大河の一滴

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投資家はズルい

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投資家はズルいそうです。

まあコロナで経済はいろいろ問題あるしね。

そんな中で日経とかは史上でも高い方をつけててそうなると儲ける人もいるでしょう。

そうなればそれをみてズルいなんて思うのは人として仕方ないところはありましょう。

ついったなどでも話題になりまして例えば以下みたいなものが流れてきました。

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そんなものを見ながら考えたことの話。

 

なぜそれはズルいのか。

それをズルいという価値観はどんなものか?

とするなら投資は本来ズルい。ズルくあるもの。

そしてズルくある覚悟の話。

 

これを見てくれるとより自分が言わんとすることがわかるかも。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

投資家はズルい。

そんなことを聞いて「いやズルくないんだ。なぜなら○○だから」なんて言ってみるのもいいかもしれませんが、そもそも論としてなぜ投資家はズルいと思われるのでしょうか?

 

コロナで会社が厳しくてボーナスがなくなった。その中で稼いでいてズルい。

 

ズルいといのは言い換えれば正当じゃないということです。

そのときにここでいう正当な形とはどんな形なのでしょうか?

 

自分がこんなに頑張ってあまりもらえないけど、ちょっと手を動かしてるだけの連中がたくさんもらってる。

投資家はなにもしてない。

働かずに儲けてる

運が良かっただけで儲かってる。

・・エトセトラ

・・・など言い分はいろいろあると思いますが、でもここでの本質は以下かなあって思います。

 

苦労してないやつが大きな報酬をもらうのはズルい。 

 

ここですぐ反論とかしないでくださいよ?

反論する前に相手の言い分を吟味したほうがいいと思うんです。

 

苦労してないやつが報酬をもらうのがズルい。

つまり報酬は苦労に見合ったものであるべきだ。

 

さてどうでしょうか?

 投資の報酬は苦労に対する報酬ではないと思うんです。

そう思うところですがどうでしょうか。

 

投資の報酬は努力や苦労に対する慰謝料ではない。まして働いた時間に対する時給ではない。日給もないし基本給もないと思いますがいかがでしょうか。

 

この発想から言うなら投資はそもそもズルいし、それを行う投資家もズルいのです。

だから投資の報酬は苦労や努力に対する慰謝料ではないからです。

 故に報酬は苦労や努力や拘束時間に対する慰謝料だって価値観からすると投資なんてものは常にズルいわけです。

 

故に報酬は苦労するほど大きくなる慰謝料であるべきだって思ってないなら、もう投資はズルくはないとは主張し難いでしょう。

 

そのときに筋が悪いと思うんです。

 ズルいと言われる。

 

そのときに我々はこれだけ頑張ってるし苦労もしてる。だからこの報酬は正当だって論法は筋が悪いとは思うわけです。

それは報酬は苦労への慰謝料って言う価値観のフィールドに図らずも乗ってしまってるように思えますし、そもそも実際の投資の報酬のあり方とも違います。

 

だから投資の報酬は苦労に対する慰謝料ではありません。

 

その中でこんなに苦労してるって言った途端に報酬は苦労に対する慰謝料となり、苦痛を受けなければ報酬がもらえないという理にとらわれることになる気がするところで自分ならそんなの嫌なわけです。

 

投資でもその他でも苦痛を受けないと報酬がもらえないなんて世界観は拒絶したくないですか?

 

まあ、実際そのような機会があったときに、「そうだ。投資家はズルいのだ。投資の報酬はなされた努力や苦労とリンクするものではないからだ。」なんていうなら大惨事にもなりかねないので、表現を変えたり相手に慮り歩み寄る必要を認める人も出てくるかもですね。

その中で投資にはこんな苦労があるなんて言う必要もあることもあるかもしれませんね。

 

しかし、本気でこんな苦労があるからこの報酬は正当化されるなんて思うべきではないでしょう。

そこに苦労がないとは言わない。

努力は無意味だとも言わない。

 

けれど報酬や成果に対してこのような苦労があり努力をしたからそれは正当な報酬だなんてロジックは、口にした途端に報酬の根拠は苦労が故、苦痛が故でそれはそれに対する慰謝料みたいな価値観に囚われることになる。

 

報酬は苦労や努力に見合った慰謝料であるべきという価値観からはすれば、自分はズルくて結構。というよりズルく在りたいと思うくらいです。

 

そしてそれを口にすることは別の鎖で囚われることの宣言でもあるのです。

報酬は苦労や努力に見合った報酬であることを拒絶する。

それはすなわち報酬の決定は苦労や努力以外のものに委ねるという宣言にもなります。

そしてそれは苦労や努力を重ねてもそれが報酬にならないことを受け入れることでもあります。

 

努力しても苦労してもそれが報酬になるとは限らず逆に損で終わることすら受け入れてそれでも努力は怠らない。

 

その上で問いましょう。

あなたは、報酬は苦労や努力に見合った報酬であるべきという価値観から抜け出す・・

 

つまりズルくありますか?

苦労や努力と報酬を結びつける鎖を断つ覚悟を持てますか?

 

自分は投資はズルくありたい

ここでいうズルいとは苦労をしないという話ではないです。努力をしないというわけでもないです。

投資の報酬は苦労や努力とは別のところで決定されることを知り、それを受け入れ努力をしてもまるで報酬にならずそのときに自分はこんだけ苦労したんだから慰謝料をよこせなどと騒ぎ立てたりはしないという決意と覚悟を持つことです。

 

自分は投資家としてズルくある。そのうえでの努力を積み重ねていこうと思ってるところなのです。

 

報酬は苦労や努力に見合ったものであるべきという価値観

そこから抜け出す覚悟を持ち・・

つまりはズルく在れますか? 

 

 

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関連っぽい。

 

kamomenotoushi.hatenablog.com

じゃあ投資の報酬は何で決まるんだろうね?

それはまだ考え中で適切な言葉でまとまってません。まとまったらどこかでまたまとめるでしょう。