自分は小売業に居たことがありまして
そこではNB(ナショナルブランド)とPB(プライベードブランド)があったりして、会社ではNBを持ってきた人にPBを勧めスイッチさせることが推奨されていたんですね。
なぜそんなことをするかと言うともちろんPBの方が利益が大きいからなんですが。
そこで思ってたことなんかを思い出しながらの話。
人の知らないものへの態度からの投資にどう付き合おうかみたいな話。
PBってNBより儲かるんですよ
まあばらすとそのNBとPBは医薬品ですね。
で、お薬の販売価格に対する原価率はと言うととても低かったりします。
わりとまじで原価率にすれば10%とかだったりで販売価格を5分1くらいにしても普通に利益になります。
まあ、お薬はそんな数がでるわけでもないので、数が出る日用品を限りなく下げて集客しつつ利益がでる商品を少しでも多く売ろうというのが薬局と言うかドラッグストアのビジネスモデルですね。お薬だけで安くしてもおそらく十分なお客が集まらず商売にならないと思います。
・・は置いといて、お薬は売れる価格に対して非常に安く作れるんですが、安く作れるがゆえに広告をしても十分儲かるNBメーカーはわりと盛んに広告宣伝費をかけます。
あ、ここではそのNBとPBのお薬としての成分・・つまり有効成分は全く同じと考えてください。実際に薬局で置いてるいろんなお薬で主成分は全く同じってものはかなり多いです。
それで、実際のNBは販売価格の10%で商品を納入できるけど、広告宣伝費をかけ原価率10%広告宣伝費40%とか・・つまりお店側では原価率50%とかで入って来たりするわけです。あるいは一部の超有名商品とかは原価割れでうる場合もありますね。ほかもそうしてたりでそうしないと高いお店だという印象になりかねないからです。
それにたいしてPBは宣伝広告費をかけてない感じになり、文字通り販売価格の10%くらいでお店に入ってきます。
そんな感じでお店としてはNBPBが同じ1000円ならNBは500円儲かり、PBは900円儲かるなんてことになるわけです。原価割れのNBなら1100円で入れたのを1000円とかで売るとかなので100円損ですね。
そんなわけで、会社としてはより儲かるPBを売れーってなるわけですね。
しかしお客さんはPBなどレジに持ってこないわけです。
普通はパブロンとよくわからない風邪薬ならみんなパブロンをレジに持ってくるわけです。
そんなわけでかつての店舗勤務で自分が得た一つの学びが・・・
人は知らないものは買わない。手にも取らない。
ということです。
さきほどは、NBとPBは同じ1000としましたが、実際にNBとPBを同じ値段にしたらPBなんて売れないのでまずPBの方の価格を下げます。そうですね。900円としましょう。
そうすると・・
売値1000円原価500円(原材料100円広告宣伝費400円)のお店の儲け500円のNB(パブロンとかにとしましょうか)
売値900円原価100円(原材料費100円広告宣伝費0円)のお店の儲け800円のPB(コブロンとかにしましょうか。コブロンなんて薬はないですが)
みたいになります。薬としての有効成分は一緒です。
これでもお客さんはまずPBをレジにもってくることなんてありません。
そこで、パブロンを持ってきたお客さんにこう言います。
「こちらのコブロンは有効成分が一緒で同じ効き目が期待できますが値段が100円やすいですよ」
そうするともちろんパブロンがいいという人もけっこう居ますが、コブロン(だから架空の薬)に変える人もけっこういるわけです。
そうしてお店はより多くの利益を得て、お客さんは同じ内容の薬をより安く手に入れられてハッピーエンドなわけです。まあメーカーは広告宣伝費かけたのに商品が売れなくて損ですね。
なんてことをしてたわけですが。
なぜそのお客さんは、パブロンをレジに持っていき、そしてパブロンからコブロンに買うものを変えたのでしょう。
人は知らないものは買わない。手にも取らない。
CMなどでみたことがある”知ってる”パブロンを手にとった。
パブロンが効くからでもパブロンが適切なものだからでもありません。
パブロンを知ってたからです。
コブロンとかよくわからぬものに何故変えたか。
店員が同じ成分でより安いと言ったことで、それが同じ成分でより安いと”知ったから”。
コブロンを知ったからコブロンという選択肢も新たに生まれ、そしてそれを選んだ。
つまり知らないものから知ったものに変わったことで行動を変えたってことです。
自分はそのように解釈するところです。
そして、自分の会社のNBではなくPBを売れと言われたときのスタンスは、お客さんが知らなかったであろうPBの有利さを知ってもらうことで選択肢を増やし選んでもらうというものでした。
あとは、そうですね。もう一つここで言いたいことがありますね。
自分はおそらくただの一回もパブロンとコブロンを両方持ってこられて何が違うの?とは聞かれた覚えはないです。いや1回くらいあったかな?
人はパブロンでいいと思えば、積極的にほかを知ろうとはしない。パブロンで満足するわけです。
なので、こちらからは能動的にお客にとっては受動的にあらたにパブロン以外の選択肢を増やしていたわけです。
・・とまあ長々いいましたが、ここで大事なことはここじゃないでしょうか。
・人は知らないものは買わない。手にも取らない。
・知るならば行動が変わることもある。
・十分と思えばもう知ろうとしない。変化も求めない。
これはわりと人の普遍的な姿なのではないかなあと思ったりします。
普遍的ならば投資でもそうでしょう。
投資であっても以下なはずです。
・人は知らないものは買わない。手にも取らない。
・知るならば行動が変わることもある。
・十分と思えばもう知ろうとしない。変化も求めない。
これは自分も他人も。だって普遍的なもんなんだから。
その人が、自分が、今の行動である理由は知ってるから。あるいは知らないから。
行動を変えたければ知ればいい。知るしかない。
日本郵政を買ってるのは日本郵政を知ってるため。知らないとGMOPGは買えない。
あなたにせよ誰かにせよ、行動を変えたいのであるなら知るしかない。
知って新たな選択肢を増やしそれを選ぶことで人の行動は変わります。
そして学んで勉強して知を広げることで、それは知らないものから知ってるものになる。
なので自分の一つの言い分は、学ぶことを知ることを放棄するともうその人の知は広がることがなくなり選択肢は増えなくなり行動は変わらなくなるぞってことです。
行動が変わらないなら結果が変わることも期待しづらいでしょう。
必ずしもそれが悪いことだとは言いませんがね。
そしてかなりのいろいろな問題に対する解決法は以下になるかもしれない。
知ればいい。
知らないがゆえに解決法がわからないことが問題が解決しない理由です。
まあ、すべてを知っても解決しないこともあると思いますけどね。すべてを知る人も居ないと思うけど。
・・・そんなところでたぶんもっと知ることを放棄することはきっとあまり得策じゃない。
しかし同時に人はあまり勉強したがらない。
自分も嫌いです。
これは人の厄介な特質です。もちろん自分もそれに縛られてる。
・十分と思えばもう知ろうとしない。変化も求めない。
人はそう縛られてる。
けれどもっと知ることを放棄したくはないとするときはこれを乗り越えないといけないわけです。
どうすれば、”もう十分知ったぞ”から逃れられるのか。
そしてもっと知を広げることを希求し続けられるのか。
自分が今思うそれへの回答らしきものは以下。
興味をもつ。
必要に迫られる。
興味を持ったことはわりと人は積極的に知ろうとしてるように思えます。
自分もこういう記事書いたしね。
興味を持った挙げ句面白おかしく楽しく知と選択肢を広げていくことはありえます。
なにが楽しい部分か模索するような姿勢を持つのもいいかもですね。
必要に迫られるは、投資ならお金の不安とかだね。将来に大きな不安を感じるならばこそなにか解決策を探した結果投資を知って始めるはあります。
パフォーマンスに満足できなかった結果グロースを知って、学んで結果が出ることだって。自分を追い込むことでそういう知ることへの動機になることはありそうです。
ただ、うまく扱うのが難しいところはありそうですね。パフォーマンスに不満でグロース知ってやったことでさらに結果から遠ざかるかもしれません。自分を追い込むのも楽しいことではありません。
まあでも、選択肢としてはあるし活用できる人もいそうですね。
他にはパブロンよりコブロンがいいと選択肢を増やしてくれることのように他人に期待するのもありえますが、他人に期待し続けるのもね。パブロンならそれはお店の利益のためだからね。でも、他人が他人の利益のために自分の知を広げてくれることもあり得るとは知っていてもいいかもね。もちろん誰かに騙されるようなこともあるかもしれませんのでこれは注意しながらがいいと思うんです。
とまあ・・
興味をもつ。
必要に迫られる。
他人を利用する。
ほかもあるかもしれませんが、知を広めるきっかけとしてはこれらみたいうなものはありえそうですね。
うまく使いこなして行きたいものですね。
僕たちは知らない
もっと知るならもっとハッピーになれる選択も選べると思うんです。
その選択肢を選べないのは僕たちは知らないからだ。
それを胸にして学んでより知を広げることを放棄しないでいたいと思うわけです。
そのために、どうやってやるのか?
そこに興味を持ち続けていたいと思うわけです。
余談ですが、これを使おうと思ったんですけど、それを使う話にならなかったので最後に蛇足的につけてみます。
自分が作った図。
知らないがゆえにそれに批判的になるってところもありそうです。
もしそれを批判的に思うなら、「自分が知らないことがあるかもしれない」と立ち止まってみるのもいいかもしれませんね。
僕たちは知らない。
その行動ができないのは僕たちが知らないため。
その中でどのように知って選択肢を増やしていきますか?