大河の一滴

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お金の一生とお金が存在しない世界と新しい仮想通貨

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今回はこれの続き

これ読んでくれてるとこの記事も通りがいいのではないかと思う。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

自分は投資も含みいわゆるお金のことを考えるのは趣味でずっとやってるので今回はその趣味、活動の一環です。

それで上記の話の続きのやっぱり切手から始まり仮想通貨で終わる話。

たぶん一番の主題は、お金という特別な存在なんて実はなくて、きっと僕らはまだずっと物々交換を続けているんだろうというある意味世界に反逆してる逆張りにも程があるだろうって話。

ある意味自分はお金というものを考えていった結果、お金という存在を否定するに至ったと言える。

 

お金なんてもは存在しないのです。

 

そんな話。まあある意味仮想通貨がもしかしてはじめて定着するかもしれない無に人が価値を見出すという種のいわゆるお金ですね。

 

お金というものはなんなのか?

自分はそれを考えることを通して、随分”お金感”(貨幣観とも言いかえられそう)が変わりました。

特に信用創造にピンときてからはわりとひっくり返ったかもしれません。

 

自分の今の理解ではお金とは”受け渡される約束”であります。

まあだから言ってることがわかんなきゃ以下の記事目を通してくださいな。

切手と円と仮想通貨と夢 - 大河の一滴

 

 

貝殻がお金だとしてそれは貝殻が珍しいとか貝殻に価値があったという話ではなく、漁師かもめが、まだ手元にないさんまを後に渡すという約束をして、インコさんからりんごと交換したという証として始まったとされています。 そしてこの約束は移動できます。インコさんが文鳥さんに貝殻を渡すならかもめは文鳥さんに。文鳥さんがペンギンさんに貝殻を渡すならかもめはペンギンさんに。 ともかく最終的には貝殻を持つ人と最後はかもめはさんまと貝殻を交換するのです。 そして貝殻・・このお金は貝殻に価値が有るのではなくその価値はかもめがさんまを漁して交換してくれるに違いないという約束に価値があるわけです。

切手と円と仮想通貨と夢 - 大河の一滴

 

 

切手はそうですね。日本郵便が配達を行うという約束。 Suicaもそうでしょう。これはJR東日本が旅客輸送をしてくれるという約束です。円と連動してるとかはここでは些細なことです。切手もそうですね。 Edyもそうですね。ちょっと変則的かもしれませんが、楽天が変わりになにか支払いをする約束とみなせます。 兌換紙幣も例えば金と交換するという約束です。

切手と円と仮想通貨と夢 - 大河の一滴

 

 

その他関連記事。

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

ところで切手には一生があると思うのです

突然話は飛びますがご了承ください。

 

切手なら、この数字の分郵便を運ぶよ!と日本郵便が発行して、それが誰かに渡り(一般的には販売になると思う)、あるいはヤフオクとかでやり取りされて複数の人に渡って、最後は封筒にでも貼られて、郵便局でハンコでも押されて使えなくなる。

このとき切手の生まれは印刷されたときか、売れたときか、帳簿あたりに負債計上されたときかとか意見分かれそうですが、死はたぶんハンコを押された瞬間です。帳簿計上消されたときでもいいけど帳簿計上しくじっても判子押された切手は使用できないと思うのでたぶん判子押された瞬間だよ。

 

切手は、いつか郵便物を運ぶぞという約束がされたときに生まれ、その郵便物を運ぶ約束が果たされ死ぬのです。

これが切手の一生です。

 

そして自分は切手は貨幣・・つまりお金の条件を満たしてると考えてます。

貨幣である切手には一生がある。

つまりお金には一生があるんですよ。

あなたが何をみてるかはしらないけど、それをお金だって思ってる何か。生まれも死もありますし、始まりあるものにはすべて終わりが来る法則の中にあるものです。

 

つまり何かをしますという約束の証書として生まれ、受け渡され流通した最後にその約束が果たされて死ぬものです。

 

切手は上で説明した。

Suicaなら、JR東日本がいつか電車に乗せてあげるという約束をもって発行され、約束通り電車で運ぶときにSuicaは死を迎える。あるSuicaはおにぎりの代わりにセブンイレブンに引き取られ、セブンイレブンは電車に乗らないからJR東日本に円で引き取れやってやってそのSuicaはそのJR東日本に引き取られた時点とかで死んでるかもね。

ある小切手は、どっかの偉い社長が100万とか書いて誰かに渡したときに生まれ、その小切手を持った人が銀行に行って100万受け取った時点で約束が果たされ死ぬ。

 

このことを理解してお金というものを考えていったとき・・

自分は一つの結論に至ってます。

 

あらゆるお金は誰かの負債だ

 

あらゆるお金は誰かの負債。多分あってます。

切手を帳簿上で負債計上するかは知らないけどこれは日本郵政で負債になってるのではないか。科目はわからんけどおそらく日本郵政のその他負債かな。

 

Suicaなら実際東日本旅客鉄道で前受運賃として記載されてるっぽいですね。

2022決算で前受運賃は700億ほどあるね。

鉄道業 第3回:収益認識 | 業種別会計 | 企業会計ナビ | EY Japan

 

でもこれはしごく当然の結論です。

お金を受け渡される約束とするとき、つまり約束とは負債のことなので、お金は必ず誰かの負債。

たぶん間違いないのではないか?

 

逆にこれが違うとするなら、そのお金とするものにはなんら約束がないとするなら、それは石ころに値段がついているのと同義だし、そして発行する際に誰かが対価を支払った際に約束がされてない。だれかが対価もないのになんらかの価値を支払ったということになりますので。

いや、電車も乗れないのに円でSuica買います?って話だし、ましてはそれを対価になにかを売るって行為の連鎖つまり流通しますか?って話。

なので多分間違いではない。

 

お金は必ず誰かの負債(約束)。

 

というより金融資産においても同じことが言えそうです。

約束もないのにそれを資産と認める行為がないのならその金融資産には約束があり、そして約束を果たすべき者にとってはそれは負債です。

つまり金融資産は誰かの負債。

 

そうですね。自分の中の以下くらいの区分けでしょうか。これはあくまでかもめの中の

区分けで世間一般の定義とは違うものと思ってくれるとありがたい。

ついでにお金という表現は柔らかさがあるので貨幣と難しく言ってみましょう。

 

金融資産:誰かが行使する約束(つまり誰かの負債)を担保にして発行するもの。

お金(貨幣):上記のもので流通し、原則所有者が誰でも同じ条件でされた約束を行使できるもの。

以上です。

 

切手はこの意味で貨幣です。日本郵便の行使する郵便物を運ぶという約束でその約束をもって発行される日本郵便の負債で、譲渡可能だし流通もしてだれでもその約束を同じ条件で行使できる。

 

この考えでは株式やREITですら貨幣とできる疑いがあります。株式は発行者である会社が配当だすことや議決権を提供するという約束をもとに発行した会社にとっては負債で流通し誰でも同じ条件で行使できるから。REITも発行者が配当をだす約束を負う発行者にとっての負債です。

 

ETFREITは債券(債権の誤りでしょう)と著名インフルエンサー?が言ってて、突っ込まれまくってましたが、自分としてはETFは株式の塊でほぼ株式と同義でREITも上記のように発行者にとっての負債であり同時に所有者の債権(自分はここは資産といってほしいところですが)とするのは一定の理解をするところです。

 

まあ、株式あたりは永続が前提で消えることを基本想定してないし、帳簿上でも発行会社側でも負債計上されないし、流通も原則株式市場内のみで、他の決済手段の変わりになるかは微妙で流通も怪しくそれらをもって違うぞとすることはできますけど。

 

ともかく・・

金融資産:誰かが行使する約束(つまり誰かの負債)を担保にして発行するもの。

お金(貨幣):上記のもので流通し、原則所有者が誰でも同じ条件でされた約束を行使できるもの。

です。

 

ここまで話を進めると一つ衝撃的なことに思い当たります。

お金って約束、つまり価値だよな。

価値(約束)のないお金などない。

その約束が果たされないとされるとそのお金は速やかに無価値になる。

 

日本郵政が郵便を配達できないと思われたら切手の価値は地に落ちるでしょう。でも当たり前ですよね?約束されたことが履行されない約束になんの価値があるのでしょう?

切手と円と仮想通貨と夢 - 大河の一滴

 

となると、お金には価値があり、それはある意味モノと言える。

あれ?となるとお金でモノを買う行為ってモノとモノを交換してなくね?

例えばSuicaでジュースを買う行為は、実のところいつか電車に乗る権利とジュースの交換をしています。

 

実はそれ物々交換といえます。

 

ここまで円については触れてなかったのですが、円も自分のいうお金の範囲内です。

日本政府(日銀を含む統合政府として考えて)が、税金として受け取るいわば納税権とか公的サービスの行使権として発行する政府の負債(これはややこしいけど、政府にとっては徴税権という資産と帳消しにできるという負債ですね。公的サービスだとそれを出されると公的サービスをしなければいけないという約束でこれはまさに負債ですね。)であり、流通する約束で、それが行使されたら消えるという一生を送る貨幣です。

そして例えばおにぎりを買うという行為は、納税チケットとおにぎりの物々交換です。

 

僕らが信じたお金というものは果たされるべき約束があり、その約束をものだと考えると、お金を使うという行為は物々交換とみなせるわけです。

そのお金がこれそれをいずれ行うよという約束(価値、モノ)の証書とするとき、お金なんてものは存在しない。だからそれはお金じゃなく、何かの約束だって。

 

と、自分はお金というものを考えていった結果、世界にお金がなくなってしまいました。

そこにあるのは、郵便を運んでくれる約束(切手)、JR東日本が電車に乗せてくれる約束(Suica)、政府や自治体が税金として受け取ってくれたり、例えばそれを対価に免許を更新してくれる約束(円やそのドルとか元とか)でいわばモノであり、僕らがお金を使うという行為は、この経済が発展した現代においてすらお金なんて概念は虚構で未だ物々交換をしているという世界観を持つに至ってしまったわけです。

 

ああ、なんてこった逆張りもいいとこです。

社会にお金なんてない。いまだに僕らは物々交換をしてるなんて言うなら狂人扱いでしょう。

でも貨幣がその発行者であるだれかの約束(負債)であるのならそうなる。

そのお金を使うという行為はその約束とモノの物々交換ということになる。

 

というわけで僕らはずっと物々交換をし続けてるわけです。

というより今の今までぼくらは物々交換をし続けるという経済活動に勤しんできたのでしょう。

お金なんてものはない。それはあとでなんかしてあげるという約束だって。

 

それが経済活動の一つにしてほかはない形だったと思うわけです。

物々交換。

 

しかし、自分はこれは新しいかも知れないと思うものがあります。

はい、おわかりですね?

 

仮想通貨です。

 

仮想通貨を思うに、流通はしてますね。よって流通価格はありますね。 しかし発行されるときになされた果たされるべき約束がない。 税金として払って電力も使えないし、郵便も運んでくないし、山手線にのることもできない。

切手と円と仮想通貨と夢 - 大河の一滴

 

その仮想通貨にはお金にあるべき一生がない。

発行されたときに約束された果たすべき負債がない。生まれはあっても約束が果たされ死ぬときがない。

そこにはものとするべき約束・・発行者にとっては負債・・である価値とすべきものがない。物々交換で言う物がない。

なので仮想通貨でおにぎりを買っても物々交換足りえません。

無物交換ではないでしょうか。

 

これは新しい。あるいは人類がもった最初の物々交換以外の経済活動手段かもしれないと思うところです。

まあ、仮想通貨は無じゃない。デジタル・ゴールドだとするなら、物々交換ですね。新しくないですが、加工して装飾もできない工業製品にも使うこともできない、そこにおいて輝きに魅せられることもない、ディスプレイの中に映し出される文字だけに確認できるものは自分としては劣化ゴールドではないかと思うところで、新しくもない劣化ゴールドがどこまで奮闘するかは見ものだとはおもいます。

 

あるいは夢。

しかし夢100%ならどうでしょう?夢しかないならそれにどんな値段をつけようと夢から現実に引き戻す現実がありません。いや夢しかないからね。 わりと真面目にこれは人類初の事象かもしれないと思ってます。 石ころというか無に値段がつくこと。夢100%の夢。

切手と円と仮想通貨と夢 - 大河の一滴

 

そんなわけで仮想通貨は、貨幣ではない劣化ゴールドか、夢か、新しい経済活動の形かなとは思いますが、劣化ゴールドなら劣化だろうし、夢なら醒めない夢があるのだろうか?と思うところで、やはり期待は新しい経済活動の形であることではないかと思います。

 

今まで人類が一度もなかったような、物々交換からの脱却。

まだほぼ物々交換しかしてない人類社会でそれが定着するのか。

その物語を見守るのも自分の”お金のことを考える趣味”の一環なわけです。

まあこれは僕の考えの中での話なので、あなたもあなたで考えてみるといいと思うわけです。そして別に自分と同じ結論にならなくてもいいわけです。

 

お金のこと。

 

現代社会でお金のことに触れないでいられないわけでたぶん何かの役に立ちと思うんですよね。

 

 

お金とはなんですか?

 

 

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