投資関連には定期的に話題になるはなしが多々あります。
何が投資か投機かとか。
バリューとグロースのどちらが優れるか
株主優待バンザイいや滅べ
分散か集中か
それらのひとつに株はゼロサムか?みたいな話はありそうでそれが最近話題になりました。
発信源は著名トレーダーのテスタさんのようですね。
背景として著名投資家さんの井村さんが地銀で注目されたのもあるかもしれません。
テスタさん曰く株はゼロサムではないそうです。
そしてテスタさんを起点に?色んな人が賛同異論を口にした感じでしょうか。
勘違いしてますけど
— テスタ (@tesuta001) 2022年11月25日
勝った人のお金は別に負けた人のお金が移動してるわけではないのですよ
例えば配当が出て上がった
自社株買いで上がった
海外の人の資金で上がった
日銀が買って上がった
その他例を挙げればキリないですが
株はゼロサムではないのです。
それで自分も端っこでこの件に触れたりしましたが今回は自分の考えを再度まとめる話だし
そしてシャチとその他の話。
自分は過去記事でゼロサム、プラスサムに関しては色々書いてます。
例えばこれ。
自分は株式におけるゼロサムゲームはPERPBRの上下と定めており、それは目先の今の取引相手とやり取りするよりは時間をかけて過去あるいは未来の誰かとやり取りされる面の方が遥かに強いと考えてます。(だから今得してる誰かが傷つけた誰かが見えにくくなっている)
これだとプラスサムがなんであるかそれはどの程度かを数値化し定義もしたものとか。つまりは端的にはEPSあるいはBPSの変動及び還元です。
関連で言及してるのもあります。
インデックスに対する記事ですが、ここではゼロサムゲームとは他者よりいい銘柄を選ぶ事ができるか?と、それをより低い価格で買い他者により高い価格で売り付けられるか?のふたつのそれがあるとしました。
等の記事を書いてきた経緯もあり自分も過去の記事の延長線上に以下などのツイートをしました。
株はゼロサムではないという表現は正確じゃないと思うの。
— かもめ (@kamomejan) 2022年11月25日
プラスサムとゼロサムの複合体。
比率を言うなら株は大いにゼロサム寄り。ゼロサムな他者との奪い合いという側面も大いに含むであり、不用意に扱うとプラスサムのリターンを得るスピードより圧倒的に早くゼロサムで身ぐるみ剥がされる。
基本的はPERPBR変動はゼロサム、EPSあるいはBPS変動プラスインカムがプラスサム(マイナスサム)の基準、つまりは評価変動はゼロサム価値変動はプラスサムというものを提案するところだけど、とてもマニアックな視点らしく他の人の採用例が今のところ観測できなくて少々ショックを受けている。 https://t.co/wSb5pYAkey
— かもめ (@kamomejan) 2022年11月27日
この記事でも改めて株式投資はゼロサムか?を今の自分の理解で整理する以下になります。
株式はプラスサムとゼロサムの複合体。
企業は多くはプラスサム全体長期統計レベルではプラスサム。なぜなら多くの企業は利益を出すから。そしてプラスサムとは端的には企業利益の程度で、還元にしろ株式価値(≠評価、≒企業価値)の向上にしろ企業利益の範囲程度に収まるものである。(赤字ならマイナスサムです)
その利益を出す企業をゼロサムでやり取りするのが株式投資です。(株式売買でも株式市場でも)
そして大事なのはそのプラスサムとゼロサムの比率です。
自分は実情としては圧倒的にゼロサムよりであろうと考えてます。
全部足せばプラスサムであるけど、株はプラスサムだやれば儲かるぞなんて取り掛かるより、自分のお金を奪い取ろうとする敵もいるし、そういう敵のスキをついて奪い取る必要のあるゼロサムゲームだという姿勢を取って奪われないように警戒した方が圧倒的に正解に近いくらいはゼロサムゲームよりだと考えるところです。
数字的根拠もあります。だからPERPBRの変動がゼロサム、EPSあるいはBPSの変動及び還元がプラスサムです。
BPSの変動と還元だと多くの企業で年10パー無い程度ですが、ほとんどの銘柄においてPERPBRの変動はそれ以上ですし、日々の行ったり来たりもカウントするならそれは年10パーなどでは到底カバーしきれないはずで、普通に株価変動幅をゼロサム要因とプラスサム要因に分ければ多くの銘柄で99:1でも効かないほどでしょう。短期はゼロサム、長期はプラスサムだという言説とも通じる話でしょう。年10パーなら1日なら何%だって話です。
そのようにプラスサムをとるよりは遥かにゼロサムを取った方が効果的だしそしてゼロサムで負けないことにすることが重要と言えますし、企業利益以上あるいは市場平均以上のものはゼロサムゲームの勝利による成果と考えますね。
(まあ私やあなたが大きなゼロサムを取れるか?って話になると難しく単純にも行かないのですが)
と、いうのが自分立場ですね。今回の話題の以前から同じスタンスです。
ちなみに
関連してグロースとバリューの比較で、プラスサムを企業利益としたときもちろんその利益が伸びるグロースの方がプラスサムが大きいし、そのぶん有利だと理解できます。
しかしながらそのようなものは評価が高いし、また評価も変動しがちです。EPSBPSが伸びるというプラスサムで有利な分、PERのゼロサムゲームで不利な持ち札を持たざるを得ないし、またEPSで成長鈍化低ROE化が起きると有利な価値のプラスサム(EPSBPSの向上)帳消しにして有り余る程の評価においてゼロサムゲームでの敗北、あるいはマイナスサムゲームへ参加(PERPBRの低下)することになると言う理解でいます。
このあたりを銘柄選択でもゼロサムゲームが起きていると解釈すると市場平均以上のリターンはゼロサムと言えるし、銘柄選択ではないとするとグロースはプラスサムゲームで勝ちやすいけどゼロサムゲームで負けやすいと言えるのでお好みで。
閑話休題。
なのですが、今回は株の大半はゼロサムだ!なんて主張する趣旨の記事ではないんです。
実際にそういうスタンスではありますが、その主張は今までさんざんしてますし今回思ったことはまた別なことです。
まあ話を進めるの上での前提で再度説明はしたけどね。
さて、それで今回も?それぞれの立場が混在して色んな意見があったようですが、株がプラスザムだと主張する方の顔ぶれを見ると、非常に高い実績を上げてる方が多かったなという印象でした。
そしてその様をみて自分が思ったことの話なのです。
つまりはシャチじゃん。
捕食者はあまり自分が食われる相手や事を認識してないのでは?という思考に傾きつつ。
— かもめ (@kamomejan) 2022年11月25日
そういう人はどこからゼロサムかがわからない。食べる餌の出自しらなくても利益は出せるしね。
シャチとイルカは共に芸を覚える知能を持った動物です。
けれどどうやらシャチの方が早く芸を覚えるそうです。
しかしその違いはシャチがイルカより賢いというよりは、シャチが捕食するだけで捕食されることのない強者ゆえに恐怖がない、恐怖を必要としないところから来るようです。
それに対し捕食されることもあるイルカは未知のものに対して恐怖もあり、まずそれが怖くないものだと教える手間が必要なようですね。
それでその恐怖がイルカが芸を覚えるのにマイナスになってますがそれは被捕食者であるイルカが捕食者から逃げるのに必要な機能だと仰る(意訳)わけです。
他にも被捕食者の兎あたりは非常大きな耳を持ってます。あれがなぜ必要かと言うならば近づく捕食者に早く気づき逃げるためです。
イルカにせよ兎にせよ、食べられないために捕食者から逃げるための恐怖なり大きな耳なりの捕食者を察知警戒するためにリソースをつぎ込んでるわけです。
しかしシャチにはリソースが注ぎ込まれたものである恐怖がない。
言い換えれば、強者であるシャチは捕食者を認知しない。自らを食べるものを察知しない。その必要が無い。食べるのみだからである。
自分は多くを稼いだ人達の多くが株式はプラスサムだと言う姿にこのシャチが恐怖を備えない話を思い出して「お前らシャチかよ」とつぶやく羽目になりました。
強者はその餌は誰かが悲鳴をあげる中で絞り出されたものということに想像が及ばないし、その悲鳴がが誰のものかも考えもしないし悲鳴すら聞こえない。口を開けて入ってきた餌が断末魔をあげて死んだ誰かの死体かあるいは本当に海から湧いてきた恵みであるか区別がつかない。
その自らの糧の出自がなんなのかよく考える必要もないのだなと見なすに至りました。
(死体になって誰かの餌になることもある被捕食者にとって)なんとも無慈悲で残酷で皮肉な話であるか。
象は踏みつけたアリンコなんて認知せず、シャチは飲み込んだ魚が傷ついたり悲しい思いもする命があるものだとも思ってない。そもそも強者にはそれらを認知する必要も区別する必要もないわけです。
あなたを殺した誰かはあなたにまるで関心がない。なんとも思ってない。石ころというか企業利益辺りだと思ってる。
強者は強者ゆえに強者なんだというため息の出る感想を得たわけです。
でも自分は別にゼロサムゲームを嘆くわけでもましてや争うなとかいうわけではありません
それを認知せよが自分の立場です。
自分に与えるもの、自分に恵まれるものがあるなら認知せよ
自分から奪おうとする敵がいるなら認知せよ
奪わなければならない倒すべき敵がいるなら認知せよ
認知せよ。出来れば正しく認知せよ
実際にはないもの自分に必要ないものは認知しなくていい
あなたがあなたを食べるような捕食者など居なく捕食者を認知する必要がない強者であるか、あるいは自分を食べる捕食者にも注意しながら食べるものを探す強者と言えるほど強くない被捕食者かは知りません。
強者なら自分を食べるものなど認知せず大きな口をあけて入るものが誰かの死体だろうが海藻あたりの海の恵み(たぶん企業利益あたり)の違いも気にせず全部食べちゃえばいいし、そうでもなくても被捕食者に注意しながら自分でも食べれる者を捕食し殺し食べればいい。恵みがあるからそれをちゃんと受け取れるように認知する。
あなたを明細書も見ないで入金ちょろまかされてもいいのですか?
今回はこの成果がありました。
ここまでは海の恵みだな。ここは他人にとって食われたね。たぶんあの人たちだね。でもここの部分はわりと健闘できたかもしれない。
このように考えられるのはそれらを認知するからこそです。
そして認知するには明細書が必要だと思うところです。
明細書をみようぜって話です。
その中でそんなに強者でもなくて自分を食べるものをがいるとするならそれを認知し気をつけるべきでしょう。イルカに恐怖がなければシャチに兎に大きな耳がなければ虎に食べられてしまい求めるべき成果、お金を取られてしまいます。
それを防ぐために捕食者を認知気をつけるべきです。イルカのように兎のように被捕食者のように。
明細書見て現実を認知しそれで対策をたてるべきではないか。
自分はひとつの明細書の基準としてEPSBPSとPERPBRを用いることは提案しています。
まあ納得出来る基準なら他でもいいと思います。財務諸表だって複数の形式あるし。
強者のシャチがああなのは弱者にとっては残酷で泣ける話ですが、それでも被捕食者たる弱者は弱者で生きていかねばなりません。
そのために自らにあった生存戦略も必要でしょう。そのために考えていく基準となる指針もいるでしょう。
それを考えるひとつのヒントとして。
今回の話題もひとつの糧にしようと思うわけです。
あなたを食べる敵もいる被捕食者ですか?
それともそんな敵などいない絶対的捕食者ですか?
もし、あなたを食べようとする者がいるのなら。
それを認知認識して対策すべきではないですか?