大河の一滴

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投資のハレとケ

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ハレとケなるものがあります。

ja.wikipedia.org

ハレとケは民俗学文化人類学用語となりそうで、端的にはハレは晴れ舞台となりそうでお祭りとかイベントの非日常で、ケは晴れ舞台でもない普段の日常生活くらいのニュアンスで取ればそう間違いでもないでしょう。

 

そんなハレとケ。

それを投資に当てはめるとき投資のハレとケとはどんなものか?

そんなことを考えてみる話。

 

なぜハレとケがあるのでしょう?

人類学者でない自分が考えても憶測やでまかせになるかもしれないけど、ハレをずっと続けるのは疲れるよね?

一年中祭りなんてできないし、物事には休憩もメリハリも必要です。

そういったことから、一年にいくつかあるハレ以外は日常で準備をして力を貯めるみたいな知恵を蓄積してきた結果そこにはハレとケができてきたんだと思います。

 

ケの日常で準備したり力を蓄え、ハレの非日常の晴れ舞台で祭りを行う。

 

だと思うんですよね。

で、そのとき投資もそのように振る舞えると思うんだ。

投資でハレとケとかなんでしょう?

ハレはなんですかね?

たぶんバブルとかボラティリティが高いときなのかなあって思います。

異論はあるかもしれない。もしかしたら勉強会とかオフ会に出ることとか本を書くことになってその発売日とかかもしれないね。あるいは決算日?決算日に会社側ならいざしらず投資家側がなんのまつりをするのか?ってのはわからないけど。株主総会なら少しハレかもね?

 

でもまあ、大体においては投資でハレという非日常というならボラティリティというか、よくも悪くも資産が大きく減ったり増えたりするときとするのがよさそうだと思うところです。

ポイントは、これは市場のボラティリティではなくてきっとその人の資産のボラティリティだと思うのです。

 

ケはその反対。日常。言うほどボラティリティのないハレでない非日常ではない日常・・というしかないですね。

きっとあまり資産も動かず、何かを調査したり考えたり勉強したりするのに向いてそうですね。

 

投資においてもそのようにハレとケを分けることができると思うんですよね。

 

となると、そのハレとケはコントロールできそうだ。

ハレとケを資産のボラティリティによってそれが変わるとみなすとき、ハレとケはコントロールできるものだとなりそうです。

なぜならボラティリティはある程度コントロールすることもできそうだからです。

レバレッジをかけたりボラティリティが高いものにどれだけ突っ込むとかで。

ていうかポジション持たなきゃボラティリティは実質ゼロ(インフレ率はあるけど)だし。 

 

故にレバレッジをかけたり、ボラティリティの高いものに集中するなど取るリスクを大きくするとケからハレになる。

日常から非日常になる。

逆なら非日常を日常に戻すこともできる。

 

投資においてハレとケ、日常非日常をどう選択するかはかなり制御・・コントロールができそうだ。

というか、そのハレもケも相当にあなたの選択が故にそれになってると言えます。

 

あなたはハレを選んでいるのでしょうか?

それともケを選んでるのでしょうか?

 あなたの日常は常に非日常になってるとかありませんよね?

 

しかし時々毎日ハレてる方もいるように思えます。

大きくレバレッジをかけたり、たっかいボラティリティを持つものに目一杯集中したり。

そして俺は毎日戦ってるぜみたいな人。いそうですね。

毎日戦場みたいなのかっこいいかもしれないけど、それを毎日ずっと続けるとか御冗談を。とか思いませんか?

 

というより、その戦場、ハレ、非日常を戦う準備、そのために力を貯めるのはいつになるのでしょうか?

それはケという日常なのではないでしょうか?

 

ハレもたまにはあるのはいいけど、毎日ハレとか毎日戦場とかたぶん続かない。よって長く続けることはケに落とし込んだり、休んで力をためる時間としてケの日常を用意しないといけないと思うんです。

もっというなら毎日ハレなんかしてると、あなたはハレにすり減らされいずれ力尽きるでしょう。

端的に言えばお金を減らすと言ってます。

 

日本人は生き抜く知恵としてハレとケをわけて来ました。

投資家もその知恵に習うべきではないでしょうか。

 

自分はケこそ大切だと思うんです。

毎日ハレてるなら、それが非日常と感じてるならそれをケまで落とすべきです。

毎日の多くはケとして日常として穏やかに過ごせる水準まで制御すべきです。

 

そしてそのケで力を蓄え、準備するのです。

いずれくるハレの日のために。

うまいこと言いたいわけじゃないけど、そうするならそのいずれ来るハレの日は晴れの日、晴れ舞台となるんじゃないかな?

 

どこから日常とできるかは人次第だと思いますが、そんな多くの人はハレ・・つまり高ボラティリティの中、休んだり準備をしたりや力を貯めることは難しいんじゃないかな?できる人もいるだろうけどね。

あなたが高ボラティリティの処理にアップアップしてる一方で、誰かは静かなケの中で粛々と準備をして力をつけているわけです。

 

え?力を蓄え準備することって?

それは・・例えば調査したり、本を読んだり、考えたり、アウトプットもいいんじゃないかな?休んで他のことをするのでも。自分ならこのブログとかはそうだね。

それをケとする、それを日常とする。習慣とする。

そういうことだと思うな。

 

それが心穏やかに進められるように多くの毎日はケという日常となりそれらを進められるようにするべきだと思いませんか?

 というより自分はケの質こそが長期の投資成績で差を作るのではないか?と考えるところです。

毎日戦場なんて毎日ハレにしてる人は穏やかなケの日常で力を蓄えてきた人にいずれ置いてかれるのではないでしょうか?

 

自分はそのように思うので普段の日常はケとし穏やかにいながらも、力をため準備する期間としいずれ来るハレの日に花咲かすのを目指したいなと思うのです。

すくなくとも戦場になるようなハレの日なんて滅多に来なくていいよとか思います。

まあケの日常でも利益が積み上がることがより望ましいんですけどね。

 

 

あなたの投資でハレとケはどんなときですか?

あなたのケは力を貯めるものですか?

 

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これがわりと近いこと言ってる。

kamomenotoushi.hatenablog.com