僕は投資に努力は有効だって考えてます。
しかしこの努力というものはある意味厄介だ。そうとも考えています。
時には投資家を滅ぼすのはその努力であるかもしれない。
というまで厄介になるかもしれない。
そんな話。
努力することはいいことだと思う。
情報とか銘柄調べてもいいし、読書もいいんじゃないかな。仮設を立てて考えてみるとかも益ある思うんだ。
自分はやらないけど四季報を一日で通読したり片っ端からチャート見るのもきっと得るものもあるんでしょう。たくさん売買するのだってある人には正しい努力になるんじゃないかな。
そういうことを続ければきっと長い間に大きな変化が訪れるはそうだと思う。
ただそれが・・
その努力がいつでもパフォーマンスを。
いつでも好成績を。
いつでもあのときの成績を。
という方向に向かうのは危険だと思ってます。
だから投資は投資成績も企業業績もいつでも同じ成績が出るもんじゃないからだし、
投資のリターンはいつでも同じ額が払われる固定給じゃないからです。
投資には労少なく、多く得られるときと、労ばっかりで得るものが少ないというかむしろ取り上げられてしまうときがある・・・あるとしか思えないわけです。
考えても見てください。
バブル絶頂期に割安銘柄を探すこと、割安をすてても成長すればいいと成長するものを探すこと。
探せばさすがに少しはあるでしょう。相対的にそうであるのはどんな環境下でもあるでしょう。成長しているものはなら景気のいい計画を出しているのだってあったでしょう。
バブル時にも探せばそれはないわけではないはずです。
でもきっと選択肢になるものは安いを狙う投資家にとっては少なくなっているはずです。
少ない選択肢を選んでくる行為も労が多く、かつリターンが少ないというかバブルが崩れたら一生懸命選んだものも一緒くたに全部落ちることになりつまり損になる。
そういうものだと思うんです。
向かない環境時に成績を上げる努力をしたって意味ないとまでは言わないけどその意味意義には大小があるのです。あるいはその努力によってその意義すらマイナスになるときだってあるかもしれません。
逆に向いている環境時なら。
選ぶものはたくさんある。努力しなくてもわりと多くが報われる。努力すればたぶんもっと報われる(可能性が高い)と思いはしてます。
投資に努力は有効だと思う。
ただそれは努力すればいつでも同じ成果が得られるということではないし、努力が比例的に成果につながるわけじゃないというか、努力と成果の関係は投資においてはもっと歪な形をしている。あるいはすんごい長い時間を経て振り返ったときに釣り合ってるよね?と振り返れるようものに思えます。
そして努力しない努力もあると思うんだ。
何かすべきだって気持ちを抑えて空白をつくる努力。
努力というのは必ずしも何かを埋めるものではなくて、埋めようとする動きを止めることも努力だと思うんだ。
埋めるばっかりならそれも考えるべきだと思うんだ。
それをしてないと言うなら自分から言わせれば努力が足りないということになる。
空白を作る努力をしてない。
また空白を作るべきかどうか考える努力をしてない。
格言を出せば安っぽくなる気もするけど、つまりは休むも相場だし、株の儲けは我慢料もまた事実であるということです。
なので努力と言ってもその形はもっと考えられるべきだと思うんだ。
これは1か100という話じゃなくて程度の問題だとおもうところだけどね。
これは自分の話ではあるけど
投資は空白にすべきときの方が多いと考えています。
なぜならリターンをもたらすのは根本的には自分ではないと考えているからです。
これは人にもよるんだろうけどね。
自分の場合、自分にリターン、利益をもたらす者、自分を豊かにする者は自分でなく、自分の資産であり保有企業だよねってことになります。
自分が頑張るんじゃなくて自分の保有企業、そこにいるみなさんが頑張って儲けてその一部を僕のポケットに突っ込むもの。なんです。投資というものは。
頑張るべきなのは、その会社であって、自分じゃない。
そんな中で自分が頑張ったら、その会社の邪魔じゃん。とすら思ってます。自滅じゃんでもいいよ。
この辺は以下あたりで。
まあ、でもこれは自分の考えなので、別に自らの力で稼ごうってのも全然悪くない。
人次第だと思う。
その中で、自分は自分の努力はそれを埋めるというよりは空白にして、誰かにもっといい画を書いてもらうという方向性なんです。基本的にはというか、投資してる大体の時間は。
自分の努力は、何もするべきでないときに何もしないでいられるようになるためという方向性なんです。
いや、ここは頑張って画を描くべきだろうと思えば画を埋めにかかりますけどね。
それはある意味手放すことです。
いつでもパフォーマンスを。
いつでも好成績を。
いつでもあのときの成績を。
これらを手放すこと。
その可能性をすてて、そこは真っ白にしておくのです。
向上心や野望をお持ちの方には難しいことかもしれないけど、それができないというのはだから努力が足りないと思うよ。
それを何でもいいけど、真っ青な空の色とか黄金色とか虹色に塗ろうとした結果、真っ黒とか出血の血の色になるなんてことをさけるために必要な努力だと思うんです。
だから投資はお給料じゃないのでそういうことは起こりうると思うよ?
あるときは手放すことが、ある部分は空白にしておくことが。
長くはより良き結果、そのキャンバスをより良い画に仕上げるのです。
そんなわけで自分は、塗ることだけを目指すのではなく、適度な空白もつくることがより良い画になると考え、何をどこを空白にすべきかも考えていこうと思っているのです。
画を空白にするのもまた努力です。
何をどこを空白にすべきか考えるのも努力です。
埋めることばっかりでその努力。忘れてませんか?