人は考える事がお好きではないようです
ある日ツイートを見たんです。「考えない~」なんて本が売れてるなんてツイート。
今回はその本を肯定的に捉える話でもないのでその本は伏せますが、そのツイートを見てフォードの「考えることは最も過酷な仕事だ。だからそれをやろうとする人がこんなにも少ないのだ」なんて言葉を思い出したりして、ともかくも人はあまり考えたくないようでだからそんな本も売れるのだろうと思いましたという話から始まる残酷な世界と投資の星の話。
導入はいつにも増して訳が分からないと思いますが
そのツイートをみて、自分はわりと考えるのが趣味みたいなところがあってほんとよかったと胸を撫で下ろしたわけです。
だってフォードが言った過酷な仕事がある意味苦痛じゃないってのはすごく有利なアドバンテージだって思いましたし。
そう、自分はわりと考えていくのが苦痛じゃないし趣味みたいなところがあるというか、ほら、このブログだってその結実だったりしますよね?
考えていかないとこんなのできないですからね。
そして自分はいやいやこのブログをやらされているというよりは遥かに自ら望んで書いてたりするわけです。
しかしそれには但し書きがつきます
興味のある分野に限る。
思えば僕は投資に興味があり投資のことを考えるのは苦痛じゃないというのがこのブログ「大河の一滴」を成立させてるひとつの要因です。
しかし同時に自分は興味のないことを考えていくのは苦手です。苦痛と言ってもいい。
そんなこと出来ないのです。
例えば芸能人のゴシップについて思考を大きく割くことが出来ません。
それが芸能人のことなら自分は正しくフォードが言う考えるという最も過酷な仕事ができない人なんです。
自分は自分が興味のある分野ならその過酷とされる考えるというのも苦痛でもなく、なかば趣味のようにこなすことも出来る。
逆に自分が興味のない分野だとそんな過酷なことは到底やってられない。
そういうことなのです。
そして思えば大体の人もそのようなものな気がするのです。
一見色々なことに無知、無教養だと思える人は時々居ます。
往々にしてあまりお金持ちでないというか豊かじゃないような人も多いという実感ですが…
そのような人も全方位に無知というわけでもなくある分野にはとても詳しかったりします。
例えば、芸能情報。職場の人間関係に詳しいとか。
自分の知人だとワンピース(マンガ)にやたら詳しい人がいて、その知識に圧倒された記憶があります。
しかしその人は経済的な知識はあまりないかんじで、不幸も重なってたようですがお金にはかなり苦労してる方でした。けどその人は別に悪人というわけでも怠け者というわけでも頭が悪いというわけでもなくただのワンピース好きの善人です。
違いといえば例えば僕はワンピースではなく投資に興味をもってその人はワンピースに興味を持った。ただそれだけなのかも知れません。
そしてフォードの名言にはちょっと修正が必要なのかもしれません。
(興味のないことを)「考えることは最も過酷な仕事だ。だからそれをやろうとする人がこんなにも少ないのだ」
自らのビジネスに強い興味を持っているフォードは他の人があまりにそのビジネスのことを考えてくれないのでそう感じたのでしょう。
きっと多くの人達はただフォードのビジネスというかビジネスにはあまり強い興味がなく他の事に関心があっただけだったのではないかと思うわけです。例えばワンピースとかね。フォードが生きていたときにワンピースはないからこれは例えだよ。
そのように例えばになりうる興味が向かいうるものは挙げれば様々なそれが出てくると思うところですが、たいていの場合それに詳しくても、その事の情報を集めそれについて考えることが苦痛でないのだとしても…そして恐らくは実際にその分野では考える事も苦痛でないのであろうとも思うところですが、残念ながら…誠に残念ながら。
芸能情報やワンピースについて考えることが苦痛でなくそこでいくら考えられるのだとしてもそれがその人を豊かにすることは極めて稀というか、恐らくは皆無でしょう。それが襲いかかる不幸を防いでくれることも滅多にないでしょう。
職場の人間関係ならそれで証券口座の評価額が増えたり銀行口座に大金が振り込まれるなんてそんなことにはなりようもありません。
世の中には考えるにしても豊かというかお金になりやすいものとそうではないものがあるんです
例えばビジネスに対する興味。これは比較的お金になりやすいものです。
つまりフォードがそうであったようにビジネスに興味があり詳しくなって考える事も苦痛でないなら他の分野より遥かにそれをお金にできる、豊かさに繋げるチャンスも多くあることでしょう。
しかし芸能情報に対する興味ならかなりお金にするのは難しい。ワンピースでもダメだしそれをドラゴンボールに変えたって同様です。
まあ近年はブログとかyoutubeとかアフィリエイトとかみたいな手段もありますから以前ほどそのチャンスは皆無では無いかもしれませんが、これも他にも興味があることが必要な分野があります。つまりはアウトプットや表現やマーケティングに関する興味がないとそれも無理でしょう。その興味は広げられないと豊かさには繋がりません。そんな豊かさには繋がらない閉じられた、でも深い世界が世の中には沢山あるのだろうと思うところですが…
もし、多くの人が…
・その人が興味を持てるその分野なら考えるという事もこなせるけどそうでない分野ではそんな過酷なことはできない。
・同時に物事にはお金になりやすい、豊かさに繋がりやすい分野とそうではない分野がある。
だとするなら。
自分にはなにに興味を持ったかで大枠の人の貧富や幸不幸が決定してしまうという世界の姿を感じるのです。
なんて残酷なのだろう
その人は税制ではなくワンピースに興味が向かったために豊かになれず貧しさを押し付けられるのだとしたらその世界は残酷だ。
興味をもったものが豊かさに繋がらないものであったら罰を受けるのです。それは残酷だ。そこに何の罪があるというのか。
自分はそのように思うのです。
同時にこの残酷は自分にはどうしようもありません。
そのハンデを与えられる人がいる。与えられるならそれも踏まえ生きるしかないとも思うところですが。たとえば少しでも豊かさに繋がりうる分野に興味を持とうとするとかね。
そしてこれは残酷だけど同時に星だと思うんです
芸能情報に興味を持つ。
ビジネスに興味を持つ。
ワンピースに興味を持つ。
税制に興味を持つ。
職場の人間関係に興味を持つ。
歴史に興味を持つ。
動物に興味を持つ。
等々等々。
その事を考えていくという過酷な事も易々とできるものが何になるかは星の下(もと)。
そして、投資もその星になりうるひとつのものでしょう。
投資に興味を持ち投資のことを考える事が苦痛でない星の下にいる人はいる。
そして・・投資は恐らくは極めてお金になりやすい豊かさに直結しうる星である。
投資の星
このブログに来てこの記事を読んでいるあなたはその投資の星の下にいると言えます。
本当に星だと思います。
人は興味の無いことに思考を割くことなんて出来ない。
それは過酷すぎてほとんどの人ができないことなんです。
そしてお金にも豊かさにも繋がりにくいものに興味を持たされる人が大半の中で、ただ偶然。いや本当に偶然だと思う。豊かさにかなり繋がりうる投資に興味を持つことになりこのブログにたどり着きこの記事を読んでいる。
自分ならその対象を芸能情報でも職場の人間関係でもなくワンピースでもなく例えば投資であったのは本当にただの偶然と言うべき巡り合わせです。
これを星の下と言うべきものでないならなんなのですか?
それは恐るべき幸運なのです。
まあこのブログのこの記事にはたどり着かなくてもいいと思うけどね。
それはもちろん他の投資系のものならば。
しかしこの残酷な世界で偶然豊かさにかなり繋がりうるものというべき投資に興味をもってそれを考える事も苦痛でないというのはそういう星の下になったと言うべき恐るべき幸運です。おめでとうございます。
・・本当におめでとうございます。
だからその星活かしたいよね
星を育てることだと思います。
つまりは興味を持ち続け考え続けること。
その過酷な事ができる星の下に巡ったのだから、その星を活かして伸ばす。
星を大きくする。星をひろげていく。
それが残酷な世界で自分に与えられた幸運を活かすことなのだろうと思うところです。
そしてその先に星が照らす世界を見てみたいと思ったりするわけです。
そしてもちろんここに来られるような読者様はその幸運を、ちょっと考えるのがメンドクサイくらいの理由で棒に振るなんて愚行はしないですよね?
投資の星を与えられたなら。
それをどう育てどう活かしますか?
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