ある日突然思ったわけです
以下のようなこと。
期待が実現するときより期待をする段階の方が快感指数が高いらしいようです。つまり大きな期待は気持ちいいと。
— かもめ (@kamomejan) 2020年6月16日
場合によっては期待を実らすよりより、期待の最大化をした方が気持ちいいのかもしれないと滋賀の隣の人など想像しながら。
滋賀の隣は株クラの中では著名な有名な負けてる人ですね。
知らない人は知らないだろうけど、ハイレバレッジな投資をして負けまくってる人です。
それに限らず。
投資というか自分としてはトレードと言いたいですがレバレッジを大きくかけて張る人は大体負けているという印象です。
それでなぜレバレッジをかけてしまうのか?
そして負けてるのに何故やめられないのか?
そんなことを考えてみるというか推測を試みる話。
期待は快感である
上のツイートですが「期待は快感になる」なんてものが頭にあってなんでそう思ったのかなあと検索を繰り返すと以下の記事が見つかりました。
記憶にある記事でした。この記憶が残っていて上のTweetに繋がったと。
以下の図なんてわかりやすい。
「ガチャとは「3割の確率で成功すると思ったその時点で、成功したときの快感が前払いされる」という人間の本能的な快感回路」
「当たるかどうかわからない事象のほうが快感をより多く得られる」
とかとか面白い部分もあったりしますし全体的に面白いしためになると思うので読んでほしい。
そんな注目の面白い記事ですがここで重要なのは、期待すること自体が快感でその快感は実際にその期待が実現するときより大きいというところです。
期待は快感である。下手したら期待が実現することより。
そういうことだと思うんですよね。
上記の記事もあるゲームクリエイターの印象だし、学術的裏付けもそんな強力じゃないとは思うけど、これはたぶんいろんな状況からもそうなんだろうなあと思うところです。
・・というか、これでギャンブル依存症もかなり説明できると思うんですよね。
説明できるんですよ。
期待は快感でありそれはその期待が実現するときより大きな幸福感を伴う。
だから全体としては損しててもそれは気持ちいいからやめられない。
ギャンブル依存症。端的にはそれは損してるから問題だと思うんですよね。
損してるのに続ければいろいろ不都合が生じている。
逆に損してなければいいんじゃないですか。それもハマり過ぎは問題かもですが儲かってるけど問題にされてるケースってあまり見た記憶がありません。家族が怒るからお土産で買収してるなんて話くらいは聞いたことありますけどね
そして損は苦痛なはずなんですよね。
苦痛じゃないですか?
嫌じゃないですか?
普通は損してるならやめたくなると思うんですよ。
燃えるガスコンロに手を突っ込む人がいますか?
ガスコンロに手を突っ込むのは痛いばかりでそのわりには気持ちいいことがないからそれをする人はいない。それこそ痛いこと自体がご褒美のような奇特な人じゃない限り。
でもギャンブルみたいなものは損して苦痛なはずだけどやめられない人がいる。
自分はそれは総合的には苦痛じゃなくて快楽だからやめられないと思うんですよね。
ガスコンロは総合的に快楽じゃないから手を突っ込む人がいない。
ギャンブルは損しても総合的に快楽になるからやめられない人がいる。
そうじゃないでしょうか?
期待が大きいなら結果としてそれが振るわなくても快楽である。
と、脳が判断してるとしか思えないんですよね。
特にハマってる人だと。
だからひたすら損を積み上げながらもやめられない人がいる。
当たったとき、利益が出た時の快感が引っ張ってるのだろう。
そういう見方をする人もいるかもしれません。
しかしそうでしょうか?
自分にはその種のハマりをしてる人が当てようと何かを改善してるようには見えないんですよね。
期待をすることによる快感じゃなくて当たることによる幸福を目指してるなら、当てる確率を高めるための行動が伴うはずなんです。
自分には特にハマってる人においては、その努力がなされてることは少ない気がします。
以上が正しいか実際はわかりません。しかし仮説は立てられます。
つまりその人は、期待を実らすことではなく期待をすること、その期待を大きくすることの最大化を狙ってる様に思えるんです。
上の記事のとおりに期待が実る時より、期待をする快感のほうが気持ちいいならありえます。
そのほうが気持ちいいと脳が判断してると思われるケースがあるんですよね。
期待の最大化を目指すならどうすればいいだろう?
自分は手っ取り早い方法を知ってます。
つまりは掛け金を大きくすればいい。
なんならレバレッジもかけましょう。
一万円しかかけないならそれが3倍になってもせいぜいSwitch本体が買えるかなくらいです。ゲームソフトもなければ遊ぶことも出来なくそんなのに大きな期待を寄せることなんて出来ないでしょう。
つまりそれで期待の快感なんて得られない。
しかし全財産突っ張ってレバレッジもかけて300万ならどうでしょう?
それが3倍になるならおよそ1000万。
海外旅行にいけますね。国内なら豪華な旅館に泊まって美味しいものもたべても余裕でお釣りがでますね。なんなら数年は嫌な仕事もやめて遊べるかもしれません。
1万を3万なら絶対ないだろうけどちょっと有名になってチヤホヤされてしまうとかもあり得るかも・・!?
ゲーム?なんなら今年出たソフト全部買っちゃおうか!
大きくかければ期待もより大きく膨らむ。
当たるならこんな事が起こる!こんな事ができる!
・・・快感のようですよ?
下手したらというより上の図なら当たったときより快感のようですよ。
そして考えてください。
大きな期待の快感の大きさが・・それが当たらなく外れて損になった時のがっかりよりその痛み苦しみより大きかったのなら。
その総合幸福度はプラスだよね?
ならやめられないんじゃない?
だって総合的には快楽じゃん。
期待してハッピーになって、その後損して不幸になっても期待のハッピーが勝るなら、それは気持ちいいと脳に刻まれますよね?
自分はそう思うんです。
だから損をしてもというか損をすることがわかっていたとしてもギャンブルはやめられない。
損をしてることを利益にするための努力すら愚の骨頂。それより大きくかけてより大きな期待を抱けるようにしたほうが気持ちいい。
自分にはその罠にハマってる人はそういうサイクルにいると思うんだ。
だからなかなか抜け出せないんじゃない?
きっとお金を失う事による様々な弊害。不幸の加速で痛みが大きくなりその大きさが期待の幸せの大きさを上回るまでやめられないんじゃないかな?
それまで総合的にはハッピーで気持ちいいからね。
そしてそのとき・・総合的に快感でもなくなる時。振り返れば壊滅的なダメージを受けた人生が残ってることに気づくのです。
あるいはそれができなくなるまで・・人生を壊し尽くし壊れるところもなくなりその幸福を追うことが物理的にできなくなるその時までやめられないのかもしれません。
これは避けなければならないと思うんだ。
期待の快感に惑わされることは。
あなたは期待をしたいのですか?
それとも期待を実らせたいのですか?
これは脳を焼かれてなきゃ後者だと思うんだ。
期待の熱量に脳を焼かれる前に体温下げて期待を大きくすることではなく、期待を実現する行為によりエネルギーを注ぐように調整するべきだと思うんだ。
期待の快感をすててそれに投じてた分を期待の実現に振り向けるべきです。
期待の快感を得ることより期待を実らせることの方が価値が高いからです。
なるほど。気持ちいいのは期待を実らせる事より大きく期待することなのかもしれない。
しかし本当にハッピーになれるのは、期待をすることではなく期待を実らすことだからです。
そう思いますがどうでしょうか?
どうすればいい?
これは自分は心がけってなりますね。
心がけてはまらないように努めるってだけ。
ただ知識があるならそれは容易になると思うんです。
期待する事の幸福度は高い。
それは期待が実現することより幸福に感じる時もある。
しかしそれは罠である。
本当の幸福に近づける行為は期待をすることでなく期待をちゃんと実らすための一歩を積み重ねることだ。
と認識してればかなり防げると思うのです。
ダイエット中にお菓子を食べてしまうのも人間ですが、お菓子を我慢できるのもまた人間です。
お菓子を我慢できるのはそれを食べると良くないという知識があればこそです。
そして欲に負けてお菓子をいつも食べてしまうほど弱い人はそんなにたくさんいないと思うんです。
そんなふうに思うところです。
そして期待の快感の罠に屈せず粛々と一歩を積み重ねていきたいものだなって思うんです。
あなたは期待をしたいのですか?
それとも期待を実らせたいのですか?