されるところが強いとは思うところですが、振れ幅が広いものが実は振れ幅が狭いかもしれないところはあります。その人が麻薬中毒の犯罪者から的確に逃げれる冷静さと身体能力を備えてたらここでは何度やっても実は無事に逃げれるという振れ幅の小さい事かもしれないということです。
試行回数が重ねることが難しい事はこの面で、それが運か実力か?が測りにくいことがままあります。
・・というところもあり試行回数がこなせないものは、それが運か実力かわかりにくいという側面は常にありそうです。
と、ここは難しいのですが・・・
その人がやったとき結果が大いに差が出ることである。
試行回数が少ないことである。
の場合はその結果はその人の実力というより運であるし。
その人がやったとき結果があまり変わらないことである。
試行回数が多くなってることである。
の場合はその結果は運というよりその人の実力である可能性が高くなる。
と整理できると思うところです。
加えて、試行回数が少ないことはその結果が安定的に出せるかどうかはなかなか正確に測れないという面がありそうだし、その結果は運かもしれないという疑念をなかなか晴らせない。ですね。
そしてこれは投資でも応用できる発想だと思うんです
よりでる結果の範囲が広い・・ボラティリティの大きなものによる結果は運が占めることが大きくなる。
試行回数が少ないことは運が占める部分が大きくなる。
これは投資も一緒です。
そしてこれはある程度はコントロールできます。
よりボラティリティが小さいものをより試行回数を多くしていく・・ことで結果が運によるものになることを防ぎ・・すなわち結果は実力らしきものに寄っていく。
よって、結果を実力に寄らしたいのなら試行回数大きくボラティリティが低いものを選択する。
運による(まあ偶然だとは思うけど)結果も受け入れるというのなら、ボラティリティの大きいものを試行回数少ない選択肢にしていく。
というコントロールです。
・・一点注意というか、上でもいいましたがここでいうボラティリティはその銘柄の値動きボラティリティとはちょっと違います。ある人が扱って出てきうる結果の振れ幅です。例えばそれは10%値下がりしたら損切をするとして実際そうするのならそれは試行回数少なくても下のボラティリティはそんなに大きくなく10%です。それこそ運で寄らずにストップ安連続とかならない限りは。
試行回数一回でもその選択の中にコントロールできるものが多ければ、(例えば銘柄選定や資金管理やその他の周辺環境諸々)それはその銘柄のボラティリティの大きさとは一致せず、その人が出しうる結果の振れ幅が小さいことかもしれなく、つまり運というより実力が占める部分が大きくなるかもしれないところはあると思います・・
という一点はありますが、でうる結果の広さと試行回数を選ぶことで、成果を運か実力がより大きく占めるかを選択できる____のではないか?ということです。
この話は運をよくしようという話ではありません
運に頼るのは駄目だとも言ってません。
自分がしていることを運と実力どちらの要素が強いか測ること、それが運が強そうというなら覚悟というかこれが運が悪いと悪い結果になるかもしれないと覚悟をしたり、運がわるくてもそのわりにマシな結果を求める対処を考えたり、出た結果からこれは運じゃなく実力がたりなかったと反省して実力をつける方策を求めたり・・・
そういうことです。
これは運、ここまで実力かもしれないと区別していくことによって、より的確な対処を求めるための話をしています。
自分に対してだけじゃなく他人のしてることにたいしてもやってもいいと思いますけどね。
グロースに集中する。いいでしょう。ただそれは基本的にはボラティリティが大きいもので試行回数少なくする選択です。より実力というよりより運に身を任せる行為です。
運が悪いときは思うような結果とはより大きく違うものも来るかもしれないと覚悟をしておく。そういう運が悪いとどういうことが起きてくるか?そうなったら早めに売るという判断をしよう・・・・などと準備できるかもしれません。
それでその準備が結果を左右する・・つまりその結果は運というより実力が作った称するべきものになる・・結果はおそらく高くなったであろう実力の占めるところが大きくなるかもしれません。
そして運悪い結果になったそれはもう次の試行回数を重ねる機会を得られないかもしれません。しかし実力があがるならまた別の試行機会でいい結果につながるかもしれないじゃないですか。
そういう話です。そしてそういう思考のきっかけになるものとしてこの運の概念を提案してたりします。
いかがでしょうか?
理不尽な不運というものに人は無力です。
ほとんどの人はかからない不治の病にかかってしまう。
後先考えない運転手の車が突然自分に向けて突っ込んで事故にあう。
これは有望だと見込んだ企業が巧妙に粉飾された決算だった。
ある日買った銘柄でその日に前提を覆す下方修正をだしてくる。
これらの理不尽な不運は起きうるけどそれに対して予測したり防御するのは不可能とまではいいませんが極めて難しく人は無力に近いです。
まあこれは悪い意味で逆の理不尽な幸運もありますので痛し痒しなんですが。
運に対してはできることは少ないわけです。その結果はいいことでも悪いことでも常に理不尽です。
けれど、運の影響を下げることはできなくもない。それは上記で言ったとおりです。
そして運以外の実力らしきものをあげていくことも可能でしょう。
そのために。これは運、だけどこれは運じゃないなと見極めていく考え方。それは投資でも役に立つ思ったりするわけです。
それは運ですか?
どこまで運ですか?
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