地位財なるものがあります。
地位財とは何でしょう?
辞書を紐解くと・・
周囲と比較することで満足を得られる財。所得・財産・社会的地位・物的財など。
と書いてますね。
幸福感は長続きしない。とご丁寧に付け加えられてあります。
以下の本なんて見るとその地位財がなんなのかよく分かるかもしれない。
なんですが、その地位財。
投資家は地位財とどう向き合えばいいんだろうね?みたいな話。
最近タワーマンションが話題になりました。
2019年10月にでっかい台風が到来して。
近年タワーマンションができまくってる武蔵小杉で、その台風の影響で下水が逆流すると言うか笑えるようで笑えないなかなか悲惨な被害がでました。
そこでタワーマンションに注目するとこの地位財というものに意識せざるを得なかったわけです。
というのもこのタワーマンションというか不動産というか住居。
これは典型的な地位財になりえるもので、詳細は省きますがこの台風被害にまつわる武蔵小杉のタワーマンション騒動で、高い価格の上層の人が下層の人を見下したり、管理組合で我々は勝ち組だみたいなこと掲げてたり、台風被害見てざまあ的な意見を言う人が多発したり不動産の持つ地位財の特性を浮き彫りにしてと、なかなか人は争うというかマウントを取り合うのが好きですね。って感じです。
そうです。人はマウントをとります。
多かれ少なかれ人はマウント取り合うものだと思うというか、自分の持つもの、自分の能力や実績で他人より秀でることに魅力を感じるようです。
ときにはそれで秀でるために総力戦というか、自分の余裕を捨ててとか大切なものを投げ捨ててそれに勝とうとする人もいるようです。
投資家もよくマウント取り合ってますね。
よくあるのが、いくら持ってるんだぞとか、年初来のパフォーマンスがこんなにあるぞ!とか。
いや、それで他より秀でると嬉しいはわかります。尊敬も得られるかもね。魅力的はそうかも知れない。
しかしだしかし、例えば隣の人より多く持ってるとお金増える?
増えないと思うんですよね。隣の人が500万。自分が1000万だった。やった勝った。でもそれで1000万は1100万になったりしません。
まあ400万だったとき隣の人に500万で負けた悔しい。そして頑張って1000万にしたとかはまあ有益かもね。でも相手も頑張るから相手は500万から1500万にしてるかもね。ああ、悔しい。
悔しいのは分かる。たぶんそれは本能。
そのときに本能の命じるまま永遠に戦うことが賢明なのか?
自分はそのことを考えてみようぜと言ってるわけです。
他人に勝つことにどれだけエネルギーをかけるのが賢明か?
そう問いかけるべきだと思うんです。
地位材は魅力的なことも多いと思うんです。
タワーマンションなら、高いところの見晴らしのいい景色、都心に近いアクセス。整備されたばかりの新しい街。メリットはいろいろありましょうし、だから競争がおきるというか競争が起きる結果、そして他人に勝とうと争った結果・・・
それらは異常に高コストになるんです。
勝利の代償というやつです。
勝利の代償は、その勝利の報酬と見合ったものなのか?
それで得られるとできる報酬がかけなきゃいけないだろう代償をかける価値があるのか?それを一度は引いて問いかけてみる。
それは大きな代償を差し出しても本当に必要な、もしくは欲しい物なのか?
そんな視点があるべきです。
勝てるなら何もかも失ってもいいとか、そんな第二次世界大戦の日本ですか。
自分は例えば武蔵小杉のタワーマンションなら、それを得るために多くの人は重たいローンを数十年。きっと多くの人は収入が途絶えた途端破滅するような重たいラットレースを長くながーく続ける代償を払ったのではないか?と思うわけです。
いやあ、自分はそれは代償と報酬が見合わないなって思うわけです。
地位材自体にはやはり価値があるとしか言いようがない。
ただ価値があるゆえに競争が起こり取得コストが高くなるし、また他人より秀でる事に価値を置く限り相手もいて同じ様に無限に永遠にコストをかけ続けなきゃいけなく、時には敗北即破滅みたいなチキンレースみたいな体にもなる。
しかしこれから降りるのもできるよね?
もちろん手放すことのデメリットもあるけど、勝利にコストがかかるというか大きく投じて勝っても益が少なく、敗北するなら即破滅とかなものに進んで参加するとかまったく賢明じゃない。
故に得られるものとそれを得るに必要なコストを考えて、降りたりするのがいいと思うんだ。
取得競争が起きないものの中にもそんなに質も悪くないものがあるし、競争が起きないと言うか、売れないがゆえにむしろ価格を下げる競争が起きているものなら地位財に比べコスパフォーマンスが高いとなるでしょう。
そういうのを考えた上で選択する。
選ぶ。捨てる。
そういう姿勢が賢明な投資を作るのかな?と思うわけです。
自分は競います。
ヘビイな脱落イコール破滅なラットレースしながらお高いマンションでマウント取り合うのもそうだし、投資成績でやりあうのもまあそうですね。
自分もある所で無印とドーミーの少マウント合戦してたし。無印とドーミーのどっちが優れるか?みたいなくっだらない争い。
このドーミーと無印のマウント合戦なんてたいして問題ない。
だって負けても失うものなんて殆どないもの。
そして逆に勝っても得るものないから別に勝たなくてもいい。
つまり負けてもいいし勝ってもいい。どっちでもいい。そんなものに遊び以上のコストをかけるのは愚かだ。自分はそのような判断をしてるわけで、もしこれがもっと白熱し参加するのにコストを浪費しそうだとするなら進んで降りることになるでしょう。
また自分は自分の投資成績を基本的には公表していません。
その理由のひとつはこの地位財取得競争に巻き込まれるのが賢明じゃないという判断があるからです。
勝っても得るもの少ないし勝ちに向かうだけで必要となるエネルギーも多そうだもの。
そんなの報酬と代償が見合ってない。だから参加しない。降りるわけです。
そうすればいいと思うんですよね。
そして人は競います。
そんなふうに競争するのもいいし、あるいは降りるのもいいけど(降りた方が賢明な事は多いかな?)道を外すと破滅なまでなところまで自分を追い込んで競いに行くのはやはり差し控えたいものです。特に大きなコストがかかるわりにはコストパフォーマンスが悪そうなハイカラで便利なタワーマンションを買うとかね。
そんな感じに地位財も魅力は魅力だけど、それを投げ捨てられることが有益なのでは?と考えています。 というか相対的に価値が決まってくる地位財取得に大きなリソースをかけるのは損だし賢明じゃないという発想。
そんな発想を自分はしているのです。
これを一言でいうと地位財を投げ捨てろなのです。
それは大きな代償も差し出せる本当に欲しい物なのか?
それがそうでもないのなら地位財なんて投げ捨てろ
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今回はこれとちょっと近いかも。