以前の記事
市場は企業を測る天秤であると同時に投資家を測る天秤でもあるという趣旨の記事を書いてます。
お気に入りの記事ですね。
ブログ名を以前のものから現在の「大河の一滴」に変更した際に一発目にした自分的につおい記事です。
きっと投資家は測られている。
じゃあ何で測られてる?
何を試されてる?と考えを進めていく話。
自分は大方針として
基本的には常にフルポジで1から10まで市場に付き合おうと考えています。(ここは反省もあり、ましたになるかもしれませんが)
うん?いや?すごく高くなったと判断したら引くかもしれないね。
しかしいまのところそういう局面だという判断に至った事はないですけどね。
まあそういうこともあるけど、基本的には常にフルポジ。
ちなみに生活資金は残してますよ?
なぜそんな方針を立ててるのか?なんてすると自分が測られてるとする仮説からってところもありそうです。
投資家は試されている。
自分はそんな世界観を持っています。
きっと投資家は測られて試されてそれに合格するとご褒美がより大きくなるという世界観だね。
これは自分がそう感じてるって話で実際のところホントかどうかは不明だよ。
証明も極めて難しいとなりそうだね。
だから自分が言うことはあくまで仮説でめちゃくちゃ誤っているかもしれない。
しかしそうでないなら、投資家は何も試されず大きな報酬・・利益を得られるってことになるね。
対価無しで大きな成果が得られるって話。
そうじゃないならそんなに的外れじゃない世界観だと思うところだがどうだろう?
この辺は以下の記事とかでも扱ったね。
もちろん上の天秤も同種の意見だね。
ということもあり自分は投資家は試されるものだと思っています。
そうです。投資家は試されている。
と、するなら以下の疑問が浮かぶはずです。
投資家は何を試されているのだろう?
そうだね。例えば大きな成果にたどり着いたあの投資家さんとかどうだろう?
あの方は何を試されてその成果にたどり着いたのか?と、考えてみたりしてもいいかもね。
さあ、投資家は何を試されるのだろうか?
何を示せば大きな成果に辿り着けるのだろうか?
投資家は測れられている。
だとするなら・・
それは何で測られているのでしょう?
それはなんだろう?
知識?
それも測られているかもしれない。
狡猾さ?
それもあるときは有利に働くでしょう。
他を喰うことも厭わぬ非情さ?
まああるかもね。
運?
まあ運もありそうだね。
しかし自分は思うのです。きっと例えばこういうのだろうと。
例えば勇気。
例えば覚悟。
例えば愚直さ。
そういうものをもってつらい時を克服できるか?
その決断をしがたいときにその決断をできるかどうか?
例えばそういうものが試されてると感じているのです。
つらい時を避けられるかではないです。
辛いときに逃亡してるかどうか?ではないです。
辛いときをなんとかして堪え克服できてるか?です。
これは言い換えるなら以下になります。
辛い時を味わってそれを克服する事にご褒美がある。
つらい時を避けようというのは根本的に誤った発想にも思えるわけです。
避けるかではなく、どう克服するかを問われてるからです。
まあこれは自分の感覚なので本当にそうかはわからない。
でも勇気や覚悟が試されるのならば、例えば不安になったとき逃げるならきっと不合格だよねって思うわけです。
そのスタイルはいろいろあるかもしれませんよ?
辛いときにひたすら我慢してこらえ続けることかもしれない。
平然として普段の行いを継続することかもしれない。
逃げたくなったり思考停止になりそうなときにより頭を働かせてよりアクティブに行動することかもしれない。
しかし自分は色としては以下の色が濃いのかな?と感じています。
つらいとき、きびしいときも覚悟して勇気を出して愚直に見の前のものに向き合い続ける。
そういう姿が試されるとするなら、狡賢く立ち回る投資家と真逆の姿とも言えてなんとも皮肉だろうと思うわけです。
聡い人は愚直な人に敗れるのです。
しかし本当に大きな成果を掴んでいると思える人にはそんな愚直な態度を貫いた方が多い気がするのです。
雨が降ると思えば逃げたり、雲行きが晴れたと思ったら戻ってくる。そんな態度の人より一枚二枚上の成果を得ているという印象です。
そう思えるくらいは自分は例えば賢明であることより例えば愚直さを上位に置いてます。賢明さも試されるとは思うけどね。
まあこれはあくまで自分の感覚です。
繰り返すけどだから間違いかもしれません。
でも市場にあるいは投資に、あなたが何を試されて、どのようにそれをクリア、克服するなら高い報酬が得られるのか?と考えてみたらどうか?と提案してみるよ。
また自分はただ我慢して持てばいいと言う話もしてないです。
含み損の大きくなるものを放置して直視もしない態度も向き合ってると言えるでしょうか?試されて克服してると言えるでしょうか?
言えないと思うのです。
その中で自分はつらかろうが苦しかろうが報われなかろうが、目の前のものを直視し、愚直に向き合いあるべき姿を探す態度が試されてると思うんですよね。
あなたはどんな答えをだすのでしょうか?
実際はそんなの気にせず
さっさと逃げるのがいいかもしれない。(自分も個別銘柄ならまずいと思ったらさっさと逃げます)
ただ誤ってる気はあまりしてません。そう外してないだろうという感覚ではいます。
だから自分はこの感覚を信じて試されてやろうとは思ってます。
例えば市場なら全部付き合ってやる覚悟だし、このブログもその時は報われなかろうが続けるというか投資に対して調べ考える習慣は捨てないで愚かだろうが続けるつもりです。
そしてきっとくる辛いあるいは苦しいその時も覚悟して勇気を出して、愚直に目の前のものに向き合いより良い一手を考える。
これが自分が持っている試され、そしてそれを克服してそしてだからこそ高い報酬が得られるというイメージなのです。
フルポジに関しては2020年の暴落でちょっと正直にやりすぎたなという反省もあるのでそこらはもうちょっと立ち回りも考えないとなって反省はあるんですけどね。でもその反省も試されの一つということで。
あなたはどう試されそれをどう克服しますか?