自分は結構脅すような記事書いていたりします
これとか。
これとか。
これらだって自分は例えばグロースを狙うななんて話をしたいわけじゃないんだ。
言いたいことはこれらの延長線上にある、特にグロース狙いなんてするときに頭の隅においておいたほうがいいよねと思うものについての話。
アベノミクス以降
日本株式市場で成長株狙いをした多くの人。
きっとかなり儲かったよね。
うん、自分も。
自分は本気でグロース狙いだしたの今2018年で2012年からなら後半戦と言える2014年待末からとなって比較的新参になると思う。
でもそれでも結構大きく利益が出た。
企業。成長してくれたからね。
だから別にグロース狙いはやめろなんて言わない。
このエントリーだってどちらかと言えば調子に乗る自分を抑えるために言い聞かす的な意味合いのほうが強い。
本来は投資、特に株式投資とかボラティリティが高いものにはそれが必要なものだと思うんだ。
成長株投資なんてものは特にそれが要求される。
自分は今後も狙っていきたいから、その必要なものは何か?と確認する。
そのようなエントリーなんだ。
やがてくる未来が。
例えば、ソフトバンクあたりの10年後の利益が定められた通り来る、あるいは行った大型投資が成功するかしないか定められている。そしてそれに対する投資家評価、PERも決まってるなら株価も決まってる。
そう考えるなら、投資は未来を予想するゲームになるだろうね。
そういうふうに考える人も居るかもしれないけど自分は違うんだ。
自分はやがて来る未来は定まってない。という考え方で投資をしているんだ。
来うる未来のその幅とかその可能性をどう考えるかには程度もあるかもしれないけど、いい未来あるいは悪い未来が来るかは常に定まってない。という立場です。
このような立場を取るとするならどのくらいの確率でどのくらいまでのいいことと悪いことがあるとするのか?の違いはあるだろうと思うけど、自らが投資したら悪い結果になる可能性及び被害も考えておくべきだと思うんだ。
悪いこと。
みんなは未来は一つと考えているのかな?
あるいは、未来は一つじゃないとしながらそれでも考えないのかな?
自分が投資した結果悪いことが起きる可能性及びその被害。
自分はむしろそれが上がるかどうかより先に考えてます。
悪いこと。つまりは”下落余地”。
だって悪いことの程度によっては自分は死んじゃうかもしれない。
だから考えてます。多くの場合において上がるかな?とかどれくらいまで上がりそうか?より先に。
それを多くの人は考えないのであろうか?
考えてないのかもしれない。
自分はいろいろみてあるいはそう思います。
いいことはあまり考える必要がないかなあって思ってます。
だっていいことが起きても死にはしないでしょ?悪いことだと程度によっては死んじゃうかもしれないのに対して。
そして”悪いこと”をどこまで考えるか。
人それぞれなんだと思うけど、自分は何度か言ってるけど、リーマンショック時程度に企業業績が傷つき、評価も準じるものになるを想定最悪ラインにしています。
そう簡単には来ないと思う。も、未確定の未来の中にはそのような未来がやってくる可能性はあると思うので想定しておかないといけないと思ってるけど。どうするかは致命傷にならない程度の大ダメージになるように頑張りそのあと再起を期すだけど。
他にも2013年以前のPER水準になるとか、2016年2月とかあたりのPER水準になるとか。この辺は来る可能性が低いとできる根拠が用意できないので結構ありえると考えている想定ラインです。すぐに来るとは言ってないからね。
個別ならグロースとされるものの成長が止まったなら。赤字を出したなら。どの程度までありえるだろう?どこまで評価を落とすのが妥当だろう?とか。
別にこれは、自分の考えるラインなんでそうしろなんて思わないし、各々これだって思うライン引けばいいと思うんですよね。
未来が確定してないと考えるならだけど。
だから未来が確定してると思うならやがてくる未来を当てきることに労力を費やすべきだと思うし。
・・・で、ここらあたりからやっと本題になってくるんですけど。
このように考えていくと必要だと思うわけです。
それが。
認めなければならないはずなんです。
過去の悪い時期のPERあたりまで市場が落ち込めば。
その保有銘柄の成長が止まるとするなら。
減益そして赤字になるなら。
そのときに自分が納得できる評価はどこなのか。
考えていけば見えてくるはずです。
その被害。
そのときにそれが必要なはずなんです。
”覚悟”が。
覚悟が必要なダメージになるとわかるはずなんです。
これ書いているのは2018年3月ですけど、例えば2016年2月程度の水準までPERが下がるとしたら多くの人は冷や汗が出る、あるいは顔が真っ青になる、何かはわからないけど多くの人にとっては大きな被害となるはずです。
未来が定められたものでないとするなら。
ありえる未来の中には、覚悟を要する大きな被害を伴う未来が含まれているはずです。
グレアムさんは株価は意味なく三割は動くと言ってます。
自分も資産三割減くらいならいつでもありえると思います。
資産三割減なら多くの人にとってそれなりの覚悟をしておくべき数字となると思うんだ。
どこまで悪いシナリオが出うるとするかはその人次第だとは思う。
2018年3月水準から2016年2月の水準までストンと落ちる可能性は低いとは思うけど、自分はゼロにはできない。
ゼロにできないのはリーマンショックくらい企業と市場が傷つくことになるもそう。
あくまで自分はだよ。
だから自分は覚悟が必要だと思ってる。
思うとおりに行かなかったときに不本意な結果を受け入れる覚悟。
あとは、どうするかだよね。
出目はなにが出うるか?を考える。
その中には許容できない出目があったとする。
それに向かう出目が出そうなときどうするか?
逃げるでも乗り換えるでも空売りする受け入れるでも好きにすればいいと思う。
もちろんね逃げる空売るにしても、自分がそうした瞬間から反転上昇だってありえる未来だからね。その可能性があることを受け入れることも覚悟が要ることだと思うよ。
思うとおりに行かなかったときに不本意な結果を受け入れる覚悟。
さあ、あなたは出うる出目に対して、どこまで酷い目があると認められる?
どこまで不本意な結果を受け入れられる?
どこまで覚悟を決められる?
ありえるとしか思えないけどそんな覚悟は決められない。なんて出目がある場合はその投資は見直し対策を打つべきです。
多かれ少なかれ株式投資というのはそういうものなんだと思うわけです。
もしかしたら覚悟なんて試されないままに利益が積み上がったかもしれないけど、それもいずれ試されると思うよ。まあだからそれはそれとしてその利益は受け取っておけばいいと思う。
というよりその利益は、覚悟を伴う行為をしたという対価と言えるんじゃないかな?
それは本来なら不本意なことにもなるかもしれないことを覚悟して、ほしい未来を掴みに行った結果として与えられるもの。
不本意なことも起きうるからそれを受け入れることには価値があり対価となり利益となる。
だから甘い話はやっぱりないし、未来の株価はわからないし、不本意な未来も来うるのです。
それに気づかず利益が出てきたのかも知れないけど。いや、だからもらっておけばいいと思うよ。
その逆にというか、だからこそ明るい未来もあるんだと思うのです。
より輝く未来を掴もうとするなら覚悟がいる。
それはある意味当たり前の話だと思うんだ。
そういうことを思って、自分はあり得る未来を考えながらできる準備を考え、そして覚悟を決めながら投資に向かっていこうと思ってるわけです。
未来が定められたひとつのものでないのなら
来る可能性のある未来には不本意な未来もあるはずです。
どこまで酷い目を認められますか?
どこまで覚悟を持てますか?
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