
投資をしてればあると思うんですよね
判断に迷うとき。
そんなときに自分がある意味指針にしたいというかしたというか。
そんな話。
DOを考えるよりはBEを指針にするという話。
これの続きあたり。
投資なら絶対あると思うのです。
株価が下がったとき、上がったとき。
あるいは個別でもインデックスあたりでも良くない決算が出た景気の悪いニュースでも来た。
そのときに迷うはずなんですよね?
端的には買うか、売るか?持ってるか?手放すか?
もっと言うなら量とかもありますね。
自分も最近これに迷うというか判断難しいのが出てきて。
それに対してどうするか?とかとか。
例えばストーリーとか持ってる理由とか資金管理上の理由とかいろいろありますが、それらも常にすっきり判断できるわけではないですよね?
例えばあまりいいとは言えないQ決算が出てきてもそこでそれ相応に株安してるとか。
成長企業を持つというストーリーと言ったって、Qレベルで芳しくないものが出てきたときにそれがすなわち長期的な成長を否定するわけでもなくまだ続くかもしれないし、でもそれが崩れる始まりかもしれない・・と、端的にストーリーが崩れたかどうか?という判断だってかなり難しいと言うかブレというか捉え方によって判断が違い迷う余地もあるわけです。
そのときDOで考えるのは難しいものです。
DOとは、どうするか?どうなるか?とかです。
だから上でいったように
端的には買うか、売るか?持ってるか?手放すか?
あと量もね。
でもこれは迷うようなときのアプローチとしてはかなり不確かなものに思えるのです。
今後の景気も業績も株高株安も結局わかんないから。
わかんないんですよ。それは。
ストーリーとか持つ理由を定めてたってそれが微妙なバランスの上にくるとなかなか判断が難しい場合があるというか、特にファンダの個別株投資などはいろんな要因が絡む以上そんな微妙なバランスの上に判断するのを要求される事も多いと思うんですよね。
実際自分もある件で判断に迷いました。
そして考えて自分はDOを基準にして判断するよりBEで判断しようと思った結果、DOが決定したわけです。
・・・何言ってるかわからないかもだけどそうなんです。
DOに対してBEとかなにか?
DOはどうなるか?どうするかです?
それに対してBEとは自分がどうなりたいか?あるいは自分はどう在りたいか?です。
自分はその場では判断が難しいと感じるその例題は、まずは自分が在りたいと思うセルフイメージを思い出し、そうある人がその例題にどう対処するだろう・・?と考えた上でこうだよね?と思えたDOを選択するという判断を下しました。
つまり在りたいBEの姿から導かれるDOを選ぶ。
自分はそうしたわけです。
自分には在りたいと思うBEがありました。
これでいう投資家です。
自分ならこう在りたいという投資家のイメージがあります。
自分は投資家になりたい。その投資家のイメージに従い判断を下しました。
これあたりも結構ある。
ある意味、DOでどうするか迷ったため、ならば在りたいBEを取りにいったと言えます。
だからこのDOの判断での結果はいいんです。自分はこの判断で傷を広げるかもしれない。そうじゃないかもしれない。
しかしいいんです。だから景気も業績も株価も・・未来はわからないからです。
ならば自分は在りたいBEに近づく。
そういう発想なんだ。
そしてBEになる判断をするには・・
在りたいというBEがないとできないだろうね。
そしてありたいBEもなくDOを重ねるのってどうなのでしょう?
DOを重ねるうちになりたいBEも見えるかもしれないけどね。
やっぱりどうせなら在りたいBEがあるのがいいよね?
あるなら、その果てになにがあるかはわからんけどそれに近づくことは出来るんじゃないかな?
あなはそんな在りたいなりたいというBEの姿がありますか?
そして長期的にはBEが結果をつくる。
自分はそう思うと言うか、ロバキヨが言ってた。
まあ実際に長期的に成果を出している人は、まずBEも形になってるようにも見えるからね。たぶんロバキヨもそう見えたんだろうし・・
きっと長期の結果を作るのはDOの積み重ねじゃなくBEの姿なんだろう。 というかBEの姿が一貫したDOの積み重ねを作る。
だからいんです。
その一つの判断がもっと悪い結果になろうとも。というかそんなの結局未来はわからん。
在りたいBEになれるか?も、なったら結果が出るとも保証もされないけど、自分は長期のBEが結果をつくると信じて在りたいBEに近づく。
特に迷うようなときはそんな判断を続けていこうと思う次第です。
あなたは在りたいBEがありますか?
そしてそのBEは今目の前にある問題をどう判断しますか?