大河の一滴

大河の一滴

まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

MENU

投資家を測る天秤

f:id:kamomenotoushi:20180131185540j:plain

むかしエライ人がいったようです。

「株式市場は短期的には人気投票の装置だが、長期的には価値を測るための計量器だ」

まあ、グレアムさんなんですけど。弟子のバフェットさんも仰ってるね。

これの真偽はさておきというか、信じる信じないは人それぞれだと思いますが、FPかもめという投資家はこれを信じるという立場ですね。

グレアムが言ってるからというよりは、過去の出来事やいろんな会社、いろんな株価推移などを見て大体そうだよねって感じているからです。

そりゃ短期的には計量器でない人気投票であることはいくらでもあるけど。

そしてふと思い返してみて、これ測られているの企業だけじゃないよね?と思ったという話。

 

そんなことを思ったきっかけは。

仮想通貨投資が話題になっているせいなのかもしれない。

 うぇーい系な人たち。

仮想通貨の暴騰でやたら儲かってて不勉強なわりにノリノリでそして覚悟が足りなさそうな人が目立ってましたからね。(でも、メディアが取り上げるのはそんな人に偏ってるという面とかもあると思うよ)

株式投資家さんもそれをみて、どーのこーの言ってたりとか物投げたとか言ってる人も見ましたし、あまりどうのこうの言わなかったりしてた人もなにげに鬱憤貯めてそうなようなことも見受けたりして。

 

そーだね。

その時の勢いだけで大儲けして調子乗ってたりするのを見たりするのはフラストレーション貯まる人も多いは確かにそうかもしれない。

 特に自分がウォッチしている方は普段から努力を積み重ね勉強や研究を怠らないような方も多いですし。

そんな中でいきなりわけの分からぬ突風で追い抜いぬいてきて、パッパラパーにはしゃいでいる人とか見たらね。

 

とか思いますがまた同時に安心して欲しいと私は思う。

なぜなら、市場は長期的には企業みたいな投資対象を測る計量器であると同時に投資家を測る計量器でもあるからです。

 

投資家もまた測られている。 

と言いますが、実は何故投資家が測られているとするのかは自分がなんとなく感じているということだけなんですけどね。

主に経験則だね。見てる限り長期に成果を残せる人はちゃんと価値と言うか対価を積み上げ実力を身につけた人だよねと感じています。ただひとつ逃げ道があるように思えるけど。(後述)

ごめんなさい。その根拠はちゃんと言語化できないです。今のところ。あえてするなら下の方でのリンクしてる過去記事で言ってるようなこと。利益を得るには対価が必要だから。

ただなんでかはまだちゃんと言語化できないけど自分としてはもうこれはそうだと確信するものです。

 

利益は差し出された対価に対する報酬であるがゆえに、対価を積み上げることなく一時的に利益が得られることはあるが、それは長期的にはだいたい(必ずと言いたいところだけど見てる限りだいたいとなりそう)精算される。

 

これからは確かにわかりません。

しかし、これが今まで散々繰り返されてきた言うなれば神様が定めた投資の原則です。

 

価値という対価を積み上げぬものに長期的な利益はない。

長期的にはあなたは市場に測られその重さに見合わぬ富は奪われることになる。

投資というものは大きな意味で参加者に対してフェアなんです。

今まで繰り返されてきたことがまだ繰り返されるなら今後もそうだと思います。

 

市場は投資家を測る天秤であり続ける。

 

上で安心して欲しいと言いました。

誰に言ったかといえば、価値を積み上げることに怠りのない投資家・トレーダーに対してです。

また同時に安心しないで欲しいといいます。

誰に言うかといえば、価値の積み上げを伴わないで短期的に結果を出した投資家・トレーダーに対して。 

 

あなたがその結果に良しとして、価値の積み上げ自己研鑽を怠るなら手にした富はいつか雲散霧消するでしょう。

そうなりたくなければ自己研鑽に努め、自らの価値をつみあげるのです。

 

そして今は鬱憤を貯めている人にお願いしたい。

もしその人が自己研鑽していくなら、手にする富に見合う価値を備える人物にまで成長しようとするのなら。

快く言って欲しい。

「投資の世界にようこそ。」と。

 えらそうに言ってごめんなさい

思い返せば・・・

自分が読んだロバキヨ本も同じようなこと言ってるし、以下のような記事も書いてたりもするし(読み返せば他の記事でも同じようなニュアンスのことをたぶん何度も言ってるよ)、このようなことはある意味元々自分の中にあった考えとも言えるかもしれない。それが仮想通貨投資など状況をみて改めて言語化できたということだろうと思う。一部できてないけど

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

僕は賭けていいと思ってる。

誰かが投資で短期的に大きな資産を手に入れることは、あるいはあり得るだろう。

しかし長期的にはその投資家・トレーダーの価値、その重さが測れられる事になり、結局価値がないと測られる投資家・トレーダーには見合った成果しか残らない。

市場は投資家を測る天秤であるゆえに。

 

僕は賭けていい。

その成果に見合った重さのない価値のない者はいずれ市場に測られいなくなる。だいたい

 

ま、それがいつになるかはわかりませんけどね。

そうだね。自分だけが企業や値動きつまりは市場を測るってのもアンフェアだものね。

自分が測る側だけでいたいというのも虫が良すぎるだろう。

お互い測られてこそそれはフェアな関係と言えるかもしれない。

ならば仕方ない。測られる時は測られてやりましょう。

そのときまでしっかり考え続け投資家としての重さ、測るに見合う価値を積み上げ身につけなければなと思うわけです。

 

とかとか言ったわけですが。

でも実はひとつ逃げ道があると思ってる。

別に大した価値、知識とか知恵の蓄積とか合理性、制御された精神性とかを備えてなくてもひとつ大きな成果を残せる逃げ道がね。

 

それは時間。

 

長く時間をかけて手にした富なら、そう簡単には逃げたりしないようです。

別に大した実力がなくても実力をつけなくても長い時間がその不足を補ってくれる。色々見てそのように思うわけです。 

時間も積み上げることのできる価値だということだと思ってます。

 

なんでこんな輩が。なんて思うことも、もしかしたらあるのかもしれないけど、その人が長い間じっくり時間をかけて歩んできて掴んだ成果ならどうぞ許してあげて欲しい。というかそれはいうなれば神様が既に許してる。(神様とという言い分が気に入らないなら投資の原則とかでもいいよ)

 

時間をかければ時間をかけるつもりでいるのなら誰にでも。あまりエネルギーを注げない人も、エネルギーを持ち得ない人も大きな実りを得ることができる。

自分はそれこそ万人のための投資の形だと思うんだ。

 

 

市場で企業が測られるように投資家も市場に測られます。

あなたという投資家、トレーダーが長期に測られるとき

吹き飛ばされない重さつまり価値があると言えますか?

 

あなたの価値を高めていくために何ができますか?

 

記事を気に入ってくださった方は↓をクリックしてくれると嬉しいです。
  にほんブログ村 株ブログ 株 中長期投資へ

ブログ名を変えました

ブログ名を変えよっかなと思いました。

というわけで変えました。タイトルは上のとおりです。

なので、アップは土曜日だけどいつもの投資でかんがえたことカテでない記事です。

いつものは明日にずらしてます。

ブログ改名記念?でストック記事の中でも自分的につおいかつエラそうだなと思う記事を入れてみましたというのはさておき。

改名した理由とかぐだぐだ話すエントリー。

理由というか。

これまでは「似非FPが投資のことをまったりのんびり考えるブログ」がタイトルで「資格だけの名ばかり似非FPが株式投資をしながら考えたことを書いて整理して自分が投資家として成長できることを目指します」が副題という感じできてました。

 

ちなみに、前身の引越し前は「FPが考えるまったりのんびりでちょっと得する株式投資」 で副題が「ファイナンシャルプランナーがまったりのんびり穏やかにちょっと得する投資とお金との付き合い方・考えかたを書き綴ります。」だったんだけどね。

 

いちお前にもブログで言ったかもですが前身のブログ始めた経緯ですけど、いろいろあって投資をちゃんとやろうとなったときにアウトプットしながらがいいよね?となってじゃあ投資ブログしようとなったときに友人がブログサービスするから良ければ書いてよなんて言われてたのでじゃあそこで書くよとなったという経緯で、どうやらアクセス増を狙いたい友人の思惑もあってさいしょはたしか「かもめ先生の株式道場」なんて案もあったりする中、いやセンセなんて勘弁してとかで折衷案として上記のようになった感じです。最初はかなりアクセス者に啓蒙しようなんて思惑も乗っかっていたと思います。結局アクセスは鳴かず飛ばずでしたが

 

ちょっと得するはたぶん優待ぐらいのイメージです。自分は以前からは優待投資家のウェイトが高かったし。で、しょうがない啓蒙の思惑も少しは乗っかってあげないとね的に以前取ったファイナンシャルプランナーの資格もあるし専門家が言うぞ的なニュアンスも醸し出したりなんてなったのが折衷案の前身。

 

で、一年程度友人のブログで投資ブログしてましたが、いろいろ制約も多かったしはてなに引越ししたいなあとか思ったので一年やったしいいでしょ?ってことで引っ越して今のようになってます。

このあたりの経緯はこのブログについて(引越後) ここあたりで。

 

引っ越し時点でブログのスタイルはだいたい固まっていたので、これまでのようになりました。

ちなみに似非(エセ)は謙虚な姿勢を崩しちゃならないという感じの意味での謙虚な姿勢の表れ的な。

でも不必要に卑下してもいけないよねってことで大昔に趣味で取った資格だけのFPにその似非がかかるようになんて感じのタイトルに。

 

で、結構やっててタイトルはしっくりこないかなあって思うようになってたわけです。

で何かいいのないかなあとはちょい前くらいから思ってて、あ、これがいいと思うものがあったのでそれにしました。

それは自分の過去記事の中にありました。

「少しずつエネルギーをかけ続けたとしてすぐには結果は出ないかもしれない。 最初はその小さなエネルギーを注ぐのも割に合わないと思えるほどついてくる結果も少ないというか見えないほど小さいものかもしれない。 しかしそれが数年、十年経って振り返ると、注いだエネルギーが川になってる。 もっとやり続けるといつしか大河になってる。 自分はそんなイメージなのです。」

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

「一滴を注ぎ続けるといつしか大河になる 」

これが自分の投資のイメージにしっくり来たんだ。

だからこれにすることにしました。

大河の一滴

副題はそうだね。

「まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ」とかにしようかな。

 

それは注ぎ続ける行為だから注ぎ続けないきゃいけない。晴れでも雨でも地震でも。リアル地震はさすがにお休みするかもしれない

ていうか休んでいて一滴が大河などになるものか。長く休まないで続けてそれはやっと大河になるもんだと思うんだ。そしてまったりしないと続かないような気もするので相変わらずまったり。

で、週一くらいは休ませてよってことで結局スタイルは同じままで看板変えただけなんだけどね。まあ自分としては看板変えたというか看板をよりしっくりくるように書き換えたってところだけど。

 

一つ一つの記事は一滴。

それが大河になる、大河をつくることを目指すブログ。

なるという言葉も加えました。これは大河に見合う自分になるという意図も少々。

 

ま、スタイルと言うかやることは一緒。今までのやってきたことを続けるだけ。

というわけで大河の一滴よろしくね。主にこの記事を書く自分に対してだけど。

事後だけど大河の一滴という言葉はすでにあるようだね。本とか映画とか歌とか酒とかあるみたい。そういう意味ではありふれた言葉。

まぁ自分から出た言葉だし気に入ってるので使うことにするけど。

 

記事を気に入ってくださった方は↓をクリックしてくれると嬉しいです。
  にほんブログ村 株ブログ 株 中長期投資へ