大河の一滴

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株式投資で期待値を用いることへの疑義の話

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自分の感覚では期待値という言葉が流行ってるような気がするのです。 

投資に儲かるとできる根拠や狙いを用意するのはとても大切なんだけど、こと株式投資・・の特にファンダメンタルズ方面で自分はこの言葉を用いることに違和感を感じていて、同時にこの言葉はかなり市民権を得ているようでひとりそれは違うと思うんだけどなーとか悶々としてたりします。

そんな感じで少々鬱憤も溜まってるのでそれを吐露してみる話。

ただしく自分は言いたいだけみたいな記事ですが、自分が株市投資と期待値を組み合わせることについての疑義をあーだこーだと話す記事。

 

自分がなぜ期待値という言葉を用いることに疑義を感じるのか?

それを突き詰めれば以下の自分の価値観に抵触するからです。

 

儲からないものを儲かると思うこと、できないことをできると思うことは投資において極めて危険である。

 

 投資で何が危険かと思うのかといえばいろいろありますが、特にそう思うことの一つは、儲からないものを儲かると思うことできないことをできると思うことです。
儲からないものを儲かると思ったとき投資なら人は簡単に死にます。儲かるものを儲からないと思うより遥かに弊害が高いと言えます。

それは儲かると思ったとき、人は簡単により大きなリスクを取ることになりそれがもし誤りであった場合、その時その人は大きなダメージを受け・・場合によっては死ぬでしょう。 

 

そして、株式投資と期待値のありかたを考えていくと・・

それを期待値プラスとする行為がこの儲からないものを儲かると誤認する行為となるかもしれないと思うのです。

 

期待値とはなんでしょうか?

以前のエントリーでもやったけどね。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

繰り返しとなりますが、

期待値は「起こりうる値の平均値」で平均です。

というか統計で期待値は統計用語です。

統計用語ということは統計を使うときに始めて意味をもつ言葉であって統計でないものを言う時には齟齬がでるはずです。

 

というか、期待値の算出式ありますよね?

以下でも見てください。

w3e.kanazawa-it.ac.jp

それが期待値なら統計の体をなしてるはずです。 

勝率は計算できるはずだし、ペイオフレシオなども計算できます。

バルサラの破産確率で参照して破産の確率がどれだけあるのかも確認できるものであるはずです。

なによりプロフィットファクターが算出されてあるはずです。このプロフィットファクターがほぼ期待値です。再現する同条件でこのプロフィットファクターが1以上であることがすなわち期待値プラスであるということになります。

これらは再現する条件を狙うトレーダーでは当たり前のように算出しています。もちろん条件・・売買ルールごとにです。その条件を満たすものは原則として誰でも繰り返すことができるものです。

これらが算出できないものならまずはそれは統計で言う期待値ではないとは断言できるものでしょう。

 

これらを踏まえて自分は聞きたいのです。

以下の条件は期待値はどうですか?プラスですか?

 

なんでもいいけど、ある銘柄があってそれを買ったとして5%下がったら損切り、10%上がったら利確する。なので繰り返せば増えることになり期待値プラスだ。

 

 

・・

 

 

・・・

 

これ、期待値プラスかどうかわかりませんよね?

なぜなら、プラスになる確率とマイナスになる確率がわからないから。

プラスになる確率とマイナスになる確率がわからないと期待値って出せないんですよ?

というより期待値で肝はこの確率でしょう。

いいですか?確率が肝です。

 

で、

あなたが期待値プラスだというそれ。

そのプラスになる確率マイナスになる確率はそれぞれどれくらいなの?

そして

それをどうやって算出したの?

 

多くの人は答えられないのではないかと思う。

で、あるならば上の5%損切、10%利確は期待値プラスだと主張する行為と本質的には変わらないです。それ。

 

勝率がわからないならそれが期待値プラスであるかはわからない。

つまりそれが儲かるかはわからない。

それを儲かると思ってるならそれは儲からないものを儲かるものと誤認している恐れがある。

 

それが実例を回数こなして多数のサンプルを用意して統計の体を整え確率がわかるならいいです。そうならばそれは間違いなく期待値です。参りましたごめんなさいですが、おそらく期待値を口にする人の大半はこれをクリアしてないでしょう。

 

回数を確認してない事例、あるいは再現しないものに期待値をあてはめてしまってる。

 

そうなのではないでしょうか?

 

この行為は二重で危険です。

 再現しないものは確率を測れないはずでほんとに期待値プラスかわからないものを儲かるとしている恐れがあるのは今まで言ったとおりで

もうひとつは繰り返せないものを繰り返すことが前提にある期待値を当てはめる行為です。再現しないことなら繰り返せないので期待値プラスとかそもそも意味ないから。

 

勝手にそれで死ぬのはいいんです。良くないけど。

しかしたちが悪いのはこれを勧めるという行為も結構されてそうなところです。

そうしたら出てくるかもしれませんね。

何か知らないけど確率を測れないものをなんとか測ろうとして、実際測れないはずだからそれは出るはずなくて、その中で結局わからないけどこれは期待値プラスだと言って、儲からないものに突っ込んで死ぬ人。

上の利確10%損切5%を期待値プラスだとすることと同義の確率検証されてないなんとなく似たような事例を半信半疑で繰り返した結果蓋を開ければ勝率悪くて資産を無為に減らす人もでるかもね。

 

投資は期待値だなんて言う人多いからそのようにやろうとする人多いんじゃないかな。

そんな被害が広がってないといいですね。ってわりと思ってます。

ほんとに皮肉じゃなくて。すこし皮肉でもあるけど。

 

だってそれ、期待値測れないはずだもの。だから再現しないがゆえに確率が測れないから。会社ごとに条件変えてるのは再現と言いません。それらは似てるかもしれないけど繰り返すたびに調査検証考察が新たに必要な別の繰り返せない事例です。

 

だからこれで死ぬならその理由はだから儲かるかわかんないものを儲かるものと誤認したからだと思います。

それなら上でいったとおり儲かるものを儲からないと誤認してるほうが遥かにマシです。 

そしてそれが繰り返せないことだとしてるなら、繰り返せないことなので期待値プラスかわからないので慎重にリスクを取るべきだと考えてたら避けられる死なのかもしれないのです。

 

しかし自分はそれは儲からないことだとは言ってないです。

ここは大事なので強調するけど。

期待値を口にする人は結構実際儲かってる人が多い印象です。

 

自分はそれを儲からないことだと言ってるわけでも、その出してきた実績はまぐれだとも言ってないです。

 

自分はそこに優位性はあるだろうな。とは思ってます。

おそらく誰かは知らないけど期待値と言って実績を積み上げてる方は優位性を積んでるとは思ってます。

自分はそれを期待値と称することに疑義があるだけです。

正しく言葉だけの問題です。しかし放置すれば儲からないものを儲かると誤認する恐れのある・・と思ってますが。

 

そうです。

自分はそれを優位性と呼ぶのが妥当かな?とか思ってます。

優位性で気に入らないなら、有利性とか投資根拠とか投資理由とか合理的狙いとかでも。野生の勘でも期待度でもいいですよ。というか特にファンダの言う人の期待値なんて期待値というよりは遥かに期待度に近いんじゃないかな

 

投資は優位性を確保して行いましょう。

勝ってる人は優位性を用意して有利に投資をしているので勝っている。

その優位性って何?

例えばその一つは保有資産で価値を測りそれより安く買って妥当な値段がつくまでじっくり待ち続けることだよ。

他の例なら投資家心理を株価チャートやPERなどから測りある変化が及ぼすインパクトを考えそれが投資家心理を上回るだろうならそのタイミングで買うことだよ。

 

で、いいじゃん。って思ってます。

優位性とか有利は、繰り返すとか確実とか勝利とかのニュアンスが含まれなさそうなのがいい。

勝てるかわからないものを確勝と誤認したり、繰り返せないものを繰り返せると誤認することが少なさそうなのがいい。

 

あとはちょっと邪推ですね

自分は期待値という概念には繰り返すというニュアンスが含まれていると感じてます。

それを繰り返せば(確実に)儲かるみたいなイメージ。

 以下は自分の邪推です。そのような人などきっと居ないでしょう。

 

自分は高い優位性と再現性は両立し得ないと考えてます。

再現することに高い優位性が備わるならそれは周知され人が殺到し高い優位性を消すだろうからです。

そこに高い優位性があるのは再現ではない初めて出てきている、端的には大きく儲かるかどうかは容易にわからないことだからこそそれは大きく儲かるというか。

すなわち再現性がなく簡単にわかるようなものでないものだからこそそれは高い優勢性も持ち、同時にそれに大きなリスクを取れることが突出した大きな利益の源泉であるという世界観です。

 

インデックス程度であるならいくらでも再現性と優位性を兼ね備えるものがあるでしょう。

しかしそのインデックスより遥かに傑出した成果を出すものが期待値を説く。

それは両立し得ない再現性と高い優位性が両立しそれを自分だけは見えると言ってるようなものであり、わからないことをわかるとするリスク(ボラティリティの意味じゃないです)を舐める無知。その成果が今後も繰り返されるとする傲慢強欲を感じるわけです。

すなわち投資に対する反逆とすら思ったりします。つまり投資を舐めてる。

あるいは自分のなすことが今後も大きく儲かるとできる保険でも欲しい・・すなわち恐れてるのもしれない。

 

まあ邪推だと思います。

きっと邪推でしょう。しかし特に傑出した成果を得たものならばこそ、その成果が再現するなんて考えず、新たな事例はそれまで再現したもののないことだとして慎重に舐めないでその優位性を測るようで居たいなと思うところであります。

 

といった話なんだ。

こうは話したけど、実際皆が皆の好きなように考え話せばいいのだろうと思ってます。

実際問題自分がどうのこうの言う話でも有りませんし、またそんな権限もないですし希望もないです。その人が勝手に考えそのまま儲けるもよしだし、誤認してリスクのとり方を誤り死ぬのもまた投資です。

 

その中で自分は言いたいことを言いました。という話です。

実際のところ自分は意見をいいたいだけで、あまり人の考えも変えたいと思ってないというか変わるとも思ってないです。

実際問題珍しく大文字までも使ってすっきりしましたので、自分はこれでいいですというか自分は目的を達成しました。

ただ、自分の話にも一理ありと考え直してみる機会となるならそれは嬉しいですね。

 

まあ、好きにしてください。

皆が好きにしながら自ら考え進めていくのが投資だと思いますので。

お粗末さまでした。

 

 

あなたは期待値についてどう考えますか?

 

 

参考というか今回はこれらの世界観の延長の話。

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

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