大河の一滴

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情報の価値の毒と薬

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投資などをやってますと情報商材などをよく見るのです

今回は直接名前こそ挙げませんが、書籍より高額と言える情報商材?を売り出された方がいてTwitterなどで話題になりましたので、考えさせられたと言うか自分がそれをみて考えたことを整理してみたという話。

 

端的にそれは薬であることを期待されているのでは?という話。

そしてそれなのに毒にみえるというか。

薬か毒かわかりにくいものが売られること・・

というよりは情報というものの価値と価格についての考えをまとめる話。

 

以下の記事も踏まえるとより通りがいいかもしれない。

というかこれを書いてた中でそれに加えて思った話ですね。

 

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

自分は情報商材が高いことを不思議に思ってました。

一般的な話でnoteとかに高い価格のものがあるじゃないですか?

本が1500円くらいだったりするところおそらくそれより圧倒的に少ないボリュームで5000円とか1万円とか3万円とか。

高く売り出されることは不思議じゃないですし、売れるかは別として売るほうは高く売りたいだろうしわかるのですが、不思議に思ってたのは買う方です。

 わりと買う方がいらっしゃるようですので。

自分はなんで本を買わずにそれを買う人がいるんだろう・・?って思ってたんですよね。

そういう疑問もあってTwitterタイムラインで情報商材の話題が出てきてその中で考えてみたら、おそらくこうなんじゃないか?という結論まで至りました。

 

それは書籍でなく薬なのだ。

 

それは薬として期待されてるから書籍より高額な値段をついていても買う人がいる。

 

自分の思考は以下です。

自分としては書籍よりマシか?という点においてはだいたいNOだよねとは思うところですが、特に投資ならばそれが例えば年に10万の利益を生むのであるなら5万でもというか30万とかでも全然買うのはありだとは考えています。

5万なら半年で回収だし、30万でも3年で回収できるしその後も利益が出るかもしれない。
投資でそれだけの成果だすのどれだけ大変だと思ってるの?その効果が期待できるなら買えばいいじゃないって話。それが暴利であろうと買えば利益の出る情報は買えばいいじゃない?という話です。

つまりそれに実際効果が出るのであるなら高い価格もかなり正当化されるとは考えています。

このあたりは投資教育の前編後編で繰り返したところですね。

  

しかしこの問題で特にたちが悪い部分は投資ではそれがほんとに利益になるか?あるいは利益になったときにそのせいであるかが分かりづらいというかむしろ逆効果である場合も多いところでしょう。

 

だから大事なのはその情報の中身というか本当に役立つのか?というかその価値なんだけど、この価値があらゆる意味で不安定で煮ても焼いても役に立たないものもあるし、ある人は役に立ってもある人には毒とか下手したら同じ人もタイミングで毒にも薬にもなるというややこしさがありそうだ。
その中である人にとっては毒に見えるものを(実際毒かも)高値でうるならそりゃ批判したくもなるでしょう。

 

ただこれは書籍も一緒なはずです。
賢明なる投資家は名著で疑いないけど、この本を読んで損をするひと、読まないほうがマシだったという人ももちろん出てくる。

 

端的にはそれが毒か薬かわからないこと・・結果が出た後ですら。・・が様々な問題の原因なのではないか?
薬なら高くてもいいけど、毒に高いお金払う、払わせるならばまあ荒れるでしょう。

 

売る方の立場で考えると端的にはそれが毒ではなく薬であることを示せばいいんだけど、まあ難しいでしょうね。
賢明なる投資家ですらある人にとっては毒なのですから。

 

以上な感じでTwitterで思考を進めていたのですがここでリプが入りまして。

 

「1000円なら書籍(自分で判断する情報)の価格だけど、1万円とか薬の値段。

薬かどうかはわかんないのに、薬事法違反では?ってイメージです批判する人がいるのだろうと。」みたいなニュアンスのリプライですね。

 

ここで自分は膝を打ったわけわけです。

ああ、なるほど。

高い情報商材は薬であることを求められているのか!と。

自分の疑問の答えが見つかった気がしたわけです。

 

書籍より高い情報商材には薬で(なにかの問題を解決すること)あることが求められているのか!って。

それは何かを解決する薬だから本より高い値段を払っても良いと考える人がいる。

つまりそれはお薬としての効能効果、なんらかの問題解決ができると期待するがゆえにお値段は高くても買われるのです。

その値段の違いは只の知識ではなくなにかの実益という効果(への期待)をのせているという違いだったわけです。

自分はそう思って納得したわけです。

 

そして同時にこの情報商材を只の知識ではなく何かを解決するような薬としての値段で売ることの・・特に経済的な分野、特に投資などで売ることの難しさ・・もわかった気がしたのです。

 

投資なら絶対の薬などないからです

投資とか経済とか人生とか、絶対の薬とかないんですよ?

支出を絞って無駄遣いを避けろとか、仕事道具は一番いいものを買えとか、会社辞めてフリーランスになれとか・・

そういうのなんでも。

 

投資ならばこういう考え方でこの銘柄買えとか、株価が安くなったときに買えとか上がりだしたときに買えとか、損切りしろとか損切りするなとか・・

そういうのなんでも。

 

それらはどれのどこをとっても絶対の薬になんかならないんです。

ある人にとっては役に立ち実際に利益を増やすかもしれないと同時にある人にとっては知らないほうがよかった・・つまり利益を減らしたり損になったりするのです。

 

それは「賢明なる投資家」ほどの名著であっても同じです。これを読んで役に立ったとする人が多いけれど、まったく役に立たないむしろ読まないほうが良かったという人も多いのです。

「賢明なる投資家」ですら、絶対の薬なんかにならないのです。

 

故にそれが、売る人や買った一部の人にとっては薬だったつまり効果があったと思うものかもしれなくても、必ずそれが薬にならないむしろ毒になる人もそのように見える人も居ます。絶対にそのような人は残ります。

 

毒を売ってるように見える人は必ず残る。

 

それが実際に薬か毒か? という疑問も意味を成さないほどある情報とはある人にとっては薬となる一方で、ある人にとっては毒になるのです。(多くの人にとって毒なものも多いだろうね。)

そしてそれを毒とみなす・・あるいは実際に毒になる人が消えることはないのです。

情報の価値というのは特に、投資や経済のそれはそういう形をしているのではないかと思うわけです。

 

情報の価値は複雑怪奇なり。 

それはある人には薬となり大いに役立つ一方で、ある人ではそれに触れても役に立たないむしろ知るとより悪い結果になります。

それがどんなに素晴らしいものでも、他の人では素晴らしく役立つものであってもつまりは良薬であっても、他の人にはあなたには毒になるものかもしれないわけです。

逆にあなたが見るにどんなに毒に見えることでもある人にはそれがとても役立つ薬であるかもしれないわけです。

 

情報の価値とはそのような形をしているのではないでしょうか。

 

はい、もちろん多くに人にとって毒になる情報ってのもあると思います。

すべての人に役立つ薬になる情報ってのはないように思える中で不公平な気もしますがそういう形をしているなら仕方ないですね。

 

その中で僕らはもう少し情報の価値を考える姿勢が必要とされるのではないか?とか思うわけです。

目についたそれを安直に薬だ毒だと断ずることは危険も孕みそうでもうすこし慎重にその価値を図る行為が必要というか、そういうことを考えるとより賢くラクに生きれる気がしてます。

いかがでしょうか?

 

情報化社会と言われて久しいです。

それは形のなく手に取れるような価値は見出し難いけど、それ故に触る人によっていろんな価値・・薬になったり毒になったり。

その価値のあり方・・そしてそれの価格についてはもう一段踏み込んで考えてみることは有益だと思うんですよね。

ホントは毒になるのを薬になるように扱えたり、毒を見抜いて服毒を避けられるとかね。あるいは、思いもせず毒を撒き散らして恨みを買うとかも未然に防げるかも。

というよりそれが毒か薬かを見分けられるようになることは役に立つでしょう。

自分にとってもあるし他の人にとってもという視点もあったほうがいいんじゃないかな?

 

情報化社会と言われて久しいです。

ならばもっと僕らは情報をうまく扱えるべきだと思うわけです。

そのために複雑な複雑な情報の価値と価格のあり方をもう少し考えてみることは大事なのかな?とか思うわけです。

 

 

情報の価値と価格のあり方は複雑怪奇です。

その中であなたは情報の・・

価格と価値をどう考えますか? 

 

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