時々ボロボロのポートフォリオを見たりします。
見るも無残な含み損だらけのポートフォリオ。
そんなのを見て有料でもその情報買うのにとか言ってる人も居ましたが、そう簡単には行かないよね?
というところとかからも来る・・
意思の話。
無残なポートフォリオ。
ここなんか見るとよく見れます。
実際その中ではよくもまあここまで損できたものだって思ったりもします。
そしてその取引情報を得て反対売買すればいいじゃないか?
だからその売買情報にはお金払ってもいい価値があるって思う人もいるかもしれない。
でも自分はそれはどうだろうね?って思うわけです。
その無残なポートフォリオがどうできたかなんですよね?
ぶっちゃけそのようなポートフォリオを作ることは容易いです。
いろんな銘柄に手を出し含み損は放置する一方で含み益になったものはばんばん利確すればいい。
それを続けていけばあっという間に含み損だらけの無残なポートフォリオが出来上がります。
たぶん、その無残なポートフォリオが出来る過程においては利益となる取引が多数あったはずです。
ピーター・リンチが「花を引き抜き、雑草に水をやる」と称した行為を地でやればそんなのポートフォリオはすぐ出来てしまいます。
たぶんその無残なポートフォリオはそうやって出来たと思うんですよね。
だからおそらくですが、その裏には伸びていくものもあったはずで、けどそれは早々に摘まれてしまったとかなんじゃないかと思うわけです。
なので、おそらくその無残なポートフォリオを作った多くのケースにおいて、銘柄選定などで無残になったわけじゃないと思うんです。
それより遥かに選定したその後に問題がある。
だから銘柄選定のみを逆真似というか反対売買してもそんなに芳しい結果にならないかな?って思います。選んだあとにどうメンテナンスするかという問題のほうが大きいはずです。
反対売買しても損切をして含み益を放置して伸ばすという行為をして育てないと反対にならないでしょう。
大切なのは花壇になんの植物を植えるのか?よりははるかに花壇に植えたその後に、花になるものを引っこ抜かないようにしつつ雑草を引っこ抜く行為をすることです。
これはそう簡単には出来ないと思うんですよね。
意志あるものにしか。
その行為は、いろいろケースはありますが大枠においては含み益が伸びるものを放置し、含み損になったものを切る行為です。
言い換えると・・・
快楽(利益確定)を避け、痛み(損失確定)を求める行為です。
自然じゃありません。
自然というのは基本的には痛み(損失確定)を避け快楽(利益確定)を求める行為です。
自然じゃないんだからそれは捻じ曲げるしかない。
それは不自然なことだから意志を持って捻じ曲げるしかありません。
自分はこう考えています。
その時その売るという行為は自分でない何者かに”売らされている”というべき行為だと。
もっと砕けて言うと自分のや考えに関わらず感情に支配されて売らされてしまうということです。
それに屈してはならない。
自分の行動を従えるのは理性からくる意志でなければならなく、意志をもって自分の行動を支配しなきゃいけない。
それが10%なのか30%なのか50%、倍、3倍、5倍、10倍、またはそれ以上になるかは知りませんが、その意志を持たなければそこに辿り着く前に売らされてしまうものだと考えているのです。
言い換えるならその意志を持ち売らない、育てるとコントロールしていかないのなら、いつの間にか自分以外のものに引っこ抜かれ、売らされてしまい花が咲くことはなくなるのです。
自分は思います。
そんなのイヤだ。
自分はそんなものに屈したくはない
売るにしろ売らないにしろ、その決定は自分で決めます。
そして自分で意識して伸びる可能性があるものはどれだ?と考え、引っこ抜くならその可能性において劣るとするものを引っこ抜きます。
含み益のものを売りたくなっても、含み損のものを切りたくはなくっても、売りたいだとか切りたくはないだとかいう感情には抵抗して理性そして意志でそれを捻じ曲げます。
そんなことを続けていましたがポートフォリオはこうなりました。
額は見せられないし、一部だけれどもね。以下のようだったりします。
この中の+410%とか+187%とかはありますが、これは自然になったわけではありません。それなり以上の長い時間を売ってしまおうか?という圧力に耐えつつ自分の意志で引っ張ってきたものです。
あなたがそして自分が選んだものが伸びていくかはわかりません。
しかし伸びる前に摘んでしまうならそれは100%それ以上伸びることはないのです。
それをわきまえて、自分は自分の花壇に花が咲き誇る日を自らの意思で手繰り寄せようと考えているのです。
花壇の花を花までに育てるために
どんな意志を固める必要がありますか?
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大事なことなので何回か繰り返しました。ネタ切れとも言う
もっと大きな意味だと下のような。