大河の一滴

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楽観と悲観のバランス

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悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する

フランスの哲学者アランの言葉だそうです。

自分はこの楽観は意志という言葉が好きだったりしますがそれはさておき。

そこからじゃないけど、投資において楽観と悲観をどう考えればいいんだろう?

なんてことを考えてみたという話。

 

楽観は意志だってよ。

とは言うけど、楽観的な人とか悲観的な人とか違いあるよね?

ナチュラルに楽観的な人、ナチュラルに悲観的な人っているよね。

楽観は意志とか言うけど、別に意思で楽観してる人ばっかじゃないと思うんだ。

 

特に投資をする人は楽観的な人が多い気はしています。

それも当たり前かな?と思うところであまり悲観的な人だとたぶんそもそも投資を始めないよね。

だから投資をしている人の集合体・・投資家あるいはトレーダーというものは、素ではナチュラルにポジティブよりなのかもしれないね。

 

でもそういう話じゃないんだ。 

普段から投資界隈のいろんなものを見ていると市場環境がいいと楽観的な人が報われるような気がしています。

2017年の仮想通貨なんて顕著で、仮想通貨の未来に楽観的なスタンスの人が大いに報われたといえます。楽観的な人は大きな値上がりを掴みさらに楽観・・というか調子に乗ってたとも言えるかもしれない・・くらいには好環境時には楽観してるのがいいよねって思います。

自分が買った瞬間に全く値下がりせず上がる一方だまで楽観してレバレッジいっぱいに全財産で買ってしまうまで楽観的な人は知らないけど、基本的に未来は明るいと楽観して信じた人に投資は報いるものです。

株式だって楽観が足りないとアベノミクス以降の株高に乗り切れなかったんじゃないかな。

 

だから楽観は素晴らしんです。

うん。だから市場環境がいいときにはだよ。

 

でも環境が悪くなると楽観は罰を受けると言えそうです。

バブル絶頂期に楽観していた人はその後大きな罰を受けたでしょう。

ITバブル時にヤフーに輝く未来を見た人も大きく罰を受けたかもしれない。(実際にヤフーは輝く未来を掴んでいるといえるのにもかかわらず)

仮想通貨はどうだろうね?

 

楽観は素晴らしい。好環境時においては。

でも悪環境時の楽観には罰が与えられる。

 

このようなことを思うと楽観が常にいいものだとは言い難いのです。

だから楽観がいいとか悲観がいいとかではなくそれは両方必要なのです。

特に投資においてはね。

あまり極端に振れるのはいけないと思うけど。

ものすごい罰を受けたり投資自体怖くてできなくなるかもしれないし。

 

だから大切なのはバランスだと思うんです。

未来がどうなるかわからないのであるなら、どこかにバランスを取るしかない。

どこかにバランスを取る。

そしてそのバランスは自らコントロールする必要があると思うんです。

そこがいいと判断したバランスに持っていこうとする。

これはまずいなと思ったらそれを変えていく。

 

それは・・楽観悲観のバランスはコントロールされるべきです。

 

あなたがナチュラルには投資に明るい未来を描くような楽観的な人物であっても。

その楽観をなすがままに放置してはならないのです。

本来の姿、素のまま、ありのまま、なり生き任せでそのバランスを決めるのはきっと良くないと思うんです。

世間の雰囲気で決めるのもだってきっと良くない。

ましてや自らの資産評価額の動きで決めてしまうとか最悪だと言えるのではないでしょうか。

ではそのバランスは何によって決定されるべきか?

 

それは自らの意思だと思うんです。

 

楽観は意思です。

楽観が意思ならばきっと悲観も意思の元に置けるでしょう。

楽観悲観を自らの意思の元に置きそれをコントロールするのです。

 

楽観を意思にする。

また同時に悲観も意思とするのです。

 

それをコントロールしようとする人は少ないでしょう。

それは容易にコントロールできることなのかどうかは自分にはわかりません。

しかしそれをコントロールしようとするだけで人より前に立てるのではないでしょうか?

だってそれをコントロールしようとする人すらあまりいないからです。

 

自らは楽観してるのか、悲観してるのか。

周りは楽観してるのか、悲観してるのか。

それらを測り考え決めるんです。

 

自分は楽観するべきなのか悲観するべきなのかを。

 

そのバランスは自らの意思を持って決定するのです。

自分の気分とか、市場の雰囲気とか、保有企業の業績とか、ましてや資産推移なんぞに、この決定権を奪われてはいけないのです。

 補足というか例えば会社の業績見てこれは悲観しとくべきだなと自分で決めるのはええんじゃない?

 

何で測るかって?

そんなの自分で考えてよ

自分は何をもって悲観し楽観するのがいいんだろうって?

そういう視点を持とうよっていうエントリーだよ。

 

これ自分は考えたよ。

それでそれは客観的事実で測るべきだってなったんだけど。

それが例えば市場統計推移記録表とかになってます。

 

同時にある人は値動きとかの方がいいかもしれないんじゃないかな?

他にも根拠とできるものならたくさんあると思うよ?

だから何をその根拠とすべき事実とするかはわりと人によって違うと思うしやっぱりそんなの自分で考えてよって思います。

 

それで自分はこれで測るべきかな?というものを考えながら、楽観悲観を決めるのは自分の意思であるべきとその手綱は他の誰にも何にも渡してやるもんかと思ってるわけです。

 

 

人々は楽観してるのか悲観してるのか

自分は楽観してるのか悲観してるのか

そして自分は楽観と悲観のバランスをどこに引くべきか?

それらを測り自ら決めていきませんか?

 

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