人は比べるものです。
たぶんヒトの本能なんでしょう。
生きてれば、人というものがありとあらゆることで比較してるのが目につくと思います。
たぶんヒトは比較せずにはいられない生き物なのでしょう。
そして投資の世界でも常にヒトは比較します。
そんな比較を思って考えたことの話。
比較は人の知恵。
というのを聞いたことがあるでしょうか?
ないかもね。自分もない気がします。
自分が思ったこと以外には。
ということで、これは自分の言葉なんですが、比較は人の知恵だと思ってます。
そのもの単品では人はそれがなんだかよくわからないはずで考えることもままならないはずなんです。
人はリンゴひとつ与えられてリンゴがどういうものなのかにたどり着くのは困難極まりないはずなんです。
だからミカンと比較します。キャベツと比較します。牛肉とも比較するかもしれない。リスとも比較するかもしれない。りんごサラダとも比較するかもしれない。
そうやって比較することで単品ではなんだかわからなかったリンゴという存在は他の物との違いによってだんだん明らかにされていく。
そういうものだと思ってます。
人は比較することで、それがなんだか認識し、考えることもできる。
人間社会を発展させてきたのは比較の力とも言えましょう。
逆に比較せずにはいられないヒトの性が人間社会を発展させてきたと言えるかもしれません。
そして投資においても比較は有効です。
というより上で言ったようにあるもの単品ではそれがどういう意味を持つのかもわからず、意味ある判断などなんらできないはずなんです。
三井物産をひとつ与えられてなにか有効な投資判断などできるはずがない。
それは三菱商事と比べて、トヨタ自動車と比べて、グロース銘柄と比べて、高配当銘柄と比べて、鉄道会社と比べて・・
ひとつひとつ比べ違いを確認することで理解が進みそれが投資判断に繋がるわけです。
日経平均だって。
米国インデックスと比べて、GDPと比べて、過去の日経平均と比べて、企業業績と比べて、自分の成績と比べて・・・といろんなものと比較していくことでその姿がよりはっきりしてくる。
自分の成績だって・・というかおそらく投資でもありとあらゆるものは比較により明らかになるように思えます。
投資も比較は知恵なのです。
だから投資でも有効というか比較を使わずに戦う方法なんてないんじゃないかとすら思えるわけです。
だからヒトの比べたいという本能に従って比較を有効に使って励めばいいと思います。投資でも。
これは何と比較するべきだろう?
これと比較することで何がわかるだろう?考えられるのだろう?
どんな比較をすれば投資で理解したいことが理解できるか?
投資でいい結果になっていくことが期待できるのか?
投資でもそんなことを繰り返していくなら比較は知恵となっていくはずです。
でも比較は意味あるものだけにしたいよね?
実はここらくらいから本題。
比較は人の知恵。きっと投資でも比較は知恵。
けれどすべての比較が知恵になるわけじゃないと思うんだ。
ヒトは比べたがる本能を持つもの。ならばきっと行う比較には意味あるものばっかじゃないと思いませんか?
というか時には、比較してる人にためにならないばかりか、足を引きずる不幸に落とすような比較もあると思うんだ。
例えば、隣の人とのパフォーマンス比較。
比較したくなるかもね。そして比較することも有益なこともあるだろうね。
例えばなにがその違いを生んだのか?とか。それを明らかにし参考にしよう。と考え比較するのは有益かもしれない。
そしてそれは比較して初めて分かることになることでしょう。
でもそこに何かを明らかにするとかの意義もなくする比較なんかに意味がある?
知恵にならない比較をすること。そんな行為になにか意味があるのでしょうか?
言ってることがわからないかもね。
例えば、隣の人が年初来から50%増えました。自分は−10%です。他にも今日は日経平均が4%上がりました。自分はマイナス2%です。
そのときに「あー自分はうまくいかなかった。だめなやつだ!」とかすることになんの意味があるのかと言ってます。
それをなんでその違いが生まれたのか?そこに改善するべきことはあるのか?なにか明らかにしなきゃいけないことはあるのか?って意義を与えする比較ならいいよ?
でもそんなんばっかじゃないよね。
実際殆どの場合おいてある日、日経平均4%あがったときに自分は2%マイナスだからってそこに明らかにすべきことや、改善すべきことがあることは少ないんじゃないかな。
それは意義がない比較であるし、それで凹んだり嫌な気分になったり不幸になったりしてるなら・・
そんな行為に意味なんてないよね?
そう思うけどどうだろうか?
意義ない比較なんて投げ捨ててしまえばいい。
わたしはそう思います。
人は比較をするものです。
そして自らがしてきた比較。
それを振り返りその比較に意義はあるのか?と、問いかけてみませんか?
そして意義なんてない比較をしてるなら、そんなのやめてしまえって思います。
意義もなく凹んだりイライラしたり自ら不幸にする比較なんてしないほうがいい。
できない。とか言うかもしれない。
それは最初に意義を考えればある程度以上防げると思うんだ。
上でも言ったけど
これは何と比較するべきだろう?
これと比較することで何がわかるだろう?考えられるのだろう?
どんな比較をすれば投資で理解したいことが理解できるか?
投資でいい結果になっていくことが期待できるのか?
ってね。
もちろんそれが自らを高めるとして不愉快な比較に望むのもちろんいいと思うよ。
そうした比較は知恵となる意義ある比較になるかもしれない。
そんな感じにそれに意味なく流されたりせずもっとうまく使っていきませんか?
人の知恵である比較を。
その比較はなんのための比較ですか?
その意義を確かめませんか?
そして意義なんてないのであるなら
そんな比較やめてしまいませんか?