投資で上手いとか下手とか聞くことはよくあります。
自分はその中で投資で上手いとか聞くと違和感が走る感じなんですよね。
なぜ自分は違和感を感じるのか?
それをまとめてみるという話。
投資は必ずしも上手い下手で区切るのは良くないかもしれないよね?って話。
それは言い換えると何なのでしょう?
たぶん投資で上手いとは結果がいい・・つまりは投資でいい成績を上げることの多いことを指してるのだと思います。
端的には投資で勝つこと。
なぜ勝てるか?それは投資が上手いからだ。
みたいな発想です。
しかし結果がいいことを形容するのは上手いだけではありません。
もちろん人によってブレはあると思いますが、例えば陸上100Mで結果がいい人。
100Mの世界記録はウサイン・ボルトだそうですね。
ウサイン・ボルトは陸上100Mが上手い。
だから100Mの世界記録を出した。
という表現には違和感を感じる人も多いと思うんです。それがしっくり来る人もいるのも否定しません。それがブレです。
そのブレがあるにしろ例えば以下のものは以下のように表現すると自分はしっくり来ますね。
陸上100M:速い
砲丸投げ:・・強いかな?
ボクシング・麻雀:強い
算数のテスト・学術論文:頭がいい・記憶力がある
プログラム・写真・ゲーム・釣り:上手い
もちろんこれらはかもめのイメージですが、一言では難しいものもありますね。
例えば・・
営業マンの営業成績:・・・・?
これは自分には一言でいい難いです。上手いかもしれない。頭がいいかもしれない。努力家かもね。怠け者かも。強いかも・・。
と、まあ一言でイメージできないのです。
それと同じ様に一言でイメージできないものの一つが・・
投資なのです。
投資が上手いから投資で勝っている。
これに自分は違和感を感じるのです。
そういう人もいるでしょう。しかしそうでない人もたくさんいるよね?
むしろ投資が上手く投資で勝ってる人って少数じゃね?って思ったりするんです。
投資でいい成績を多く出す人ねぇってそれを一言で表現するのは難しいというか投資の勝ちの姿は複雑でいろいろでそれこそいろんな勝ち方があると思うのです。
上手から勝つと形容するに相応しいケースもあるだろうけど、それこそ下手で勝つ人もいるんじゃね?って思えるほどややこしい形してて。
投資だと下手がゆえに勝ってる人結構いると思うのです。
上手いを志向してあれこれやろうとした人より下手を自認し上手くやろうとすることを放棄した結果前者の人より成績が良くなるとか結構あると思います。
でもこのとき後者の人を上手いと形容するのは違和感がありませんか?
具体例ないと分かりづらいですかね?
例えば桐谷さんは優待オンリーで買いの指針も利回りくらいしかなさそうだし、失敗もさんざんしてて上手いと言うより下手と形容するに相応しい気がします。
しかし桐谷さんは投資で結果を残してます。
これは名前を伏せますけど某著名バリュー投資家さんも、どちらかといえば調査して我慢勝負で大きな成果を出してるように思えますがこれも上手いと表現するにはふさわしくない、自分的には強いというか我慢強い信念が強いという感じのほうがしっくりしますね。
投資にはいろんな勝ち方があって、必ずしも上手いで勝つわけではない。
むしろ上手いで勝つ人は少数派だ。みたいなイメージがあります。
自分はだから違和感があるのだと思います。
投資が上手いという表現は。
だって上手いで勝ってる人少ないもん。
むしろ下手で勝ってる人も多いと思うくらい。
それは上手いから勝つともいい難い。
上手いから結果が出るともいい難い。
もしかしたら下手な方がいいかもしれない。
だから自分は違和感を感じるのです。
上手い投資下手な投資
それは別に勝ち負けを分けるわけではないのです。
もちろん上手いから投資で勝つ人もいるでしょう。
しかし同時に下手だから勝つ人もいる。
頭いいから勝つ人もいる。
頭良くないから勝つ人もいる。
我慢強いから勝つ人もいる。
我慢強くないから勝つ人もいる。
補足したほうがいい?例えばなら・・
自分は下手だと思ってインデックス積立するのは決して上手いわけじゃないと思うけど投資で勝てるしなんなら水無瀬さんみたいに本だすくらいの実績にもなるし
下手に難しいことを理解しようとしないでわかりやすいと思って買った馴染みの会社が大きく伸びることだってあるし
暴落に耐えて我慢して成果を出す人と、我慢できずにさっさと損切りすることで成果を出す人もいるわけです。
上手いからと言って下手だからといって
それが投資での勝ち負けを分けるわけではないのです。
と、思うので投資が上手いには違和感を感じるわけです。
もっとも自分は上手い投資というのが実はピンときてないのですけどね。それがどういうことか今ひとつわからないですね。
これは自分の話。
自分はそのように思うので必ずしも投資を上手くなろうという志向性ではないですね。
だから上手いから投資で勝てるにつながらないから。
投資での勝ちは上手いから勝つという形よりもっと複雑な形をしてるように思えるから。
そしていると思うのです。
投資を上手下手でイメージし上手くあろうとするアプローチが向いてない人が。
中には徹底的に向いてない人もいるかもね。
上手くあろうとし努力するほど求める成果から離れていくみたいになって人。
なにか知らないですよ?人によってブレがありますからね。
もっと上手くかもしれない。
知識をもっとつけるかもしれない。
もっと我慢しなきゃかもしれない。
もっと速く逃げなきゃかもしれない。
目指していたそれが過ちかもしれない・・・
そこに疑問が放たれるところが自分の今回の記事の狙いです。
上手いことを目指すというのが間違ってるがゆえに負けてる人がいるかもしれない。
奇論でもなく我慢弱いことを志向すべきすべき人もいるかもね。
そんなふうに・・
自分が何を志向しているのか?
それは間違いだったりしないのか?
本当は何を志向するべきなのか?
とかは疑問を投げかけ考えてもいいかもですね。
かつての偉い人はいいました。
敵を知り己を知れば百戦殆うからず。
このことは己を知るに当たることだと思うんですよね。
自分の目指すべき方向性が正しいか?に疑問も投げかけ自分を探る態度。
それも大切だよねって思うところで、その中で自分は投資は別に上手くならなくてもいいよね?って思っているわけです。
自分が何を志向しているのか?
それは間違いだったりしないのか?
本当は何を志向するべきなのか?
それを考えてもよくないですか?