定期的に話題になります。
お金の使い方。
節約するのがいいとか、使ってなんぼとか。
わりと定期的になにかは知らないけど、こうするべきだなんて強く言うようなTweetが流れてきて、共感されたり突っ込まれてたりは定期的にみるのですが、今回もそれについて思ったことをまとめるなんて記事。
最近もこんなのが流れてきまして。
投資と節約で1億円貯蓄 47歳会社員が「FIRE」を達成した極意https://t.co/MZpwuoovbg
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2022年5月25日
会社員として働きながら支出を切り詰め、浮いた資金を株式投資に回して1億円以上の資産を形成した人にFIRE達成の「極意」を聞いた。
わりときっちり、節約するところなどが紹介されるとなかなか批判を集めたりしますし、このときも地獄とか孤独な人生とかわりとひどい言われようでした。
今回は節約派の養護的な側面もありますが(自分が節約派に属するだろう人間だし)、本題は他人の狂想曲に踊らないで、自分で作曲していきたいものだよね。みたいな話。
過去にもそれっぽい話題は何度か。
貯める人と稼ぐ人の違いとたったひとつの道の話。
お金に対する呪われた姿勢と解呪の話。
大きくはここにまつわる話になるかもしれない。
これは節約してる人に対しての養護です
世の中を見渡すと、すべてとは言わないし例外も多いけど、多くにおいて大くは価格が高いものほどいいものというか利点やメリットがあります。
その中で価格が低いものあるいはそれに支払わないというのは何らかの価値享受を犠牲にしてると言えるとは思うんです。
ホテルなら価格が安いものと高いものを比べれば高いものはいいものだったり利点が多い。
例えば設備がよく気持ちよく泊まれたり、より細やかなサービスがあったり、便利な場所にあったり、新しかったり。安いほうがよりいいものだと言えることは基本少ないです。
このときに、より高いホテルから安いホテルに変えることは何らかの価値が犠牲になってるはそのとおりだと思います。
だからでしょう。さまざまな節約法を見せられると、お金の節約のために人生の楽しみとか豊かさに大きな犠牲を払ってるように見えたりする。ときには取り返しのつかないような損失を被っているようにも見える。
なのでいうわけです。そんなの地獄とか寂しい人生だとか。
そして多くのことでやはり価格の安いものは高いものより劣りがちです。全方位でいろいろ節約すれば全方位に人生を犠牲にしてるよにうにも見えるのでしょう。
節約は大事だよ?未来に備えるのも大切だよ?でも今をそんなに犠牲にしていいの?
そんなふうに思うのではないかと思うわけです。
しかしね・・?
自分の話をすると、自分は節約派でケチよりです
基本的にはお金はあまり支出したくないぞという志向はあります。
なので支出しないで済むというのなら基本支出はしない方向性ではあるんですが、そのようなスタンスではない人には意外かもしれませんが・・
自分は節約とかで人生で大きく我慢したり楽しみを犠牲にしてるという意識はあまりないんですよ。
だから上のFIRE節約術は自分は言うほど当てはまってないですが、それでも半分くらいは当てはまってますが・・例えばマイボトルとか割引を理由に買わないとか格安スマホ(SIM)にするとかしてますが、自分はそれを我慢だと思ってないし、なので地獄とか孤独な人生とか言われるのは心外なわけです。
もちろんキャリアのスマホを格安SIMに変えると、何かの価値が犠牲になるでしょう。
しかし立ち止まってそのときなんの価値が犠牲になるか考えましょう。
例えば以下ではないでしょうか。
・困ったときにショップで対人で問い合わせたりサポートをうけられる。
・通信が遅い時間もあまり速度がおちない
・大手なのでサービス継続の安心感
そこから格安スマホに乗り換えれば例えば上記の価値は犠牲になります。ただ自分を振り返るとき・・
・困ったときでもネットで対処法を調べることはできる。
・何が重たい通信のものは理解してるし、通信が重たそうなときはそれを他の時間に動かすことはそれほどストレスじゃない。
・中小でも財務諸表は読めて事業の継続性は測れる、そしてもしだめなときでも乗り換える手続きも負担と考えてない。
とかで、自分はそこで犠牲になる価値をほとんどロスと考えてなく、その価値を享受できなくてもストレスじゃない・・地獄にならないし、孤独な寂しい人生にもならないと考えているわけです。
キャリアショップに相談しないのに相談する権利を放棄することがなんの不幸になるの?って感じです。
故に自分だと、スマホを格安にしても豊かさや幸せが犠牲になるとか感じないしだから問題ないわけです。
価値とは誰にとっても同じものではありません。
当然人によって、必要とする価値と必要としない価値があります。
自分にはショップで問い合わせる価値は不要である。だからその価値は要らない。
と、するならスマホにかかるお金を節約できるわけです。
ホテルも駅まで歩くのが苦痛でなければ駅から離れて安いのを選ぶのは人生を犠牲にしてないし、さらには半端に古いものは安いでしょうが、古いにもそれなりの歴史がありそれを見て楽しもうとするなら、新しいものにはない価値があるのに価格が安いとすらすることができます。
知り合いの投資家さんは宿に漁師の納屋に泊めてもらい魚までもらったという荒業をしたと聞きましたが、それには面倒なものも含みますが人とコミュニケーションをとるというところに価値を見るなら、他にない価値を享受した上で払うお金を少なくもできるわけです。
高いものはなにかより価値があることが多く、それを安くすると何かしらの価値が犠牲になる。
しかしどんなことに価値を認めるとするかは、かなり人によって違いがある。
より高いものにある価値がその人にとってはほとんど必要のないものであることがままある。
あるいは見方をかえ視点を変えるなら、より価値のあることが価格が安いほうにこそあったりすることすらあるのです。
あなたに必要な価値はなんですか?
あなたが捨てていいは価値はなんですか?
あなたは価値を見てますか?
これは価値を考えてないと判断つかないはずです。
そこにはどういう価値があり、それを安くすると何の価値が失われるのか?
自分はどういう価値が欲しくて、どういう価値が要らないのか。
そういうことを考えて、自分には意味のない価値、あまり価値を感じないものは切り捨てていく。
自分がほしいとする価値があるならそれは得るようにしていく。
欲しいものだけ手に入れる。
そうするとわりと多くの人は節約になると思います。
価値を感じるもの、欲しいものは諦めてないのでそれほど我慢も必要もないかもしれません。
ただ欲しいとする価値に他人からの視点が含まれるものがあると満足にたる結果を得るのはハードルが高くなるかもしれません。
他からの評価を含む価値はすなわち地位財で地位財は他との競走を含み他を凌駕する必要に迫られるからです。
欲しくもないものにお金払っていませんか?
多くの人は、あまり価値とかを考えず自らにとってあまり意味のない価値にお金を投じてる部分があると思うんです。
あまり価値を考えずお金を使っていくと、お金はいくらあってもたりません。高いものはより価値があることは多いですし、世間はあなたにお金を使わせようとあの手この手を使いお金がないと不幸だとかお金は使わないと不幸になるぞとか脅してきます。
立ち止まってその価値や自分に必要な価値を考えてきてないのならお金を使えない使わないことは我慢の連続で不幸に映るかもしれません。
しかし世間に追い立てられて自分に必要もない価値を手にするためお金を得ることそして使うことに対して強迫観念に駆られているとするのなら。そしてそれによってお金が足りないと尽きない悩みを抱えることになるとするならば。
それこそ不幸な話だと思うのです。
惑わされるべきではないと思うのです。
いろんな価値を欲しがる欲張りな人はいますし、そういう人は難しいというかお金がたくさんいるかもですね。たくさんのお金があるといいですね。
でも多くの人は、そんなになんでもかんでもなくても不幸になったりしないと思うし、大切ないくつかの価値があればいいと思うんです。
それを見極めていきましょうや。
多くの人は自分に必要な価値を見極められていれば、節約したってそんなに不幸になったりしないって。
それは他人の価値感で貧しいとか豊かとか幸せとか不幸とかを決めるのではなく・・他人の作った狂想曲で踊るのではなく・・
自分で作曲しそれを自分で踊ることです。
あなたがほしいと思う価値はあなたが考え決めるべきだ。
そして多くにおいて人が得たいとする価値は人によって違います。
あなたがほしい価値はあなたが考え探し出す必要があります。
あなたがほしい価値はなんですか?
あなたが要らない価値はなんですか?
”あなたが欲しいものはなんですか?”
それを考え見つけて、それを満たす価値にだけお金だせばいいじゃないですか。
それ以外のものはそんなにお金をかけなくてもいいじゃないですか。
そういうことだと思うのです。
何もかも欲しくて妥協できないって人もいるとは思います。そういう人はお金がたくさんいるね。それでお金ないと不幸になっちゃうかもね。
でも・・だからそんなでもない多くの人は、大切な一部の価値だけあればいいと思うし、それを見極めてそれ以外はお金を使わないようにしてもそんなに不幸にならないと思うんですよね。
そんなわけで自分はあまりグルメでもなく、ちょっとぐらいご飯の質を落としても不幸にならないのでお寿司は別に回らなくてもいいし、でもたまには回らないのもいいかぐらいだし、電車に乗るのは好きなのでグリーン車にたまに乗るとか。最近はたっけーと思いながらもフルサイズ一眼カメラも買いました。
例えばそんな感じにそこで得られる価値と自分がほしい価値を考え選別しながら生きているわけです。考えた上でその価値がほしいとするならば無制限じゃないけど高めの出費も許容する。
今回はそのような話でした。
この先に予算を管理したりみたいなテクニカルな話もありますが、今回はもっと根底の何を得て何を諦める(というか要らないものを要らないとするってことだけど)かみたいな話。
それであたりに続く。
”あなたが欲しいものはなんですか?”