大河の一滴

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老人の凄腕はいない

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凄腕なる言葉をよく聞きます

凄腕って以下の意味のようです。

dictionary.goo.ne.jp


 「普通にはできないようなことをやってのける手腕。また、その手腕の持ち主。」

だそうですが投資ではわりと実力者?それとも成績がいい人?・・まあなにかはわかりませんが投資でも実力がありそうなひとのことを凄腕とか言ったりはよくありそうです。

 

でも凄腕ってあのあたりには居ないよね?

って疑問から生まれる投資家がずっと進む方法論の話。

 

凄腕と言われて何人か思い浮かべるとしたら

おそらくこのブログに来られるような方はそう言われるなら誰か思い浮かんだりするのかなあと思います。

たぶん投資で見識があったり成績がすごい人なんて思う人が対象であったりすると思うのですが、凄腕という意味自体には資産家であるというニュアンスはないのかなあと思うところですがどうでしょうか。

 

投資の凄腕とはあくまで投資の見識や実力・・なにかわかりませんがなんというか投資力みたいなものに溢れる人を指すのかなあとか思うわけですが・・

 

さて。

何人か凄腕さんを思い浮かべたとき、その人が老人というか老齢と言われる年齢になりそうな人が含まれていたか?というと少ないのではないでしょうか?

 

資産家というニュアンスではなく、投資の実力や見識に優れる方という意味合いでの凄腕。その老人の凄腕。

 

これ思い浮かぶ対象となる方が少ないと思うんです。

バフェットとかを思った人は居たかもしれない。

もしかしたら今亀庵さんなんて思われる方もいるかもしれませんね。

でも少ないはずなんです。

 

日々Twitterや投資雑誌など賑わせて鋭いことを言ってたり、非常に高いパフォーマンスを出してたり安定的に勝っていたり。燃えてたり。

そのような人たちってだいたい30代とか40代以下の方が多いという印象で50代がちらちらいるくらいになって大御所的な感じだったり60代にもなるとほとんど見かけず・・みたいな感じだと思うんです。

 

もちろん統計などで資産をより多く持ってるとされるのは老人というか60代以上みたいですし、株主総会なんて行くと年配以上と思わらる方が沢山いて、やはり資産を沢山持ってるのは高齢者あるいは老人だ。みたいなところはあります。

 けれど、鋭いことを言ったり皆を唸らせるような見識を示すみたいな凄腕として所謂老人が露出するのはほんとに稀といえるのではないでしょうか。

正直マジで思い浮かばれる老人の投資の凄腕とかはバフェットくらいかもしれません。あるいはソロスとかロジャース。つまり伝説級の実績を持つ人。

 

つまり老人に投資の凄腕はとんといない。

 

そんな感じに思える訳です。

 

なぜか?

これは想像に易いところだと思うところです。

つまりは老人に凄腕が居ないのは人は老いるからでしょう。

老いると凄腕たる実力というか思考力を維持できなくなる。

ほとんどの人が老いて思考力を落としてしまうわけです。

 

思考力を削がれると若くて才能ある人に勝つのは難しい。

それが厳然たる事実であり現実であると思うんです。

 

そして凄腕は能力を失い只の老人になる。

 

しかし問題なのは今日において大体の人の人生は老人になってからも長いということです。

60にもなれば実力見識を身につけただろうあるいは凄腕と呼ばれたかもしれない人の大半はもうその力を発揮し難くなる。

でも、それからの人生も長いわけです。85まで生きたとしてもさらに25年。

投資を始めたのが35だとして一生投資をするなら投資キャリアの半分は老人で過ごすわけです。

一生投資をするならですが。

自分は投資というもんは一生やるものだと思ってますけどね。

 

投資は一生やるものとするなら。それだけ長く付き合うものであるとして。

その中で老人になると老いて投資でそう実力は発揮しにくくなる。

けれど人生は老人になってからも長いもの。

長い投資キャリアで多くを占めるくらい長くなったりする。

 

そのときその能力を失うことで投資実績はどこまで悪影響を受けるのでしょうか?

これはゼロサムゲームの範囲までだと思うんです。

投資の中で他者と競争し取り合いする部分においてまで。

割安なものを取り合う。ノロマな間抜けに高くなった株を押し付ける。

その部分において老いると若いものに敵わなくなる。

若く力のある者の判断に及ばなくなる。

 

しかし投資のプラフスサムの部分はどうでしょう?

老いたものは株式の配当が減らされる。

企業がEPS成長してもその成長がスポイルされる。

 そんなことは無いような気がしますがどうでしょうか?

 

老いても配当は満額受け取れるし、企業価値が伸びるならその恩恵も若く力のあるものと同等に受け取れます。

そこに老いなどないわけです。

 なぜなからプラスサムとは投資する者の力に拠るものではなく投資されるものに拠るものだからです。

そして企業は老いることは無いのです。

 

というと語弊はあるね。老いると形容すべきことに企業がなることはあるね。

でもいい会社はそう簡単に老いることはなく永続的に成長するわけです。というか長くにはそうなってきたのが過去から連なる今日です。

 

関連。

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

人は老いるけど企業は老いないのです

個人の力に拠るゼロサムゲームはいつか勝てなくなる。

でも企業の力に拠るプラスサムゲームでは企業が勝ち続けるというか企業が儲け続ける限り勝ち続けられるのです。

 

僕はいつか老います。というかある部分では老いを感じる事も出てき始めてます。

僕は老いるでしょう。

その時に投資で勝つ根拠をゼロサムゲームの勝利には置けないわけです。

だから自分は老いて判断力を失い他のプレイヤーより優れた判断ができなくなるからです。

それは自分にも訪れるでしょう。

 

自分が凄腕かは分かりませんが、今凄腕と言われるようなほとんどの凄腕も凄腕では居られなくなる。

そのとき勝ちの根拠をゼロサムゲームの勝利に置いていたプレイヤーは勝てなくなる。他のまだ煌めく才能を持つ誰かにゼロサムゲームで負け奪われる事になる。

そうなのだろうと思います。

 

しかし僕は老人になっても勝ち続けたいと願うのです。

それはゼロサムの勝利を勝ちの根拠に置く限りは叶わぬ願いとなるでしょう。

だからいずれ自分も老いて力を失うからです。

 

しかし勝つ根拠は自ら以外にも置けます。

投資はそのような性質がある。

 

プラスサムです。

自分は他のプレイヤーとは戦わない。

他のプレイヤーと戦うのは自分の持つ会社です。

自分は何もしない。凡庸でいい。凡庸になってもいい。無能になるのすら構わない。

自分の資産を積み上げるのは、その判断をするのは、戦うのは自分の持つ会社であればいい。

自分が凡庸でも自分の持つ会社が優秀ならばそれでいいし、それで用をなすのです。

それこそが老いてもさらに長く続く投資キャリアにおいて、自分が老いて頭がおかしくなって今より頭なんか回らなくなった後でも戦い続け成果を出し続ける術なんだろうと考えています。

 

そして自分はこの戦い方をしてすごく成果を出した人を知ってます。

ウォーレン・バフェットです。

ウォーレン・バフェットは老人になってから投資で成果、つまり資産をよりのばしました。

それはウォーレン・バフェット個人の力で他の市場参加者からお金を巻き上げた訳では無いです。

バフェットにはそんなことは出来ないでしょう。だって判断力の落ちた老人なのだから。

しかしウォーレン・バフェットは煌めく才能をもつたくさんの…たくさんの人を差しおき大きな成果にたどりついてます。

自分にはウォーレン・バフェットをそこまでたどり着かさせたのは氏の力と言うよりは遥かに氏の持つ企業による力のように思えるわけです。

 

自分は戦わない。

戦いそして成果を出すのは自分の持つ会社である。

自分が老人になり今輝く実力を持つ他のプレイヤーが煌めく才能を陰らせゼロサムゲームで勝てなくなり進めなくなったその時も、そのあともさらに長く続くはずのその時間も。

ずっと自分の会社は勝ち続け自分は進み続けていく。

自分の持つ会社が自分を勝たせるよう、それこそ長い老人の間もずっと勝ちづける。

あまつさえ自分が死んだ後にすらずっと。

 

そのためにできる準備を済ませておく。

それが自分が老人になるまでにすべき準備だと考えているわけです。

 

 

力が落ちる老人になっても人生は長く。

そのとき老人になっても進み続けられる道はなんですか?

 

 これらも参考。

kamomenotoushi.hatenablog.com

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