なんで凄腕はうまれるのでしょう?
というか、凄腕というかなにゆえ高い投資見識をもつのか?というか。
もちろんそれだけが凄腕の条件というわけじゃないと思うけど、自分がわりと感じる凄腕になる条件の話。
好奇心の泉の話。
以下の関連的な。
ここも関連かも。
私ごとで恐縮ですが
投資勉強会みたいなものにお誘いいただきまして。
それが平日の夕方とか世間の皆様働いてますよね?という恐ろしい時間にやるものだった・・
つまり投資専業の方が多数というかばかりになりそうですが、そういう会にお招きいただく機会がありまして。
そこで皆さん投資のことをお話しされるのですが、そこで強く感じた訳です。
これはそれまでなんとなく感じていたところでもあったんですが、極端な場所を見ることによってよりそれを鮮烈に印象付けられた感じです。
この人たち疑問をそのままにしないや。
思い出してみるなら
投資勉強会や会社説明会等で多く質問される方は、だいたい見識豊富な方が多いという印象があります。
より知ってるくせにもっと知りたがる。
投資家で上の実績を出すような方は何人か見てますが・・自分はあまりテクニカルは詳しくないし類は友を呼ぶとも言いますのでタイプが違う人はあまり知らないと思いますが、その限られた範囲での話だとは言いますが・・・
好奇心を示す範囲が広くまたそんな細かいこと気になるんだ?みたいなところにも興味を示されている人は投資実力者であることがほとんどな印象です。
その恐ろしい勉強会でも、何かの話に触れ、じゃあこれはどうですか?気になりますね。じゃあ調べますね。とか細かな疑問を放置しないというか、要するにより知りたがりなのは疑いなく投資実力者であると思われる方でした。
その他、ある銘柄について尋常じゃなく色々調べ上げられ、結構な方の度肝を抜いたようにも思える方もいましたね。
そこでも、というかそこで様々な疑問を発し質問が多い人・・つまり知りたがりが実力者と思われる方だったんですね。
それが強烈だったので、そういえば・・・とその他のシーンでもそうだったねと思い起こす感じなんです。
投資実力者には知りたがりが多い。
ある意味好奇心の泉を持ってるんだと思います。
好奇心の向かう範囲、興味を抱く範囲。
知りたいと思うそれが明らかに他の普通の人より広くそして細かく深い。
自分から見ても、わりとそれはいうほど関係ないよね?重要じゃないよね?って感じるところにも及ぶ様子でした。
・・・自分はわりとピンポイントにこれを抑えるべきだよね?ってなるところに視点を向けるタイプ(あくまで自覚)かな?って思うところでわりと興味ないところは興味ないってところがありそうなのでその姿勢は強烈に映りました。
そこにはもう効率とか無駄だから要らない、知らなくていいなんて発想はないように思えます。
いろんな物事を好奇心の赴くままに、知りたいと思ったことを放置なんてせず突き詰めていく。
その結果、その人は幅広い知識を身につける。
知りたがりは知りたがる結果、誰よりも物知りになる。
知識は往々にして思わぬ点が繋がって線になるもののように思えます。他の人があまり持たない発想を持てるのも、多くの人が見逃す点も見逃さず拾い出すのも様々な知識という点を結んだ線に引っかかるのでしょう。
投資見識の構築はそうやって、凄腕はそうやって出来るのではないか?
自分はそのように思うわけです。
多くのことを調べたりすることを
無駄だなんて感じる方は多いです。
幅広い知識という多くの点は多くは無駄で、それを溜め込むのも・・・言葉は汚いがあえていうならオナニーと言われるようなものかもしれませんし、実際にそのようにいう人も見たりします。
しかしその無駄と無駄を結んだ点が思わぬ有益な線になる。
どの点とどの点が結ばれ役に立つ線になるかなんてわからない。
それは多くは無駄。
しかし多くの無駄は結びつき他の人が到達し得ない視点となる。
そのようなものなのかもしれません。
あるいは知識とか好奇心に効率とか無駄とかないのかもしれません。
時間の制約は流石にありそうですが、興味のあることを詰め込むことにおいて脳味噌に限りなどないし、その点は思わぬ線としてつながり思いもよらぬ効果・・・投資なら大きな利益になるのかもしれません。
それに時間だってそんなの無駄だなんていう人が無駄なく生きてるかいうとまあそんなことはないという印象ですね。だいたいの人の人生には多くの無駄があるし、どうせある無駄をそのような無駄で埋めるのも一興でしょう。
そしてそれが無駄という人にはわからぬのです。
そして無駄な知識を貯める者にそれを無駄だと退けた者は敗れるのです。
というか、だから自分には投資の世界で頂点に立つ人たちはそんな無駄なんかしらねえと、好奇心や知りたいという気持ちに逆らうことなくそれを突き詰めていった人たちばっかに見えるわけです。
そのように見えるんです。
好奇心の赴くまま知りたいことを突き詰める
その好奇心、その知りたい気持ち。
なぜ?という気持ち。
それはとても大切な資質でそれに逆らうべきじゃないと思うんです。
「そんなのもう知っている」
「そんなの知る必要なんてない」
それは終わりの始まりのフレーズです。
それに抗う必要があると思うんです。
その意味で無駄な知識なんてない。
それは思わぬところでつながり大きく実を成したりするのです。
だから知りたいという好奇心の泉の従い、知りたがるのがいいと思うんです。
必要かどうかなんて考えるな。
それが知りたいなら知るべきだ。
調べなさい。聞きなさい。
です。たぶんね。責任はなんて取れないからたぶんね。
けどその好奇心の泉は大切にすべきものなんです。
これはあまり世界を知りたいと感じない人には悲報だよね。
知りたいと思わない先の世界は閉じていく気がします。
しかし、あまり色々知りたいと願わない人も何もかもに対してそういうわけでもないでしょう。
たぶん何かしら興味があり、もっと知りたいと感じるところはあると思うんですよね。
そこからその泉を広げればいいと思うんですよね。
例をいうなら、自動車が好きならどうやってそれができるのかに興味を広げられると思うし、その中でこういう素晴らしい素材が出てきたとかなるなら、それはどこで作ってる?とかなってこれは建築にも役立つんだ!とかみたいな。
知識も興味も色々繋がり広がるものだと思います。点と点が線になる。線と線が面になる。
投資ならその線や面が引っかかって思わぬ利益になるかもね。
自分も。あまり興味が広いわけじゃないかな?とは思うので、そうやって広げたいところですね。
小さな疑問や知りたいを無視しないことが重要かな?と思ったりします。
大切にしたいですね。
好奇心の泉。
そう思うところなのです。
何故?や知りたい!を軽視していませんか?
それを育てませんか?