大河の一滴

大河の一滴

まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

MENU

受け取れる価値と見えない値札

スポンサーリンク

f:id:kamomenotoushi:20160211192526j:plain

バフェット様は言いました。 

 

ベン・グレアムが私にこう教えてくれました。「値段は自ら支払うもので、価値は得るもの」だと。

 

言ったらしいですよ。

株式投資なら、値段は株価でしょうね。

うん、そうだね。阪急阪神株725円のとき、それが自分の払う金額だね(こまいこと言えば、払った金額が株価になるだけどね)

はい、自分は300円で買いたいです。と言っても買えない。うん、間違いない。

で、価値は得るものだそうです。

得るものが価値のようですよ?

 

困ったね。

得るもの。

まあ例えば配当を得られるでしょう。 

けど、得られるのは配当だけじゃない。

厳密にはその株式分から出てくる純利益だって得られます。会社は会社の発展のために一部を使わせてねって事になるけど、それも得られるもんだと十分みなすことができます。

阪急阪神なら優待ももらえます。しかし自分は阪急も阪神も普段使いできる地域に住んでないね。自分は端的にはいらない。でもこれが無価値かというと無価値ではなさそうだね。

タイガースファンでない自分は別に球団オーナーのオーナーになる価値もないね。でもそれが価値と思う人もいそうだぞ。

阪急押しの鉄道ファンもいるだろうね。自分は阪急オーナーだ。は、魅力的となるかも。自分はわりとどうでもいい。

 

配当以外は得られるものではない。というと違う気がする。

困ったね。価値って得るものみたいだけど、この得るものって人によって違いそうだ。

 

同じものでも、得られるものって人によって違いそうだ。

 

はい、それが正解です。

同じものでも人によって得られるものが違います。

価格という面においてはそれは同じものであることが多いですが、価値という面においては、それは人によって違うものなんです。

 

違うんです。

残念ながら違うんです。

いや、幸いにもと言うべきか。

 

だって受け取るものが違うから同じ株価で売る人と買う人がいるわけですから。

違うがゆえに自分の受け取る価値より低い価格で買うことも可能なんですから。

同じなら、だれがその人のみなす価値より安い価格で売ってくれる事があるというのでしょうか?

その人は、受け取る価値より高い価格だと思うから売ってくれるんです。(投資家視点ではそう見えます)

 

得るもの違うんです。

違うがゆえにそれは見えないんです。

他の人の受け取る価値なんか見えてたまるか。

 

それは自分にもいえます。自分が受け取る価値は他人には見えない。

 

自分の受け取る価値は自分にしかわからない。

 自分が受け取れる価値は他の人からは見えないんです。

見えません。断じてわかりません。

あなたがその株式から受け取る価値は他の人には見えません。

 

それはどういう意味を持つか。

 

受け取る価値から払うべき価格を決定できるのは自分しかいない。

 

ならば決めてしまいましょう。

自分が何を受け取れるか考え、それにいくら払っていいかを。

他の誰にもできないあなたにしか出来ない作業です。

 

冒頭で自分やりました。

阪急阪神は、自分にとっては300円です。300円なら払っていいと思いました。書いてる時点でPBR0.65前後?まあ自分が得られる価値を思えばそれくらいなら買ってもいいです。

そうやってつけられた300円は見えない値札と言えそうです。

今は725円です。買いません。

だって自分が得られる価値より価格のほうが高いんだもん。

 

そのようにやってみたらいいんじゃないですか?

 

と、わりと本気で思ってます。

 

自分が受け取れる価値を考えて、それに値札をつけてみる。(例えば自分なら永続的に毎年買値の5%の配当がもらえそうだという価値を見いだせる会社ならそこに値札つけてもいいです。)

その値札をくぐるなら買う。くぐらないなら買わない。

くぐっている時に買えたならくぐらなくなった時に売ればいい。

受け取る価値が減ってないのならきっと儲かるはずです。

 

そうすればいいと思ってます。

そうしていいと思います。そしたら価格が低くなっても慌てなさそうです。

だって自分の受け取る価値のほうが大きいのは変わりがないでしょ?

一歩進めて

他人の受け取る価値などわからないけど、想像ぐらいはできるかもしれません。

このような人ならきっと、いくらぐらいの価値を見出しそうだ。

その受け取れるとする価値がマニアックなものでないなら買ってくれる人いますよ。きっと。

あまりマニアックでない価値を考えて、その価値に見えない値札をつける。きっと客観的な裏付けがとれるものがいい。

そしてその値札をくぐっているときに買ってその価値に見合う値札がついている時に売る。

その見えない値段がついたとするならあなたのつけた価値に対する見えない値札は、きっと正しかったということになるんでしょう。

でもちょっと難しそう。自分じゃなくて他人の受け取る価値を想像する必要がありそうです。

自分を把握するのは基本。相手を把握するのは応用なんだと考えています。

だから一歩進めたところにある行為。

 

 受け取るのが価値なんだから

 過去も今も未来も株価は関係ないです。値動きも関係ないはずです。

それは払うべき払ってもらうべき価格であって価値ではない。

払う価格は受け取れる価値に影響を与えないはず。(行動心理学的には人は高いお金を払ったものをより高い価値があるとみなすというバイアスを持っているようですけど。やなバイアスだね。)

と、言ったものの株価を上げる株式というものに価値を見出す人はいそうなので株価、値動きは考慮に値しないとはいえないかもです。おそらくそれも一つの価値。

 

というわけで世の中にはいろんな価値がありますが、主観的に客観的にその価値に値札をつけることが投資家のお仕事なんじゃないかと思っているわけです。

 

そこにあるものから受け取れる価値はなんですか?

その価値にいくらをつけますか?

そのあなたにしか見えない値札以下の値札で買うのならお得なんじゃないですか?

だって払った以上の価値を受け取れるはずなのだから。

 

関連

kamomenotoushi.hatenablog.com


 

 

記事を気に入ってくださった方は↓をクリックしてくれると嬉しいです。
  にほんブログ村 株ブログ 株 中長期投資へ