大河の一滴

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砂山の頂点

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主に投資だけど無駄なことしたくないよね

という発想があります。

時々そんなことを聞きます。

それを聞いて思うことの話。

 

 

もちろん程度はあるよ?

例えば山梨にぶどう狩り行くことの何が投資に役立つのか?とか言われたら自分も困ってしまう。

でもそれも一粒の砂にはなるかもしれない。例えばぶどう狩りに行く途中で見かけた繁盛店に投資することになるかもしれんし、ぶどう狩りで話した隣の人からなんかヒントがあるかもしれない。そこでは直接つながらなくてもそれをきっかけに調べたことがまた未来になにかと繋がり結果になる投資になるかもしれない。

そういう意味では本当にすべてが無駄じゃない無益じゃない一粒の砂ではあるだろうなって思いますが効率はありそうです。

人生は有限です。だから非効率な砂ばっかり集めてもね。そういう意味では砂にも重さの違いはあるのでしょう。

 

でも効率ばっかり気にしてその砂には意味がないと多くを切り捨てて行く先には差が出ると感じてます。

ドコモを買うのに三菱商事の株価チャートは関係ない、パーク24を買ってるのだからパラカの事業モデルは関係ない、日本で投資するのだからアメリカは関係ない。

それはこれとは直接かかわらないからそんなことをやるのは無駄だ、無益だ。なんてやっていったら、いつしかそういうのにも関心を持ち砂を積み上げていった人に差をつけられているなんてことが起こりうると思うんです。

 

程度の問題。山梨にぶどう狩りに行くことだって、頂点での判断に有益な一つの砂になる。その砂山がみかん狩りとかしいたけ刈りとか潮干狩りとかばっかりなら辛いだろうけどね。限りある人生でそんな砂ばっかり積み上げるなら投資で結果を出すのは難しいだろうね。

でもそこで他の投資の知識を担う砂と結びつくのなら山梨のぶどう狩りの砂だって、頂点の判断で物を言うかもしれない。そういう程度の問題。

 

実際に投資で大きな結果を出されている方の多くは

明らかに様々なものへの広い関心を持ちまた知識を持たれている・・・一言で言うと教養に優れている傾向はあるように思えます。

様々な砂を積み上げられてきた方が多いということです。

また様々な砂を積み上げられてきたから、その砂山の頂点で意味ある有益な判断ができてそれが結果になった・・そうだと思いますよ?

あるひとつの砂が抜けるならその砂山の形は変わるのかもしれないのです。

つまり頂点の場所は代わり、その有益な判断はできなかったのかもしれないのです。

 

このあたりはこの記事でも言ってるね。

kamomenotoushi.hatenablog.com

 

この意味において

無駄な砂などない

無益な砂などない

意味ある投資判断を可能とする砂山の頂点をつくるその砂には小さくとも遠かろうともなければその判断に至れなかったかもしれないという存在意義があるのです。

 

人生何が何に繋がるなんてわかりません。

だからその砂山の頂点でしっかり判断できるように、全部の砂にそんなことをするのは難しいけど、気になったものくらいは意識して小さな砂でもその意味を考えることをしていきたいかなって思うわけです。

一見無駄な砂。無益な砂。それを積み上げできる山の頂点とはなんなのか?その頂点で意味ある判断をするためになにをすべきか考えていきたいよね?とか思ったりするところです。 

 

 

意味ある判断ができる頂点を作る砂山に

無駄な砂なんて何一つありません

無益な砂なんて何一つありません

その砂を役立てるには何を考えていけばいいですか?

 

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