大河の一滴

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儲かることを教える人について少し真面目に考える

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儲かることを人に教える人なんていないと言う人がいます。

そのことについて考えを整理してみる話。

仮定なのであまり信じないでほしい。

あくまでかもめは仮定でこう整理しているという話。

テーマはタイトルな感じだけどもっと応用も効くテーマかも知れない。

だから儲かることを人に教えることの是非よりもっといろいろなことにも応用もできる考え方。

・・な話。 

 

それは本能に近いと思っています。

自分は儲かることを誰かに教えることは、人の本能に近い行為だと考えています。

それは美味しいものを食べたいとかラクしたいとかと同様に誰かに有益なことを教えたいと望むDNAなるものがあると考えるところです。

 

理由はそうしないと生き延びられないというか死ぬと思われるからです。

生存競争をより有利に行く抜くためのシステムとしてそのような仕組みがあるのではないか?という仮説です。

人は組織的な生き物です。

人は個ではとても弱い存在です。

自然の中で虎と戦って勝てるのは加藤清正くらいで、一人の力素手で虎と喧嘩して勝てる人は稀でしょう。

実際はだから銃を持ちます。銃を持って一方的に虎を射殺します。これは一人ではできません。銃を作る人がいる。火薬や鉄を作る人がいる。その製法や技術的背景を構築した人がいます。それら抜きで一人で銃を作れる人はいないでしょう。

それらを分業で作り上げ協力するからこそ人は虎にも負けないわけです。

というか加藤清正ですら武器は使っただろうから加藤清正も一人で虎に勝ってないはずです。

 

組織の力を借りれば人は地球で天下取れるほど強い存在です。

しかし同時に人はとても弱い存在です。

組織の力を借りれないのならば。

 

まあ長々いいましたがまず人は組織に属して組織に協力してもらえなければ弱く、すぐ厳しい自然の中で死ぬような生き延びられない存在だった・・昔からそして今でも。

というのが伝われば。

 

組織の協力を受けられないと死んじゃうんです。人って。

ある意味、群れなきゃ生きられない最たるものです。

そういう進化をとげて歴史を歩んできて今僕たちがあると。

それこそ何十万年もかけてね。

 

この視点で見ると以下の行為にはインセンティブが生まれると思うんです。

繁栄するような強い組織に属すること。

属する組織を強くすること。守ろうとすること。

属した組織から重要な構成員と認められること。

 

・・・まあ仮説ですけど、これがそう間違いでないならもう人は儲かることを人に教える・・・ようとすることはとても自然で本能に即した行為と言えそうです。 

つまり、それは美味しいものを食べたいと望むくらいは自然な行為に思えます。

 

同じものさしで以下には強い逆インセンティブも働くだろうと思います。

組織から必要のない個とされ組織から放り出されること。

自然界ならそれは死を意味するくらいになりそうですね。

 

この視点・仮説で説明できそうなことは多そうです。

テレワークで作業の見直しが入りその仕事は必要ないと言われたとき必死に否定するし、自分があまり意味のない作業をしていたことを認めたくないという心理はありそうです。

(だって組織に貢献してないなら組織に見放されてのたれ死ぬ恐怖(実際にのたれ死ぬかは別:ジェットコースターは安全だけど怖いでしょ?)があるかもしれない)

 

ブラックな職場で苦しみながらもついやめられないでいること。ついには自殺までしてしまう心理。

(だから組織に見放されることは”死”というかアイデンティティの喪失を思わせることなんじゃないかな)

 

おじさんがやたら目下に知識や経験を振りかざすこと。

(だから組織の中で自らの価値を示したいという本能(それがほんとに組織に役立つかは別だけどね?)がありそう)

 

パートナーの死を悲しみ恐れること。

協力して生きる人にとって協力者の喪失は痛手でさけるように作られてるのではないか・・・人は生きるのに協力が不可欠だからこそ協力者の喪失が痛みと感じてれそれを避けようとするに作られてるって仮説。

 

これらの中の一つとして・・・

例えば投資で儲かることを人に教えたいと望む気持ちも持つのも不思議じゃないと思うのです。

 

見返りはお金ではないというか、だからその見返りは属する組織を強くしたいとか、属する組織の中で有益な個であると示したいとかだって。

実際そのように考えると言うよりは自分を認めて欲しいという承認欲求とか地元のサッカーリーグが勝つと嬉しいみたいな種の気持ちに近い形だろうけど。

つまりたとえば上記のことはインセンティブがかかるので意図した欲求というよりはそれは意図せず気持いい行為として人間は作られてるだろうという仮説です。

だから美味しいものを食べたいと望む欲求と同レベルでそういう欲求を人はもってるのではないかという仮説を言っています。そして、生存に有利だから美味しいものを食べると望むというよりは気持ちいいからそれを望むわけでそれと一緒かもしれないと言ってます。

 

ちなみに自分はそれの善悪は言ってません。

それは善であることも、悪であることもあるでしょう。

 

美味しいものを食べたいとする中で美味しいものを食べることは善ですか?

それと同じです。

美味しいものを食べればハッピーなことは多いです。しかし特に飽食な現代にそれに従って食べすぎるならどっかの独裁者みたいに健康を壊し天寿も全うせず若く死んでしまったりするわけで。

 

投資で儲かることを人に教えることも一緒です。

教えた人は同じ組織に属して無い・・・つまりあなたに見返りを返すような存在ではないかもしれない・・と、同時にそれを見ていたなにか・・言い方を変えるとあなたを同胞とみなす誰かやなにかがあなたに価値を認め有益な見返りを持ってくる・・つまりあなたを協力しあうに足る人物と認め協力を申し出てくるかもしれない。

もっとわかりやすく言うなら、友好的に接するのが有効だって思う人にならこれは儲かるぞと思ってる銘柄も教えるかもしません。

 

何がいいたいかと言うと、繰り返しになりますが、

それは善であることも悪であることもあるということです。

故に、そのケースに応じこれは善か悪かを考え判断していく態度を持つのがいいのではないでしょうか。

 

儲かることを人に教える人なんていないと決めつけすべての機会を流すのも勿体ないですし、すべて善意で受け入れるべきだなんてのも美味しければ無尽蔵に食べて健康を壊すようなものです。

どちらかに決めつけるのではなく個々個々でその是非を吟味していくのが良いと思うところです。

 

まあ仮説です。

仮説ではあるけど、外れてもないなら人は有益なことを誰かに教えることは組織的で組織に属して生きる人にとってかなり原則的な欲求と言えるとなりそうです。

それは生存競争を勝ち抜くことに有利に働いてきた生存(できる確率を伸ばす)欲求です。

美味しいものを食べたいと同様くらいで群れることを嫌うアリは今に生き延びるというか子孫を残せなかったことでしょう。

 

故にそれを不自然だと思う人はある意味本能的でないとは言えそうです。

これは良くも悪くもです。

美味しいものを食べることを望むのは上で行ったとおりハッピーだったり不健康になったりいいことも悪いことも起こしうるものです。

 

もっと言うならば例えば若い異性と交渉しまくりたいと望みそれに従い行動するのもパワフルだと評価することもできるだろうし、動物みたいで自らをコントロールできない程度の低い人物と評することもできるわけで、それはいいことでも悪いことでもありません。

 

その良し悪しを決めるのはそれをどうコントロールしたかです。

 

そうです。

 

自分が言わんとするところはそれをコントロールしようという視点を持つことです。

 

例えば美味しいものを食べたいと望むのは多くの人が持つ根源的欲求ですが、同時にコントロールしようという発想も持てるはずだし持ってる人も多いです。

これは美味しそうだから食べよう。これは健康に良くないから控えておこう。でも食べたいな。じゃあ食べるけど他を減らそう。あるいは運動を増やそう。

 

そういう視点で、儲かることを教えるという行為も見るということです。

 

人は組織的な生き物でそういう根源的欲求もあるかもしれない。

そしてそれをすることによって得られる恩恵もあるかもしれない。

では自分はどうするか?

誰になら教えてもいいか?

この人には教えるべきではないな?

そのようにしている人はどのような意図で行ってるのか?

それは信用に足ることなのだろうか?

 

そういうことを考え、自分をコントロールをしていこうという視点を持つことです。

それは儲かることを人に教えるわけないと十把一絡げに否定したり、裏の意図など測ろうともせずだれもかれも疑わない態度などより程度が高いと思うんです。

つまり役に立つ。

そう思うところですがいかがでしょうか? 

 

まあ一つ一つのことを取り上げ思考を巡らせるのは面倒くさいかもね。

自分も面倒なので全部に対してはできないね。

しかし少しでもそうやって取り上げ思考を巡らせ是非を判断していくことを増やすことが自分の判断力を増していく行為だと思うところなので、あまり面倒がらずに考えていきたいと思ってるところなのです。

 

 

 人は競争というよりは遥かに協力で生きる組織的な生き物です。

そのなかで・・

その事象をどう考えますか?

 

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