投資を続けるにあたって変わらないことと変わることがあるよね。
と、いきなりよくわからない話で始まりますが、例えばお弁当屋さんならどうでしょう。
何が?
作業と報酬のあり方。
お弁当屋さんをするならお店でも最初はレジだけかもしれない。次にお弁当作りとかするかもしれないし、食材の仕入れ、帳簿をつけたりバイトの面接もすることになるかもしれない。さらにマネージャーとかになるならもっと劇的に作業の質が変わるかもしれないね。
お弁当屋さんならたぶん続けていくと、行う作業が増えたり変わったりするはずです。
で、報酬はといえばお店でより多彩な作業をしたり、質の高い作業をできるようになっても、さらには多くのお店を観るマネージャーになってもたぶん最初の額から10倍になる事はないと思うし、今までよくやってくれたね。これからは働かなくても毎月1万円だそうじゃないかと店長も社長もお客さんも普通は言ったりしません。
たぶんそんな感じじゃないでしょうか。
しかし投資は違うよね?
もしかしたら投資の作業と報酬のあり方は稀有なものかもしれない。という話。
そして投資の報酬は二度変質するかもしれないという話。
投資の報酬って多くは最初は少ないはずなんです。
それもとても。
投資規模やものにもよるけど、ここでは大金持ちの親からの相続を受けて始めるとか銀行を言いくるめて不動産を頭金ゼロで買ったりとか、稀有な技術やアイデアがあって物好きな金持ちを出資者につけて大事業を起こすとかのレアなケースじゃなくて株式投資やせいぜいFXくらいの話をすれば・・
投資の報酬って最初はすごく小さいものだったりするはずなんです。
なにか一念発起して株式投資始めましたっていきなり億から始める人は少ない。一千万以上も稀ではないか?千差万別だけど株式投資なら100万〜300万くらいが多そうだね。(もっと少ない人はごめんなさいあるいはそんなときから運用を考えるなんて偉いと思う)
それが100万としましょう。
これが例えば一年でどれだけ増えるかといえば・・
千差万別なので一概に言えないという面はもちろんあるのですが、多くの言説からするとアベレージ10%いかないくらいじゃないでしょうか。
もちろん行くときはもっと行くし倍とか三倍とかそれ以上もありえますがこれは行くときですし、その辺話しだすとキリがないので無理なく長期見込めそうな成績はといえば多くの場合はたぶんいってもアベレージ年一割行くかな?くらいじゃないかなってことにして話を進めますよ。
と、なるとアベレージすれば年10万程度なんです。運用資金100万程度なら。
年10万。
あ、ちなみにこの10%アベレージというのは知識をつけ相応の労力を注いでの結果としています。株価チャートを毎日みて取引ルールを考え過去検証しとか、四季報は出るたびに買い財務諸表をチェックし競合他社の調査もして投資判断するとか。
それだけして例えば年10万。
多くの人は思うはずです。
労力と報酬が見合ってない。こんなのワリにあわない。
はい、それが正解です。
投資は最初の頃、運用資金が少ない頃は労力と報酬が見合わないのです。
と、いうより・・
投資は常に労力と報酬が見合わない。
それは見合わないものなのです。常に。
だからこれだけ頑張ったんだからこれだけ欲しいとか言うのはそもそもナンセンスなんです。
余談ですが過少資本の人は負けるという風説があります。
統計を見れば事実そうであることが多いです。
しかしこれは自分に言わせるとナンセンスがゆえなんです。
この風説がナンセンスというわけではなく、これだけ労力をかけたのだからこれだけ欲しいと投資に労力にみあった報酬を求めることがナンセンスだという意味です。
沢山の人が報酬の少なさに我慢できず、過剰なリスクを取ることになり一部の勝者と多くの敗者が生まれているというのが過少資本投資世界の実態なのかなあって自分は思っています。
で、投資の作業です。
最初は100万か300万か1000万だったかは知りませんよ。
大きなリスクを取って勝利して短い期間に来たかもしれない。長い時間をかけたり他の収入から入金も繰り返したかもしれない。
それはわからないけどそれが例えば5000万になりました。
そのときに作業が変わるでしょうか?
お弁当屋さんなら最初から50倍の売上の面倒を見ることになる時はたいてい大きな作業の変質を伴います。たぶん複数の店舗を見るマネージャーになってるんじゃないかな。
でも投資だと変わらないんです。
相変わらず株価チャートを毎日みて取引ルールを考え過去検証しとか、四季報は出るたびに買い財務諸表をチェックし競合他社の調査もして投資判断するとかです。
しかしその報酬は、10万から500万に変わっています。
同じことをしていてもその作業は殆ど全く変わってないのに報酬の額が大きく変化する。
投資とはそういうものなんです。
そして作業は変質しないけど報酬は変質する。
10%でも500万の報酬にいずれなるのです。
そしてそこまで(そこまでがどこかは人によって違うだろうけど)、いけば報酬の変質が起こります。
報酬がさらなる報酬の元になる。それが目に見えてわかる。
複利の力と言うやつです。
報酬となった500万を運用に回しまた10%を生むならそこでも50万です。
増えたものが更に増えるというのが実際目に見える段階に来るはずです。
(実際には少ないときからあるんだけど小さすぎて重要となかなか思えないはず)
作業が変わらないのに報酬は大きく変化していく。質の変化も伴いながら。
作業と報酬は見合わないと言いました。
これは逆の方にも言えるんです。
ある値を超えると、この程度の作業でこんな報酬になっていいの?ってポイントが来ます。そしてそれは上限を知らずいくらでも増えていくのです。
投資において作業と報酬は常に見合わない。
そしてさらに進むとさらなる変質も起こるかもしれない。
ここまで行ける人はすくないとは思うけどね。でも進む先にはそういうステージもあり得ると。
つまり、どうやっても一人では稼ぎ得ないだろう大きな大きな報酬になる。
こんな作業でこんな報酬になっていいの?なんてレベルじゃないほど、はるかにはるかに大きな報酬となる。
例えば10億を運用し年10%の結果が出たとするなら・・
報酬は一億です。
100億なら10億だね。
やったね。
一億を一人の力で稼ぐ人はいないわけじゃないけどトップレベルのスポーツ選手や芸能人、日本だと経営者にだって稀ということになると思う。
もちろん誰でももってるわけでない珍しい能力やスキルがありそれを活かすからその報酬になるんです。
しかし投資においてはその報酬を得るための作業は相変わらず株価チャートを毎日みて取引ルールを考え過去検証しとか、四季報は出るたびに買い財務諸表をチェックし競合他社の調査もして投資判断するとか。(流動性的にいろいろ難しくなってるかもしれないけど)
そこまでいっても報酬が馬鹿げたものになっても必要な作業は本質的には殆ど変わらないんです。
同じ能力を持ち同じことをしているある人の報酬は10万ある人は一億。下手したらそういうことだって起こりうるくらいに、投資において作業と報酬は見合わないのです。
投資において作業と報酬は常に見合わないのです。
そう思って自分は切にここまでやったんだからこれだけの報酬があるべきだなんてナンセンスなことを思ってしまわないように自制しながら長く育てて行きたいと思っているのです。
投資において常に作業と報酬は見合わない。
ならばあなたはどのようにしてワリにあわない時間を過ごし
割に合わない報酬を得ることを目指しますか?
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余談も余談だけど
自分が二度目の変質までいけるかは正直全くわからない。
もしいけるなら、自分の張るものには多くの人の思いがこもっていることを認知し感謝の気持ちでいたいものだなあと思います。
株式って製品を作った人やそれを買ったお客さんやその他もろもろの結晶だしね。
とりあえずいけたらいいなって思っておきます。