株は需給がすべてという言葉があります
ここに需給関連の言い回しがいくつかありますが・・
例えば「需給が良い 買いが売りを上回っている状態。」とか。
その中で株(というか株価だと思いますが)は需給がすべてみたいな言い分があります。
似たようなことを聞いたこともある人も多いのではないか。
そしてそれに、いやそうじゃない企業業績が・・などと反論もしたくなる人もいるのでないかと思いますが・・・そしてかもめもその種のタイプと思われてそうなきはするところですが・・。
その中でこの辺を考えて・・
株は需給がすべてだわ。
って話とその中で何を見ていけばいいのか?みたいな話。
ちなみにかもめはたぶんその種のタイプ
株は需給がすべてです。
これはなんというか、言ってる人もそして受け取る人もなんか板の勢いというか、上の通りに売りと買いの強さのバランス的なものを指しているなんて見てる人がいそうなイメージです。
その文脈の中で、いや自分は板も見ないし、売りとか買いの勢いなんか見ないし、企業業績とかバリュエーションで判断してるし。なんて反論がでることになると思いますが、引いて整理してみましょう。
需給。
需要と供給。まあ素直に解釈するなら、需要が買い注文で供給が売り注文でしょう。
と考えると、これはすべてではないかと思います。
需給とは売り注文と買い注文であるし、買い注文も売り注文もせず株価を決定するのは難しいと思います。仮に証券上場市場を通さなくて、市場外で相対で取引するにしても、それも買い(需要)と売り(供給)のマッチングでありそれも需給です。
と、なると株というか株価は需給がすべてじゃね?て思うところですがどうでしょうか?
これは例えば企業業績を排除してません。
需要か供給のどちらかはわかりませんが、この会社は業績のわりに低PERだ。そしてまだ成長は続きそうだしそうなれば、数年後はありえないほど低PERに見込まれるから買おうとしたものなら需要に取り込まれます。板を見なかろうが板に吸収されてます。成り行きなら板には表示されないだろうとか言わないでください。
需給がすべてというときにファンダメンタルズをみて注文されたものも排除されません。それも含むです。
というか何もかもを排除しません。
株価は需給だ。
そうでございますか。
ではそれは何をみて判断できますか?すべてだ。
板ですか?いやすべてだ。
業績ですか?いやすべてだ。
日足チャートですか?いやすべてだ。
出来高ですか?すべてだ!
月足チャート?だからすべてだ!
日銀さん?すべてだと言っている!
売り注文買い注文にはなんらか意思をもってされているはずで需給がすべてには売り買いを出すありとあらゆる人のありとあらゆる意思を含むことになります。
この意味において需給はすべてです。
というよりすべてを含んだものが、ありとあらゆるすべてを含むものが需給です。
さらには売買に参加しないアナリストあたりの推奨とかある凄腕が褒めてたからとかで売買する人がいるのなら、売買に参加しないものすらそのすべてに内包するとさえ言えます。
株は需給がすべてです。
というよりすべてを内包するものが需給である。
故に需給がすべて。すべてなんだからすべてです。
さて。でも大事なのはだからどうしたです?どうするです?
株は需給はすべてと言ったところでそれは実は何も言ってないことに等しいです。
これはある意味株価決定プロセスは株価決定プロセスだというくらいに何も言ってません。
板が株価を決定するとか言ってないですからね?だいたい板見てても10秒後の成り行き買いは見えないし、そこに並んでいる注文もどんな人がどんな意味で並べてるか?は見えません。
だいいち板で需給というかすべてを見れるなら板見る人が圧勝ですけど、実際にはそんなことはかけらもなく、むしろ板を熱心に見る人は勝ってる人少ない方になりそうです。板を歩み値にしたって同様です。それを見たって上がる株なんてわからないし、せいぜいこれが需給でその結果がこの株価だというくらいです。それも成立してない注文は拾えてないから注文を全部見れてないのですけど。
需給はすべてだと言ったところで、その需給は見えません。その言葉が合ってたとしても需給なんて見えないし、そしてそれを見ようとしても勝てません。
なぜなら需給はすべてであり、そして人はすべてを見ることは叶わないからです。
人はすべてを見られない。
故にすべてである需給を見ることは叶わないのです。
株が需給だと言ってもその需給は明らかにできないのです。
だから板は需給を構成する一部ですって。一部だから板読みして勝てる人はすくないの。
すべてを見れないのだから、見るものは選択しなければなりません。
というかあなたは何かを見てるはずで、それはあなたがそれを見ることを選んでると言えます。
板でも企業業績でも日足チャートでも出来高でも月足チャート?でも日銀さんでも。
その他のあらゆる要素も。
僕らは何かを選びそれを見る。需給はすべての中でなにか需給を構成するものの一部を見て投資を行う他はありません。
だからすべては見れないからです。すべてである需給をすべてみることは叶わないからです。
ぼくらはすべてを観ることはできません。
故になにかこれだという観るものを定めそれを用いて判断していく。
これは観るとする。
そして観ないものもある。観るものを決めるということは観ないものも決めてるといえます。
あなたは何を観て、何を観ないのか?
そしてすべてを観れないのでそれは常に足りないのです。
全部観れないからね。当然観れないものがある。
何かをみてもそれは不完全な視点なのです。
というよりすべては見れないのだから視点は常に欠損しています。
何かが足りないはずなんです。
すべて観れない中で下す投資判断は完璧たり得ないはずなんです。
僕らはそのことを受け入れる必要があるんです。
全て見れないが故の欠損を受け入れる。
欠けてるが故の結果を受け入れる。
そして何が欠けてるのか?欠けてるがゆえに受け入れない結果とはとなんなのか?
それを考えていくべきだと思うし、その欠損をを時にはフォローしたり、受け入れらない結果を防ぐ準備も必要になるでしょう。
”すべて”を観れないとはそういうことだと思うんです。
そして私かもめならその種のタイプになるでしょう。
というか株は需給だ言われた時にその需給の大枠を決めるのがファンダメンダルズだ。いやだって、トヨタが配当利回り20パーとか付けんでしょ?と言い出すような種そのものですね。
自分は企業状態とそのバリュエーションを主に観る。そこを観て投資に向き合っていく。その種のタイプの投資家になりそうです。
同時にその日の板の勢いとかは気にしないし、それを観ないことによる弊害も受け入れる。
もちろん観ないことの方が多いです。狼とその顧客?の動向などは観ない、投資判断要素としては組み入れないとするし、桐谷さんが何を推奨したとか、日銀の動向とか、岸田総理が何を言ったか?なんてのも組み入れないとしています。
すべてである需給の中で自分が観れるものはごく一部だ。
しかしその観れるものはしっかり観ていく。
そして観れないものを観れないが故の弊害デメリットは覚悟し受け入れていく。
そう定めるところなのです。
もちろん、あなたも何かを定めることになるでしょう。意識してなくても何かを観てるはずでそれなら意識して何を観るのがいいのか?と考えた末にそれを定めて観るほうがなんぼもマシだと思いますけどね。
あなたが何を観て何を観ないとするかとかはわかりませんけど。
以上のようなことを”需給がすべて”は教えてくれるのです。
需給はすべてです。
すべてが故にそれを観ることは叶いません。
あなたは何を観ますか?
何を観ないとしますか?
そしてどんな欠損を受け入れていきますか?