「ストーリーが世界を滅ぼす」という本を読みました
内容を簡潔に言うのは難しいのですが、物語というのは人々の警戒を解きながら思考の操作をする・・例えばそれが創作であっても黒人が活躍する映画を見たあとは黒人差別により否定的な政治スタンスを持ちやすいのような事例があるそうです。
…というより人々の思想信条により働きかけるものの多くは物語という形を取っており、それが広まるかはそれが真実事実に寄ってるかよりも物語としてよくできてるか?の方がより影響する。
よくできてる物語とは例えば敵がいてそれをやっつければ上手くいくみたいなものとか。
以下が端的でしょうか?
p154
人は物語を求める
物語は問題を求める
問題はそれを起こした悪者を求める
そして人間は深く物語に支配されてます。
この動画を見てください。
暴漢に襲われるカップル・・
檻に容れられた奴隷の反逆・・
それが何かは分からないけど、この動画にも物語を見る人は多いそうです。
あなたもなんにも意味の無い文字の動きに物語を投影したのではないか。
それほど人は本能的に根源的に物語を欲しているということです。
そして人が物語を所有するのではなく、物語が人を所有するのだと本は説きます。
そして人は物語を疑うことよりその物語を守ることに注力する。
ある思想に染まった人が軒並みステレオタイプの反応をするのはSNSでもよく見る事ではないかと思います。そして軒並みその人たちはその思想を捨てられない。
まるで人は物語の奴隷のようです。自ら好んで奴隷となりにいく。
まあ結論としては分からぬように思考を操作してくる物語というものを警戒せよみたいな話ではあるのですけどね。
で、その本を読んだのと同時期に以下の映画?をみたわけです。
前置きが長くなりましたが見たんです。
株価操縦ゲーム。
アメリカのゲームストップの暴騰そして暴落をテーマにしたドキュメント?です。
これがあまりに巨大な悪の機関にされるがままの個人投資家、そしてそれに抗った物語としての体だったので上記の本を読んだこともあり笑ってしまいました。
その映画?の中には悪の機関がいるわけです。
そして記憶にまだ新しいダブルスコープ騒動?で話題になったひとつの話題にも悪の機関なるものがあがりました。
この記事でもそうですし、元機関投資家に所属されていたみのうさんにも否定されてましたが。
「悪魔の空売り機関」とか、
— みのう (@mizulin3911ttts) 2022年9月20日
「機関投資家は個人を損させれる事しか考えてない」とか
一応、その機関と言うところにいた身としては、初耳なことばかり…
その機関と言うところにいた時には、個人をどうしようなんて考えたことがありませんでした…笑
想像力はすごいと思います https://t.co/TUG2v6vtpx
それで本職?の人にも否定されてしまうわけですけど日本でもアメリカでも悪の機関なるものは存在するわけで日本のダブルスコープでもアメリカのゲームストップでも、悪の機関なるものが出てきて無力な個人投資家からお金をまきあげてるわけです。
しかし機関投資家経験者にも否定される悪の機関はどこにあるのでしょう?
それは僕らの心の中にあるのではないでしょうか?
これはよく出来た物語です。
人は物語を求める
物語は問題を求める
問題はそれを起こした悪者を求める
そのままの形です。豊かになりたい僕たちがいて、そこにはそれを邪魔する問題がありその問題とは個人投資家からお金をまきあげる悪の機関なわけです。
それに勝てるか負けるかは分からないけど時には個人投資家は結託してゲームストップでその悪者共の鼻を明かしたり、ダブルスコープで破産させられたりするわけです。
その悪の機関とやらを倒せばぼくらはハッピーエンド。お金持ちになれるんだという物語。
これが事実かは知りませんよ?
これはよく出来た物語ではなくて、よくできた物語のような事実か真実かもしれないですし。
というかこれは機関投資家経験者にも否定されてますし、自分もこれは事実とは違うという立場を取るものですが今回はその根拠をここでずらずら並べる意図の記事ではありません。
まあしかし近いことは過去には書いてますので例えば以下。
しかし自分はそれは事実と違うとしながら永遠に僕らの心の中から悪の機関が消えることはないだろうと考えてます。
それはだからこの個人投資家からお金を巻き上げる悪の投資機関というのがよく出来た物語だからです。
人は物語を求める
物語は問題を求める
問題はそれを起こした悪者を求める
この文脈に沿った物語。
この文脈に沿っていれば事実かそれが正しいかどうかは関係なく人はその物語に影響、時にはその物語に保有され奴隷のように操作されてしまうのだから。
個人投資家からお金を巻き上げてる悪の機関がいてそれを倒せないと個人投資家に幸せは訪れない。そのような物語に支配されるならそれに合致する情報ばかり集め相反するものは否定しそしてその物語を広めるゾンビ映画の感染症ゾンビのようなその物語に無批判に隷属する奴隷となる。
そしてこれは出来のいい物語であるが故に語るものも広めるものも尽きることがなく、しかしながら現実の社会は出来の良い物語で語られるほど単純ではなく故に現実は物語としては出来が悪く今後も永遠に近い時間でよく出来た事実ではない現実という物語はよく出来た嘘の物語に対して劣勢であり続けるでしょう。
そんなわけで僕たちの心の中の悪の機関は消えないのです。
どうしよう?
実のところ自分はそれに対する良い回答は実は持ち合わせていません。
というより上の赤い本の結論の通りです。
よく出来た物語を警戒しよう。
それが楽しく面白い出来の良い物語でも、というかよく出来た魅惑の物語ほど、安易にその物語を受け入れない、現実のものだと簡単には受け入れない姿勢です。
疑って他の視点探ったり、より事実らしきもので裏付けをとったりするわけですね。
それでも悪の機関に代表されるよく出来た物語が現実を歪めて来るのは終わらないでしょう。その中のいくつかには自分も騙されてしまうでしょう。
でもそれを少しでも少なくする、気をつける。その継続です。
でもそうできる人ばかりではない。
というよりできない人の方が多いでしょう。
というか、自らも気をつけながらもその罠に嵌り物語に絡め取られ、その物語の奴隷に成り果ててしまうかも知れません。あるいは既に成り果ててるのかもしれません。
でもそんなの嫌だと言うのなら。
自分の思考が物語の支配をうけ独立を維持できるなくなるのがが嫌ならば。
自分の思考の手網は自分で握り続けていこうと抗い続けていくしかありません。
自分は嫌です。自分は自分の手網は自分で握りたい。得体のしれぬ物語などにはくれてやりたくはない。
僕らの心の中の悪の機関は消えないでしょう。
それが出来た物語であるために。
その物語に屈しろとそれはずっと自分に働きかけて来ることでしょう。
しかしそれには自分はくれてやらない。
そのような物語との自らの主導権を掛けての尽きない争い。
悪の機関などと言う言葉を聞くと自分はそれには屈しないように抗い続けよう。
そのように気を新たにするわけです。
僕たちの心の中の悪の機関にどう抗っていきますか?