脳は10%しか使われてないといいます。
まあ嘘みたいですけど。
でも、脳ってすごい器官でそれを活用できるかがいろいろ分けそうだよねって考えてます。
もっといえば投資をやる人なんかがよく言う”考えている”という意味。
それの本体はコレなのではないか?という話。
つまりは魔法の質問の話。
考えるとはなんでしょう?
それを定義・・・はこの記事書いてて初めて気にしましたが調べると以下のようなことを書いてる記事が見つかりました。
「思考(しこう、(英: thinking)は、考えや思いを巡らせる行動であり、結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において、筋道や方法など模索する精神の活動である。広義には人間が持つ知的作用を総称する言葉、狭義では概念・判断・推理を行うことを指す。」
だ、そうです。BY 見知らぬ編集者
他にもいろいろ考察などまとめている人も居るようだから興味あるのがあったら読んでみるといいかもしれない。
その中で自分は他人の思考というか他人がどのように考えているか?というのはわからないよ?
だって見えないしね。
しかし自分を振り返ると、考えることの定義というか考えるという行為は以下のような形をしていると思うのです。
自問自答の連続。
自分は考えるとは自問自答の連続に思えるわけです。
それは問いと答えの連続。セルフ質疑応答の連続。
問いなんだから疑問形じゃないきゃいけないと思うわけです。
だから「お金持ちになりたい」と思うことは考えてるには当たりません。
それを考えるに昇華するためには、まず「お金持ちになるためにはどうすればいい?」って問いが発せられないといけないし、それに「投資をすればいいのかな?」とか「資格を取るのがいいのかな?」とか答えを出して一つが完結です。
いいですか?問いです。
問いは答えが不確定です。答えが確定しているのは問いではありません。
「お金持ちになりたい」とか「お金持ちになれない」「投資すればお金持ちになれる」とかは厳密には考えると言えないものです。
結論が決まってることを思うことは考えるに値しません。
問いである以上その答えは未確定で揺らぎがなければいけません。
逆に言えばゆらぎを受け入れる姿勢があることが考えるということの一つの形です。
結論が決まってない問いを自らに発し、それを10%以上使ってるかどうかわからないけど脳を活用して揺らぐ答えを出すという行為の連続・・それが考えるという姿なのではないでしょうか?
自分にはそのように思えるわけです。
もちろん人によってその考えるの質は違うでしょう
思考力というやつだと思います。
もちろん人によって差が大きいでしょう。
この思考力とはなにか?いうのもいろんな解釈があるようです。例えば合理的に考えられる力とか見たかも。
しかしこの思考力に関しても上記に従いその力の差もどういうものか考えられそうです。
すなわち自問する問いの質とそれに対する回答の質が高いこと。
良い質問が投げられる。それに良い答えが出せる。
それが思考力、考える力です。
その延長でこの思考力を磨くのはどうすれば?というアプローチも見えてきそうです。
つまりは良い質問を投げられるようにしろ。良い答えを出せるようにしろ。ってことですね。
その中でいい質問、良い答えとは例えば合理的なものだよなんて解釈はできそうですね。
で、さて。その思考力を高めるにはどうすればいいんだろう?
いい質問をして、いい答えを出せるようになるにはどうすればいい?とかわりと雲をつかむような話かもしれないし。いいがなにかも実はわからないし。まあ例えば合理的とかあるけどね。
これはたくさん繰り返すしかないと思うんですよね。
もしかしたら最初からいい質問をしていい答えを出せるいわばセンスの持ち主はいるかも知れないね。
でも、いわゆる世の中で思考力がありそうな方はきっと人よりたくさん自問自答したと思うですよね。つまりはより多く考えた。
人よりたくさん考えたからその人は人より高い思考力を手に入れた。
きっとそうだと思うんです。
ならば繰り返すしかないじゃない。
はてなき自問自答の繰り返し。
しんどいかもしれないけど、きっと益もあるんじゃないかな。
投資ならいろんな凄腕が考えろと口を酸っぱくして言うくらいだからたぶん投資で結果が出るとかあるんじゃないかな。
実は自分はこれをかなり意識してます。
如何に質問するかを。
このブログも結構顕著にでてるのではないか?
この「投資で考えたこと」の記事をつらつらみてみると最初に画像のアイキャッチの中に文章入ってると思うんだけど。
これは要旨を最初にまとめたほうが興味ない文章読むことないよねとか思ってやってるところもあったりしますが、それ以上に・・
ほとんど疑問文で入ってるはずなんです。
もちろんこれは意識して疑問文にしてます。今回もだね。
つまりは、自分に読者に問いかける・・質問することを狙ってのこと。
自分や読者に自問自答させる事・・つまりは考えさせる事を意識してのことです。
まあ自問自答の連続が思考だというのはこの記事を書く際に考えた自分の新たな定義ですが、質問を投げかけ考えさせる機会にするというのはこのブログではずっと意識してそうなるように書いているところはあります。
ブログ書くなら(読むなら)どうせなら考える機会にして脳みそ使いたいからね。
ここで脳みそに帰ってるわけです
この記事では以下のように言ってます。
脳は、質問されると自動的に答えを探してしまう仕組みになっています。
科学的裏付けとかまではわからなく実際ホントに正しいかはわかりませんが、自分の実感としてはこの記事のとおりだなと感じるところです。
そしてこの質問して答えまでは時差があるということです。
そのときは、わかんねえなあ。とかになっても時間が経ってあるとき、ああこれはあの答えになるなとか起きたりします。答えに巡り合ったときに気づいたりします。
そして、脳はこの質問を何個でも預かれるという実感があります。
すぐに答えは出せなくてもわかるときが来たら教えてくるというか思い浮かぶ。
そんな質問を長期間にたくさん探してくれる。
脳が処理能力のどれだけ使ってるかは知らないけど、そのようなもんという実感があります。
ならばたくさん質問しとけばいいじゃない。魔法の質問を。
魔法の質問というか、魔法はなんというかあなたの頭の中にある脳みそに宿るって感じだけど。
たくさん質問しとけばいい。
やっぱり結論はそうなります。
魔法の質問というか魔法の脳みそにたくさん質問しといて酷使するのがいいんじゃないかな。
そうすればきっとあなたの思考力はあがるし、時々は困ったことを解決する答えが見つかったりしたりしてそれこそ魔法が起こるかもしれない。
そんなこともちょっと思いつつ、自分は今後もクエスチョンと言うか問いかけというか。
それをブログでもその他でも自分に読者に投げかけ続けようと思ったりするわけです。
あなたはどんな問いかけをするなら魔法が起きると思いますか?