大河の一滴

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まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

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力の証明書

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結果とはなんだろう?という話がありまして。

まあそんな話は誰もしてないかもしれないというか、そんな話を自分がするって話ですね。

この天地人の続き的な話ですね。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

 

結果とはなんだろう?というかなり朧気で曖昧な中を進む話。

自分も読む人もよくわからないやで終わるかも。

 

マザーズはバブルです。

 2020年の景色はかなりそう映る方も多いのではないかと思う。

コロナで一気に落ちたその後だね。

理由はわからないよ?

マザーズというかコロナにおいてイキのいいグロース銘柄が大きく買われたというか大きく株高。

それでそのあたりを狙う人は大きく他の人を置いてく形というか大きく違いがでたのです。

 

結果で大きく違いがでた。

 

投資ではいろんな手法があり、色んな人がそれぞれ別の考え方で投資をされています。

もちろん同じやり方の中でもあまり結果が良くない方、素晴らしい結果になる方はいます。

その中で2020年というのは、あるやり方をする人だけが大きく報われた。みたいな面が色濃くでたのではないかと考えています。

 

それってどういうことなんだろう?

 

ってのが今回のテーマなんです。

 

残念なことに。

きっと誠に残念なことにそのときただそこにいて、特に判断精度が高かったというわけでもなく、なんとなくその選択をした結果がすごい差を生むことがあります。
自分はそこにある結果の差はなんの差だろうとか思うんです。

 

その結果は何を表しているのだろう?

 

いかにも通底する話かもしれない。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

うん?そりゃ判断精度が高いが故に結果の出る選択をした人もいるでしょうね。

しかし判断精度がそう高いものでもない

だから実力はそうあるわけでもない。力があったわけではない。

でもそれでも大きな成果が与えられる。

あるいは逆。

実力はかなりあったはず、努力もしてたはず。

でも成果は芳しくなかった。

そういうことがかなりあったと思うんです。

だから特に2020年はね。

 

その中で僕らはそれにどういう意味を見出すべきか?

 

今回のテーマそういうところです。

 

仮にその結果がその人の力をあまり示さないという理不尽があるとき僕らはどう考えればいいのだろう。

 

これはね。そうだとするならすごく重要なことなんだ。

 

結果はその人の力をあまり示さない。

 

とするならば、結果を見ても力のある人にあまりたどり着けないし、また自ら成長を目指し力を上げる果ての結果も確かではない。

例えばそういうことになってくるんです。

だから結果が力を示さないならね。

 

僕らはかなりそれはリンクすると無邪気に信じてるように思えます。

勿論こういう自分もそれはぜんぜんリンクしないって事はないと考えてます。

確かにそれはリンクもしてそうだ。

結果がその人の持つ力の証明書である部分は確かにありそうだ。

けれど同時にそれは僕らが思うほどきっちりリンクするわけでもなくかなり曖昧な。かなり他の要因にも・・時にはかなり理不尽とも思えるものに・・端的には運・・にもかなり左右されるのではないかという事です。

 

 

このことを考えるのにこの記事で考えたことは使えるかもしれません。

 あってるかはわからないけどね。以下の記事の内容に従い考察を進めて行くことは可能だと思うんだ。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

与えられる結果は天地人のかけ算。

2020年のマザーズならそこに天が来てその時それを選んでた人には地も揃い。その人に人も揃っていたなら傑出した結果が出た。

あるいは人はそうでもないつまりは実力がなくても天地だけの力で・・つまりはあまり力がない人も、天地を得られなかった人を備える・・つまりはあまり運が向かなかった実力者を凌駕する結果が与えられたとかがかなりあるのではないか。

まあその人が人があるつまり力があるが故に天に合わせてそれに見合う地を選べたって人もいるでしょう。

でもそうでもない人の方が多いのでないか?って思うわけです。

 

 ぼくらはどうすればいいのでしょう?

 

こう書きながら自分はその答えは見えてません。

今回は発疑までで自分もこれから考え向き合うところの話ですね。

 

その結果が力の証明にならないのなら、そういう部分が思うよりずっと大きいならどう考えていくべきか?

どうすべきかはわかりません。

けれど与えられる結果が力を示すKPIとして信用ならないとするなら僕らはちょっとやり方考え方を変えていく必要があると思うんです。

 

答えはまとまりません。それでも疑問はつらつらと。

例えば使わない資産以上に増やす意味を何に見出すべきなんだろうなんて疑問とかね。

そこで何かを競うのはその何かがなんらかの優秀さの証明だという意識があるが故と思うところです。
そのとき結果が優秀さを示すものだと信じられなくなったときたぶんその人は結果を追うことをやめていると思うのです。

なんというかこの辺も投資で極めて大きな成果を目指す人が少なくなる理由かもしれません。
その結果はそ自分の力の証明であるかがかなり怪しいと感じれば手を緩めたくもなるでしょう。

 

まあお金は実利な部分が大きいので他の視点も入りそうですけどね。

な、こともありこの僕の問題意識はあまり共感も得られないかなと思うところだったりします。

まあ、でも自分としては例えばそんな疑問などが生まれたりしてるんです。

ただ僕は生涯投資を続けるつもりです。

この話は、なぜ投資をずっと続けるのか?の部分に関わるところでもありますので。

例えば自分が生涯進んで大河になる、大河になれたか?を測るKPIの話に関わります。

 

このような問題意識を感じる方は少ないかもしれないけどいくらかは同じ様に感じる人ももいるような問題でもありそうとは思うところです。

 

お金にお金以上の意味をもたせてる人は多いでしょう?

 

例えば自分がいくら進み誰かとどれだけ距離があるのか?を測るKPIとしての意味とかね。

自分の疑念はお金のタカはなにかのKPIとするには信頼性が怪しいことがかなりありそうだ。という部分です。

その時に他の何を新たな基準にしていくべきなのだろうか?

自らの力の証明書を何に求めていくべきなのだろうか?

 

その答えはまだ自分には見えません。

たどり着けるかもわかりません。しかしいつかはたどり着いて例えば自分の力を測りたい。大河たるかを知れるようにしたい。と願うところでもありますので投資を続けながらそれも考えていこうとか思ってるわけです。

 

お金が力の証明書として足りないとするなら。

あなたはなんで力を測りますか?

 

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