大河の一滴

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コストパフォーマンスの呪い

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ファイナンシャルリテラシーとはなんなんでしょうか。

そう振っておいてここではそれに解答を出す気はなかったりするのですが、わりと多くの人・・それも投資家さんのわりと多くはその中の一つに無駄遣いをしないこと・・・もっと突き詰めれば

 

お金を使わないこと。

 

が、それに含まれると考えてそうな言動をする人は多いように思えます。

まあそこまで極端ではないにしろ

・お金の無駄遣いを徹底して避けること

・コストパフォーマンス?が低い出費を避けること

・お金を出来る限り使わないこと

 

これらなんかあたりはファイナンシャルリテラシーに含まれて、それらは突き詰められるべきだし、それが出来ないのはファイナンシャルリテラシーの欠如している落伍者だ。・・なんて価値観を持っている人もいるかもしれない。

 

でも自分はそれはある意味呪いのようなものだとも思うわけです。

そのへんの考えをまとめてるようなまとまってないような話。

そしてそこに呪いがあるならその呪いが解けるようなら幸いだよね?・・みたいな話。

 

 

関連というかこれも読んでくれると稼ぐ人と蓄積の人を自分がどう分けてるかもわかるかも。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

 

たぶん自分はかなり呪われ組です。

・お金の無駄遣いを徹底して避けること

・コストパフォーマンス?が低い出費を避けること

・お金を出来る限り使わないこと

このような価値観考え方・・程度はありましょうけど自分はこれに染まってる方になるでしょう。

 というより多くのトレーダーというか稼ぐ系の人だと当てはまらないことも多いけど、蓄積系の人・・おそらく多くの投資家はわりとこの手の傾向が強い方が多い気はしてます。

これは程度の話でもちろん稼ぐ人も無尽蔵にお金を使えばだいたいすぐ破産してしまうからある程度の制約を課してるはずです。

 

この蓄積系は基本的に無駄な支出を抑え贅沢をさけお金は貯めるという指向性ですね。そしてためたお金はできれば運用しましょうみたいな指向性をここでは呪いと称してます。

コップの水理論みたいな話もあって、これは蓄積系の最たる考え方でそしてこののように考える人も多いわけですね。

president.jp

 

 と、いいますか

お金を使う価値観、もっといえば感情面の話。

・・・無駄遣いすると罪悪感を感じてしまう(という人がいるんですよ)

・・・あるいは無駄遣いすると気持ちがいい(という人もいるんですよ)

と、お金を使う使わない、それをどのように使うかはかなりその人の感情的な話でそれは家族や環境から作られるなかなか越えがたいものだと本田健さんなどは仰ってます。

 

その中で自分はあまり散財するのは気が引けてしまうような人生形成をしてきて、お金の無駄遣いつまりコップの水を減らすようにガブガブ飲んでしまうのに罪悪感というかそれは悪だという感情価値観を感じやすいというわけで・・・

それを自分は呪いみたいなものであろうと思うわけなのです。

 

ただこれは同時に反対側でもあるかもしれない。

お金は使わなければならない・・必要がなくても出費しなければいけないし、出費するのが善であり正しいのだと”思わされている”のであるならそれも呪いかもしれません。

 

・・・自分の言う意図がわからないかもしれません。

しかし自分の言いたいことは・・・

それがお金を使うことに引け目を感じるものでもあれ、あるいは必要以上に使ってしまうものであれ。

そう”思わされている”ものであるなら、それは呪いのようなものでありならばそれは解呪されてもいいのではないか?ということです。

 

その呪いを解呪しニュートラルな立場から自らとお金の関係性を見直す機会を持つのもいいのではないかと思うのです。

 

それがお金を使うことに罪悪感を感じてしまい必要以上に節約してしまうにしろ・・

節度よく使えなくて余計なものに使ってしまってお金が足りなくなってしまうことであれ・・・

 

それは呪いでありそれにあなたがそれに縛られる必要なんてないわけです。

というかあなたはお金から自由で居たくないですか?

必要以上に使ってしまうのも、ためてしまうのもそうとさせられてるなら自由でないしそれは呪いなのです。

 

 

さてどうやって解呪しましょう?

実際問題それは人によって最適解もあると思うのでこう考えればいいなんて話にするのは難しいと思うんだ。

なので自分は解呪方法なんて提示できないって思ってるし、実はこの記事の趣旨は自らのお金に対する姿勢はいわばそうさせられている呪いのようなスタイルかもしれないぜ?ってことでみずからのそれを振り返りその姿勢を正していくって発想を持とうぜ。って話なんですけど。

 

なので今回の趣旨はその疑問が発せられるところまで。

今の自分のお金に対するスタンスは呪われているもので解呪すべきものなのではないだろうか?

それを解呪できたらもうちょっとハッピーな人生にもなるんじゃないだろうか?

という疑問をみずからにぶつけられるところまで。

 

とはいえ事例とかもほしいよね?

なのでここでは自分の話。自分はこのように考えてるみたいな話を出そうと思う。

あなたがあなたのスタンスの解呪の参考になるならば。

 

自分のガチャ課金の話。

自分はガチャ課金できなかったんですよ。

実際にその課金システムの仕組が気に入らなくて自分はゲーム好きながら長らくほとんどガチャ課金のゲームにはほとんど手を出さないできました。

そのなかでオクトパストラベラーというSwitchのゲームが好きだったのですが、その続編?がスマートフォンアプリのガチャ課金の仕組みで出たわけで、それはしたかったのでまあガチャ課金は好みでないけどプレイすることになったわけです。

でもまあプレイするとそのガチャを課金して引きたくなるシーンとかも出てくるわけです。

 

実際問題、ガチャという仕組みはユーザーにとってものすごくコストパフォーマンスの悪い仕組みです。

一回キャラとかアイテムをランダム入手するだけで、300円とか500円。これは一回やってなんとかなるという確率設定でない場合がほとんどなのでまあだいたい3000円とか5000円ワンセットで複数を課金するという感じ。

 

3000円を3回転すればもう9000円です。

9000円も出すならば、フルプライスの新品の最新のパッケージゲームも買えるわけでこれがランダムで引く30キャラのデジタルデータの入手機会にしかならいというのはものすごくコストパフォーマンスのが悪いわけです。

 

そうなんです。それはコスパが悪い。

まあもちろんガチャ引きたくなったというのはあるんですが自分は考えました。

 

それがコスパ悪くとも全体で管理されていればよくね?

 

実際問題、問題ない訳です。

人は別にコスパの悪い消費をしてはならないなんて縛りなどないわけです。

もちろん収入の多くをコスパの悪いものに変えるなら自分の手に届く富はすくなるなるでしょう。場合によっては意に沿わない貧しい暮らしに甘んじなくてはならなくなるかもしれない。それはそうです。

でも、それは自分の使うお金は100%コスパの高いものにしなければならないではありません。

しかし自分は思ってたわけです。

 

コスパの悪い消費はしてはならない。

 

そしてこれこそが自分にかけられてた呪いだったわけです。

自分はこれは呪いだと振り返り、自分の収入や支出などを見直した上でこれくらいならいいでしょうという金額を設定し、それまでならガチャ課金などに使っていいとしました。

 

無制限にコスパの悪い出費をしてはダメ。

でもちゃんと管理し制限されている範囲ならコスパの悪い出費をしても構わない。

管理される範囲ならば、コスパの悪い出費もして楽しんでいい。

 

に自分の認識をアップデートしたわけです。

そして、自分のコスパの悪い出費をしてはならないという呪いは解呪されました。

 

自分はちゃんと管理できる範囲内ならコスパの悪いこともしても楽しんでいいのです。

自分のコストパフォーマンスの呪いは解けたのです。

 

というわけで、制限はつけながら自分はそれがコスパ悪いと思いつつガチャを回してよりゲームを楽しめるようになったわけです。

 

もう一つどうでしょう

自分のたどり着いたひとつの考え方です。これもただのかもめのひとつの考え方ですが人によっては解呪の参考になるかもしれません。

 

それはコスパが悪いと人は言う。

しかしコスパが悪いというのは1面の姿です。

取引というのは買い手での価値の創造があるのと同時に相手側でも価値の創造があるものといえます。

つまり自分の所で価値をさして産まないコスパが悪いとしてもそのお金が相手のところで価値を産む可能性もあります。

確かにそれは自分という立場のみからみれば無駄で無為なものかもしれません。

あるいは無価値といえるものかもしれません。

しかしお金を使うこととは一人で完結する行為ではなく同時に受け取る人もいて、相手もあるわけです。プレゼントとか奢りなら他の第三者だっているでしょう。

 

なるほどそのお金を使う行為はあなたの立場からは価値を産まなく、お金の無駄遣いでコスパが低い無駄な行為かもしれない。

しかし相手からすればどうでしょうか?相手はきっと何かの価値を創造してそれをもってお金を受け取れるわけです。

そこには価値は生まれないのでしょうか?

自分のところで価値を産まなくても、相手のところでは生まれてるかもしれないわけです。

そして、自分の視点しかないその行為より、より多くの関わる人が見えており視野が広く、自分以外の価値のためにお金を使えるなら。

それはよりファイナンシャルリテラシーが高いといえるものではないでしょうか。

 

自分だけの視野しかないお金の使い方はファイナンシャルリテラシーが低いわけでだし、それもひとつの呪いなのです。

 

 

いや、もっとわかりやすく言いましょう。

そのお金を使う行為は、あなたを救わないかもしれない。しかし相手を助けねぎらい救うという価値を生むのではないでしょうか。

それがコスパ悪いあるいは価値を産まないとも思える・・例えばたいして使わないサブスクサービスに課金したり、物量としては少ない用に思えるゲームのガチャ課金であろうと、それを苦労して作って創造した相手がいて、あなたのところでは価値をうまないものでも相手では価値創造した対価としてお金を受け取り報われるという価値が創造されているわけです。

あなたが全く使わなくなったNetflixに対する課金も、あなたが支払ったお金はサービスの提供者のところで、映像の製作者のところできっと価値も生んでいるわけです。

まあそれで自分が苦しくなるならそれは賢明じゃないと思うし、どうせなら自分のところでも価値を生む使い方のほうがいいでしょうね。

 

でも相手も見据えて相手のところでも創造される価値も見据えてお金を使える。

それは、自分の視点だけでお金を語ることよりファイナンシャルリテラシーが高いと言えると思うんです。

お金を使うという行為には、自分の他に誰かそれを受け取る相手もいてそこでも価値が動きそして創造されること含みそれも知ってることはそう言えると思いませんか?

すくなくともそこで買うことで生まれている喜びやその商品が生まれ提供される価値まで見据えた上でお金を使う行為を考えられることは、例えば60インチのテレビを買ってる人を見て養分だなんて断じ馬鹿にする行為よりはるかにマシじゃないですかね?

 

過去記事参考。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

これは余談ですが寄付もこの考えで考えられます。

寄付とは自分の立場で考えるとかなりパフォーマンスが低い行為ともみなせます。(自分は必ずしもそうではないとはしてる立場ですが)

しかし、この立場なら自分では価値をあまり生み出さなくコスパは低いけど、相手ではこういう価値が生まれてそれはこんなにコスパが高いから寄付をするなんて考えもできるわけです。

自分だけではなく相手の価値も見据え、トータルでより価値を生んでいるからこれはいいお金の使い方だとするのです。

 

昔に書いた記事ですがこういうことも考えたことがありまして。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

まあそんな感じです

後半はかもめの話が長くなりましたが。本記事の趣旨はやはり以下の疑問が発せられるところまでです。

 

今の自分のお金に対するスタンスは呪われているもので解呪すべきものなのではないだろうか?

それを解呪できたらもうちょっとハッピーな人生にもなるんじゃないだろうか?

という疑問をみずからにぶつけられるところまでです。

 

たぶん現代人の多くは呪われてると思うんです。

故に。

その呪いを自ら解き、もっと自由に。よりハッピーに。

お金を使っていくことができるのならば。

もうちょっと世の中も良くなると思うんです。

だって今はお金が動いて価値が生まれる資本主義の世なのだから。

その中で自分もまだまだですがより考えて精進したいと思うわけなのです。

 

 

あなたのお金に対するスタンスは呪われていませんか?

それは解呪されるべきだと思いませんか?

もっと自由になりたくないですか?

 

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