大河の一滴

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正しき世界の物語

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ある日ツイキャスの放送がありまして 

twitcasting.tv

参加者さんの一人が文字起こし公開もしてくれてます。

note.com

この放送。

楽しく拝聴させてもらったわけですが、これをきいて思ったのはこれは正しき世界がつくる物語かもしれない・・ みたいな思考実験みたいな種の話。

 

・・・正しき世界とは。

まあ、特に後編では煽り気味になったところはあるとは思いますが、自分の主張としては・・・

バブルからリーマンまでの続いたバブルの後始末(不良債権処理)と株式のバリエーション調整は終わり企業が順調に価値を増すこともできる環境とそれに無茶のないバリエーションがつくという、通常の資本主義が機能する正しき世界になったよね?というものです。

言い換えると企業が価値を増すという環境になるは”ゼロサムからプラスサムになった”ということだしそれに無茶のないバリエーションがつくというのは”過剰なゼロサムゲーム環境ではなくなった”ということだと思ってます。

 

そのような正しき世界が10年も経つと何が起こるのか。

そんなことを考えさせられました。

そしてそれをまとめる話。

 

ちなみにこの記事で理解しておいて欲しい正しき世界の話。前後編。

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

そのツイキャス放送は

凄腕だと思いますが、株式投資で大きな資産を作ったussi (@tauren_jp) | Twitter  さんが20代の若者?投資家に話を聞こうって話だったわけですが。

 

まあ、海千山千の投資家・・それも勝ち残り大きく資産を作った人と話をする・・また視聴者もそれに準ずる人も多く来る・・なんて中で自ら手を挙げて話しますよなんて人はおそらくそれなり以上の自信も持ってる人も多くなるだろうなあとは思うところですが・・いや、だってかなりスゴイ人もいるだろうしボロがあるならすぐボロが出て晒し者にもなっちゃうかもしれないしね。

 

それで6名ほどの若き?投資家さんが話をしたわけですが・・

いやあ、とてもレベルが高かった。

当たり前にように東大出てます。とか、在学中に起業して稼ぎましたとか。親も経営者で自分も経営者とか。

要するにほとんどみんなエリートと呼べる方たちだったんです。

それも驚くところですがもっと、話す内容も極めて合理的な感じでしたし、また株式投資も合理的な思考で有利だとしてたどり着いたというケースが殆どで、そして投資自体も合理的アプローチでおそらくは結果も出てるあるいは手応えも感じてるなんて雰囲気の方ばかりでした。

つまり、出自も思考もやってることもエリートというかぜんぶ優秀な感じなんですよね。

というか端的にいうならやはりエリートです。

 

偏りもあるとは思うんです。

自ら結果を出してる人と聴衆が聞く前で自ら前に出て話そうなんて人は。

それでもそこには明らかにエリートが並んだわけです。

見えない海の中の大きな氷山がどうなってるかはわかりません。

しかし、見えた氷山の一角は、エリートそれも本当に優秀なエリートが株式投資をしているという事実(と言っていいでしょう)なのです。

 

エリートとはなんでしょう。それを自分が定義するのはおこがましいのでここだけの話になりますが、ここでは以下のような人とみなしてると思ってください。

 

知と富を持つ、またそれをそれを構築しやすい環境にいる人たち。

何が卵で鶏はわかりませんが、富があり優れた教育を受けている。優れた教育を受けてるから知識や知恵が付きやすい。まわりにそういう人も集まりやすく結果も出してる人も多いような環境にいて成功者の影響も受けやすい。

そして実際にその環境や得た知をもって投資や事業を始めて結果も出してきてる・・そのような人たち。

 

東大でました。起業をして稼いでます。

そのような人・・つまりエリートが当たり前のように投資・・株式投資をやるべきものとして選んできてる。

 

・・そのようなことが進行しているのではないか?と自分は強く感じるところなのです。

株式投資はエリートを取り込むようになってきた。

 

なぜ、株式市場はエリートを取り込むようになったのか?

まあ、これが事実と断じるほど自分は材料をもってないのでこれは仮定だし誤ってるかもしれない。

けれど、先日の放送ではそうだし実感として、より知と富を備える層が投資市場に目を向けつつあるという実感にちかいものは感じてます。

自分の感覚ではたぶんね。・・くらいで仮説ばかりで心苦しい言い分ではありますが。

 

そして、その感覚が正しいのならなぜか?についてはこうだからだろうな?って思う部分があります。

 

エリートが株式投資に目を向けるならそれが有利だということを理解してきたからではないか?

 

ここで正しき世界の話に戻りましょう。

 

正しき世界。前後編。

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

バブルからリーマンまではそれは企業は利益を出せずゼロサムであり、かつバブルの高値からバリュエーションを落としている調整の期間であった。

それが、企業利益が出るようになったことによってBPSの蓄積、価値向上が再び始まった。それにより株式市場はマイナスサムゼロサムからプラスサムの世界に戻ってきた。

これは日経平均の株価、PBR、BPSの推移という数字を根拠とした仮説です。

 

エリート・・それが知を備えるなら思うでしょう。

プラスサムになったんだね。

ならばそれは有利だ。ならばやるべきだ。

それはかつては博打場だったんです。

いや、そうでしょう。企業は稼げなくバリュエーションが下がるならそこはパイが増えずあるいは減るものです。

そんなものなら合理的なエリートはあまりそれには関わろうとせず、むしろギャンブルだと見下して触れないようにするのではないでしょうか。

もちろん他人が馬鹿に見えた多分優秀な個が入ってきて実際にうまく立ち回り結果を出すことはあったでしょう。もちろん逆に巻き上げられた人もいるだろうね。

しかし株式投資はプラスサムだとか資本主義がどうとか言われてみても・・何をどう言われてもリーマンまでなら企業はたいして稼いでなかったし、日経平均ならバブルから下がり続けたのは厳然たる事実です。

 

それは実際に有利ではなかったのです。というより不利なものだったんです。

 

そしてエリートは株式市場にやってくる

しかしそれが実際に有利になってくるならどうでしょう?

企業は利益を積み上げて価値をあげていく。

そして株価も実際に企業価値向上を反映してあがっていく。

 

それが長い間示されたならどうでしょう?

それは資本主義の元に偉そうに株式が有利だなんて宣う理屈が示すとおりの結果が実際に示されたということです。

 

正しき世界になり投資は理屈通りに有利なものとなってきた。

 

そうなるなら特に賢いエリートはそれを見逃さないよね?って思うんです。

 

正しき世界の物語

株式市場はゼロサム・ゲーム・・つまりは強きものが弱き者から奪う博打場から、博打場という側面も残るけど企業が利益をだして価値を高めていくプラスサムの恩恵を享受する魅力的な運用市場とみなされるようになってきた。

 

そして特に知と富をもつ・・・つまり教育に力を入れられまた収入が多かったり元々結構資産がある(あくまでの他の層との比較)エリートが普通に株式市場に目を向ける様になってきた。

それが他者から力を持って奪うという博打場であるなら・・事実バブルからリーマンまでは企業価値も向上せず、株価もあがっては更に下がる博打場であった・・そんな賭博場に溜め込んだ知と富というリソースを持ち込んで無為に散らすのは特に知を備えたものには愚行と映るでしょう。

 しかしそれがプラスサムを生み出す場所になったのなら。博打場でなくなったのであるのならば興味を示すはずです。

 

知を持って富を投じればその富が増える場所となるなら富を投じようと考えるもの・・それは特により情報を集め合理的な思考をする訓練も受けてる知を持つ人達・・つまりエリートがそういう判断をするのはかなり自明の理だと思うんです。

 

株式投資は馬鹿にされ続けてきました。

それもある意味当然で、バブルからリーマンまでそこは企業価値が蓄積しないゼロサムゲームの賭場だった。もっといえばバリュエーションという意味では日経PBR5から0.8までさがるマイナスサムゲームの会場でした。

儲からないものにお金を投じて儲けようとする人たちを馬鹿にするのは特に知ある人にとっては当然でしょう。本当に儲かった人がいてもそれは運がよかったというだけでしょうね。

 

自分には正しき世界になり今までの物語が覆されてきているように感じるのです。 

まあ、これはあくまで自分が感じるほんとかどうかも怪しげな仮説ですが。

 

そして株式市場はエリートの知を取り込んでいく

正しき世界に戻った結果、株式投資は有利になりそれを認識したエリートが続々参入することになるのでしょう。

そしてその片鱗が今回の放送で可視化されたのでは?という疑いを持ってます。

 

もしそうであるなら、今後は株式市場はエリートの知と富を取り込んでより合理的により効率的により競争が激しくなっていくのではないか?と想像するところです。

いつまでか?

それはもちろん株式投資が有利である限り。プラスサムである限り。  

自分の考えではその連鎖を絶ちたいなら企業を殺すしかないと考えるところです。

つまりバブルからリーマンまでのように企業は利益も出せず進まぬ状態になること。

 

・・・と、ここでまで言いましたが、どこまでももこれらは自分のあまり根拠もないあってるかあってないかも定かではない仮説の域をでないものです。

 

まあでも、自分はその方向性を感じています。

そしてそれは正しき世界として正しき方向性のように思えるところです。

そしてそう思えるなら。

正しき世界で如何に自分のような凡愚が生き残り成果をだしていくか。

それも考えていかないといけないかもしれないなあ。

そんなことを考え出したりもするのです。

 まあ大きな意味ではそれはプラスサムで有利なこと。って考えるところなのでそんなに悲観もしてないですけどね。

 

 

正しき世界の物語。

あなたはどんな物語を考え

そのなかでどう振る舞っていきますか?

 

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