意味のわからないタイトルだと思いますが
このことはわりと本質だと思うし、いろいろなところに派生発展する話でもあり、投資がなぜ強いのか?とかなぜ格差は生まれ広がるのか?とかの根源的な理由になってくるのではないか?と思ってるような話。
それは種をたべる人と種を育てる人の違いなのだと。
ある二人の人がいました。
その二人、AさんとBさんは農民で何かわからないけど作物を育てててできた種を収穫して暮らしてます。
しかし似たようなように見える二人にはある違いがありました。
Aさんは、収穫した種を全部食べるのですが、Bさんは収穫した種は一部を食べて一部は残して残した種は畑に植えてそれも育てるという違いです。
Bさんは最初食べられる種の量が少なくひもじい思いもしましたが、畑にあらたに植えた種が作物になり種が取れるようになると、ひもじくもなくなりましたが、さらに一部は畑に植えて育てました。
そして気がついたら、BさんはAさんの100倍の種を得ることになりAさんはそんなに多くの種を得るなんてずるいと僻みましたが、Bさんはもうそんなの食べきれないので食べられない分をさらに畑に植えてたら、Aさんができた種を全部食べてる横でその差は100倍、1000倍、1万倍と差が広がる一方でBさんはたくさんの種を得て幸せに過ごしましたとさ。
おしまいおしまい。
以上はこういう話ですが、この結末は自明の理としか言えないと思うんです。
種を全部食べる人と一部食べないで育てて続ける人では長期に得られる種の量には差がでる、そしてその差は広がり続けていく。
得られたリソースの全部を消費せず、それをとっておいてそれをそのリソースが増えるものに投じれば、得られるリソースはその行為をしないものと差がつき、それは永遠に広がり続ける。
自明の理だと思うんです。
そしてこのリソースを増えるものに投じる行為がすなわち投資です。
投資をするものは投資をしないものに対して差をつけていく、それは無限に広がり続ける。
それは種を全部食べる者と一部育てて増やす者の違いと同じ違いである。
だと思うんです。
そしてこれこそがr>gといえます。
r>g。
gは経済成長率と言われてるね。
こう言われるとピンとこないかもだけど、これはすなわち得た種を全部食べる行為です。全部たべるにせよ経済成長すれば、作物に与える肥料がよくなったり農作業具の改善などで得られる種の量は増えるかもしれませんね。
それに対してrは種をとっておいてそれを再育成、つまり投資する行為です。この行為ももちろん肥料や農作業具の改善の恩恵も受けるでしょう。それに加えて増やすので全部gとして消費する人と差がついていく。
rはgに対して差をつけていくのは必然で、だからr>gなのです。
もちろん種を育てる行為なら畑の面積や育てる人の労力の限界などがあり種の再投資をしないものとの差は限界、蓋もありますが、現実社会においてはこの差を無限と言えるほどに広げる手段は多々あります。収益不動産の取得拡大、収益事業の拡大。もちろん株式投資もこれにあたります。そして多くの金融商品には畑の面積限界のような蓋はほぼありません。あえての蓋を出すなら人の寿命とか。これも世代で乗り越えてしまうと差はそれこそ天文学的な差にもなりえます。
このrとは投資をしないものとする者の差を広げその差を”無限に”広げ続けるものだ。
この意味においてrとは格差拡大装置と言えます
種を食べる人と種を育てる人の差は決して埋まりません。
種を育てる人は種が増えるスピードをもって種を育てない人と差をつけ続けます。
それは上の記事によると平均すれば・・
「18世紀まで遡ってデータを分析した結果、「r」の資本収益率が年に5%程度であるにもかかわらず、「g」は1~2%程度しかなかった」
というわけです。
これには種を育てるような物理的な制限はありません。現代社会においては種を育てる以外の種を育てる手段はいくらでもあります。
そしてその利回りと規模によっては格差は行き着くところまでいってしまいます。
「資産10億米ドル以上(約1000億円)の人は、世界中に2189人しかいない。ただし、その資産総額は全人類約6割の財産よりも多い。」
この人達は頑張ったから1000億を手にしたわけではありません。頑張ったのは彼らの種でありその増える力をもってそこまで到達したものでありかれらは単に種をとって育てる行為をより効率よくより大規模に増えて大きくなってもさらに妥協せず限度も知らずに止めないで長くやり続けただけの差です。
この種をとっておき増やす力・・つまりrの力・・この格差拡大装置はそこまで限度を知らないものなのです。
投資家・・このrの力によって生きるものはその力がどんなものであるのか?それがどんな変化をもたらしていくものなのかを知るべきだと思うのです。
これは恐ろしい武器です。この力はひっくり返しようもなくそしてその効力は加減をしらない。
そしてこれは同時に種をとっておき育てるという行為でもあります。
種をとって一部を育てる行為。
そんなのは農民なら誰でもやります。
多くの人は貯金くらいはします。
これだって収入の一部ですがとっておき育てる行為です。貯金は育つスピードが僅かすぎて時間がかかりすぎますけどね。
でもそれでもそれは育てる行為です。
それは、それくらいハードルの低い特別でもないことなのです。
と、同時に種を全部食べる人もいる。投資もしないし貯金もできない人もいる。
もっと言えば、マイナスにする人がいる。種を先に借りて先に食べてしまいあとの種を食べずに差し出す行為をする者すら居ます。
そしてそれはしてもしなくてもマイナスにすることすらいずれも当たり前の様に行われる行為なんです。
けど、それが長期には恐ろしい違いにもなる恐ろしい武器を用いるか用いないかの違いだったりする。
投資家はこの力をもっと知るべきだといいました。それがもたらす効果も含めて。
これは、使うのも使わないのも当たり前のものでありながら長期には、決定的な差を作る格差拡大装置なのです。マイナスも考慮したらもっとです!
種をとっておき育てることなんて当たり前のことなのに。そしてその育ててる間は、隣で種を全部食うものを見ながらひもじい思いもして我慢して育てた行為の結果で正当な報酬を得ただけなのに!
でも、それは気づけば種を育てないものとは圧倒的な差を生み種を育てない者から・・それはたくさん居る・・・者たちからの理不尽な恨みを買うことになります。
あいつらは我慢せず全部食べてた!今の結果はあいつらの自業自得なのに!
でもそれを見過ごせば社会は分断されるかもしれません。
ときには壊れてしまうかもしれません。
そしてこれはかなりこの武器のせいだと思うのです。
この当たり前だけど強力な武器・・
種をとっておき育てる行為。rのえげつない力です。
自分は投資家は。このrを使うものは。
そのことを知るべきではないかと言っています。
実はこの"r"別の言い方をすることもできます。
利子です。
この利子が長期には決定的な格差を生みそれが社会分裂を生んでときには社会破壊を起こす原因ともなるのを知ってたんですね。
あるいはホントに社会が壊れたのでしょう。
昔の人はエライですね。
建前みたいなところもあるようですが、世界の主要な宗教であるキリスト教もイスラム教も元になったユダヤ教(これは異教徒には禁じてなかったようですが)も利子を禁じてました。
それは宗教の持つ知恵だったのではないでしょうか。
他にも高利貸しはよく為政者から規制されてましたし、だいたい過去の物語においては利子をとるものは悪役です。
これは利子をとるものが長期には社会混乱を生み出す原因ともなるとした宗教の知恵と同根とも思えます。
ですがいつしかrを使いこなす商人投資家は宗教や為政者に利子を取ることを許させた結果今の繁栄があるとも言えます。
ある意味投資家は許されたのです。
けどそれは、種を育てる力。rの力。そして利子の力が消えたことを示さない。
それは依然として恐ろしい力を持った武器なのです。
だって今の世の中はこのrを使いこなした少数のものが富を寡占する世界になってしまってるのだから。
投資家はそれを知るべきではないか?
知ったあとのはどうしましょうか。
それはこのブログお得意の答えですね。
それはあなたが考えることだ。
その武器の力を知り、種を育てない人のことも配慮して、その使用は控えめなところでやめておく。
種はできるだけ得る。でも十分とした以上はみんなに種を配る。
種はいくらでも手に入れる。そしてそれらも渡さない。それをやり通すための知恵と力も準備する。
その他なんでもそれはあなたの出すべき答えだ。
やはりこのブログではこの武器のことをもっと知りましょう。まで。
でもこの武器のことをもっとよく知り、この恐ろしくそして素晴らしい武器がどういうことをもたらすのか?そしてそれをどう扱うべきなのか。
それをより多くの人が知って考えることで、その人もまた社会も今よりちょっとハッピーになるのではないかと考えているのです。
あなたは種を育てる行為の力を。
その力が何をもたらすのか。
それを知ってますか?
その上でそれをどう扱いますか?