ある日投資をやる理由なんて話題がついったらんどで流れたようです。
その中で投資をやる理由としてお金以外の理由を挙げた人もいるようで、(実際自分が見たわけではないのでホントはわかりませんが)、投資をやる理由がお金でないなら寄付でもしろよなんて反応もする方なんかいたりして。
それで色んな人も言及してそこそこ論争もあったりなかったりで。
その中で自分が思ったことなどをまとめる話。
ちな本題は後半。
まずは投資をやる理由でお金以外のものを挙げる人への養護です
自分はお金と言わなかったからって「投資は金のためにやるもんだそうじゃないやつは馬鹿だ寄付しろ」なんて思う人には冷静になってほしいのです。
その人は投資をやる理由にお金を挙げないで、別の理由もあると言っただけで儲からなくても損しても投資するとは全然言ってません。
その人は投資をやるのはお金のためというところを否定してません。(まあ聞いたわけじゃないので否定してたのかもしれませんが)
なにかをするにしてもその動機が一つのもので純度100%は稀じゃないでしょうか?
なにかをするにしてもそのやる理由は、複数のいろんな動機が混じったりします。
例えば教師という仕事をするにしても生活費あたりのお金を稼ぐためって理由の他にも誰かにものを教えるのが好きとか生徒の成長を見守りたいとか言ったときにそれをもって生活費を稼ぐためつまりお金のためを否定してるわけではないのです。
そして投資ならそれがお金のためにでもあるというのはあまりに当たり前過ぎて答える際に当たり前の事として省略される典型的なことなのでないでしょうか?
投資をするのはなんで?
と、問われるとき多くはなぜもっと良い給料のものに転職するとかブログでアフィ狙うとかせどり、副業その他お金になることはいろいろあるだろうけどなぜ今の手段、すなわちなんらかの投資なの?みたいなニュアンスか、あるいは投資で結果が出たら何をしたいか?みたいな質問なのではないかと思います。
いずれにしてもその回答がお金のためとか自分が質問者ならクソ回答って思う回答ですって。
このあたりはわかってるのかわかってないのか。自分はほとほと疑問です。
あまりに当たり前でみんないっしょみたいな答えはクソ回答ですよね?
「何しているの?」って聞かれて
「生きてる。」なんて答えたら
喧嘩売ってると思われますって。
そういうのはだから聞き手が生きてるなんて聞くまでもなく前提的なものを聞かれてるのではないな?と考えて・・
「スーパーの店員です。」とかと答えるわけです。
そうすれば
「そうですか。私は警察官です。」なんて会話にもなるわけであって
そのとき生きてるとか答えは省略されるけど別にみんな生きるのやめたいって思ってないって。
このとき生きてるって言わないから死にたいんだな!じゃあ死ねよって反応するのはアホですよね?
実際このようなアホみたいな話だと思いますよ?
だいたい「なんのために投資してるの?」とか聞かれて
「お金のために投資してる」答えが50回連続で並ぶとか滅茶苦茶クソ回答でしょ?
その質問に答える人は、そんなの求めてないだろうって思ってそれを見越して、そういうことは聞いてないよね?じゃあ他の答え聞いてるな?って考えて他の回答を答えたという話だと思いますよ?
自分としては投資をやるのはお金のためじゃんって憤慨する人がでるくらいはそれは普遍的です。誰もそれを否定してないです。頭を冷やせって感じです。
それはそういう答えを求められてないとした人がじゃあ別の理由はなんだ?と考えてひねり出した答えです。
そしてそれも嘘じゃないでしょう。投資はお金のためとにやるのと同時に他の目的も同時に達成すべく選ばれることは普通に一般的です。理由らしい理由もない人も多いでしょう。目についたってだけの人も結構いるのでないかと思います。知り合いがやってたとかね。たまたま目についた本から興味持ったとか。
人の行動や選択理由が100%お金であることは稀だし、またお金絡むことなら0%も稀だけど、そのときお金以外の理由が挙げられたからってお金は0%。つまりお金のためにはやってないになるわけ無いでしょ。だれと争ってるの?そんな人いないよ?頭を冷やせって言いたいところです。
ちなみに
時々本当にお金のためじゃないと否定する人もいるかも知れません。
大きくお金を作った人でもう十分お金に関しては満足だって人は置いといて、そうでないならそこには多少ともなり嘘や欺瞞があろうことは否定しません。
その人はある意味自分のある部分を直視してないかもしれない。でもそれは明確にお金のためじゃないと否定する人ですね。今回はそのような人ほとんどいないんじゃないかな。
もっとも自分のある部分を直視してないだろうは100%お金のためだって言う人もですけどね。純度100%の理由で行動する人は稀だからね。
どのみち自分ならそんな人がいる事自体はどうでもいいかなって思いますけどね。
もっとちなみに自分がお金のためとか言われたら、馬鹿にされてるとまでは思わないけど、ああこの人はもう話を広げたくないのだな。あまり交流したくないのだなってみなしそうです。どうでもいいですが。当たり前のことをそのまま言われても。
あなたは何してる?
生きてます。
って言われるようなもんだからね。自分は自分と違う回答求めたいね。ああ、あなたはそうなんですか?自分はこうですよみたいな。
どうでもいいけど。
しかし本題はここからである。
自分はびっくりしたのです。
投資はお金のためにやっている。
そう言わない人にこうも理解がない人が多いことに。
物事は0でなければ100みたいなこうでなければこうみたいな態度を取る人がかくも多いものなのかと。
この意味で自分はいろんなもので玉虫色です。
仕事も遊びなんにしろもちろん投資も、様々な理由や動機が同居する。時にはそれぞれの理由が相反したりもする。
それが当たり前だと思ってましたが100じゃなきゃ0なんだな?って反応する人が多いことに面食らったわけです。
でもきっとそれは自分が思う以上に純度の高い動機をもってる人が多いということかもしれません。そして純度の高い人はあまり純度の高くもない人の心理がわからない。
まあそれはびっくりしたんですけど、それならそれはそれでいいとも思います。
しかし自分が言いたいのはそんなことじゃなくてきっと、それをやる当たり前の理由以外の理由もあったほうがいい場合も多いと思うのです。
つまり投資なら、お金のためってのは相当当たり前ですがそれと同時に、お金以外のところで投資をやる理由を持つべきだと思うのです。
投資をやる理由が100%お金のためであることは避けるべきである。
なぜならそれはお金儲からないならやめる宣言に他ならないからです。
それがお金のみが目的である場合、お金儲からなければやめるはずです。
今後儲からねえなあって思えば儲かっててもやめるはずです。
お金以外にやる理由がないからです。
でもそれがある時期儲からないこともあるけど長くには儲かるものだと、お金が目的なゆえに長くにお金を手にできないということがありえそうだと思うからです。
儲からない時にやめちゃうから。
ホントの意味で天才でも無ければ投資とは儲からないときもあると思うのです。
やっててもお金にならない。そんなときがある。
しかし長くやり続ければいずれお金になるときもくる。
多くの人にとって投資とはそのようなものだと思うんですよね。
ならば、儲からないある時期でもそれがお金にならないときでもお金以外の投資をやる理由があるならば、お金にならないと投資を放り投げたくなる時からやがてくるお金になる時までの橋渡しになると思うのです。
そして投資の理由がお金が100%の人は、投資にお金以外のものも求める人に長くは劣後、つまりお金が目的なのに、投資に他の理由を求めた人よりお金を手にできないのです。
そのようにしてお金にならない時を乗り越えお金になるときまでたどり着いた人がいます。
実際に儲からないときを乗り越え、儲かるときまでたどり着いた人がいます。
名古屋で株のオフ会「Kabu Berry」を主催されているyamaさんです。
yamaさんは投資では結果が出てないつまり、お金を儲けてはなかったけどオフ会を主催したときに言われる感謝を糧にずっと投資を続けていました。
投資で儲からなかった期間は実に9年に及んだようです。
その9年間にはもう投資なんてやめてしまおうかと悩んだことも一度や二度じゃないでしょう。しかし、お金以外の投資をやる理由がyamaさんが投資から離れるのを引き止め続けました。
そして遂に投資で儲かるようになって近年はかなりのハイパフォーマンスを連発されてます。
yamaさんにとっては長く投資はお金になるものではなかったのです、しかしオフ会で喜んでくれる人がいるという理由が投資を続ける理由となってついにお金を増やせるその時まで投資を続けることができて今は増やしてつまりお金になってる。
自分がお金のためにだけにやってたら絶対に挫折してたでしょうね。と言ったら絶対やめてます!!との回答でした。
そんなお金以外の投資をやる理由がお金が増えないとか減るみたいな逆境の時を乗り越える理由になると思うのです。
別に理由なんてオフ会の主催でなくてもなんでもいいんですよ。
自分ならいろいろあるけど・・・
自分の持つ企業の行く末を見るためとか
知識や向上心に溢れる人と交流する機会になるとか
学び頭を使い続ける習慣になるからとか
あったりします。
このあたりの理由が多少儲からなくても投資をやり続ける理由となり自分をいつか来るお金になるときまで連れてってくれるだろうと考えてます。
つまりお金にならない理由がお金にもなるのです。
もちろんお金が増えないときに死ぬほどお金減らすのはまずいですけどね。ただ死なない程度に続けられるならいずれお金になるときがくると思います。投資ってものは。
だからお節介ではあるけど、お金以外の目的もあったほうがいいのでは?って思ったりするわけです。
純度100%など脆いものです。
投資なら100%お金のためにやるなんて、ちょっと儲からないと投資をやめてしまうような脆くて弱い理由なんですよ。
まあ自分は100%お金のためなんて人はあまり居ないだろうって思ってますけどね。
もっと人は複雑なもの。もし自分は100%だなんて思ってる人がいるなら、その人は自分への観察や考察を怠ってる。つまりただの怠惰だろうって思ってるくらい。
それを直視するのがめんどくさいのでやってないだけなんじゃないかな。
それはさておきそこに嘘を含むとしても純度も下げて他のものを混じらせることが大切かなと。
複数の交じる不純なものが不安定なときも全体を支える別の足となる。
そうだと思うわけです。
故に自分は投資はお金を儲けるためだけのものにあらず。
投資はお金だけではなく他のものも叶える手段であり他の叶えるべき理由も投資に課していこうと思ってるわけです。
他の交じる不純物が不安なときにも身体を支える別の足となる。
ならばお金以外の投資をやるべき理由を持つべきではありませんか?